2001年思考の旅

昨日台風によって消滅した一週間以上ぶりの稽古、本日満を持して行われました。
徐々に人も揃ってきて、2人欠席してもなお27人という大所帯。

椅子が足りません。並べた資料も数える度に数が変わります。机もぎゅうぎゅうです。

さてこんなにぎゅうぎゅうで座っている皆さま。お察しの通り新作「rat 11」のための座学でございました。以前書いたように、だいすきな時間。

(撮影:川上憲心さん)

枠外の左の角っこに座って、語る小栗さんの横顔とホワイトボードに綴られる言葉とを眺め、時に窓の外の夜空を見つめ、人間という存在、科学技術、宇宙を考え、想像していました。

実は大学入試で心理学や哲学科も受けている私、以前助手についた「The Phantom Cowboy」でも「神の左手:coda」でも、例示される話って(あっそれ知ってる!)と思うことが多かったのですが、今回は初めて聞く話が多くて、へぇそうなんだ!がいっぱいで。

というのも、「rat 11」のキャッチコピーは「リアリズムSF」。
つまり科学というものが重要になってきます。
リアリズムと銘打っているように、人間性が紡ぐ物語なのは他の小栗作品と変わらず、哲学用語も飛び交っており。
そうした人文科学と、科学技術と言って想像されるような物事とは、もはや切っても切れないくらい複雑に絡み合っています。
なのにその「科学技術」にはあまり注目したことがなかったのだなあ、と気付き、新鮮な話題に興味が止まりません。

作品自体はほんの少し未来の話になりますが、「そう」なる世界は今もすぐ側にあって。大きく変わる、はずなのにあまり怖くないのは柔軟に受け入れているのか危機感が湧いていないのか。

けれども、いつも愛が正義を持てるなら...
世の理を超えることができるなら...
それはどんなエンドを迎えても、生に後悔はないんじゃないかなと思います。甘いかしら。

本日より合流した百花さんが先日まで出演されていた舞台、DULL-COLORED POP「夜に昇る太陽:1961」の中にこんな台詞(ニュアンス)がありました。
「人間の想像力は常に世界よりも大きい」
「訳が難しいのだがエンサークル、つまり覆っている」
序盤にこうした考えをさりげなく提示しておき、原発誘致の際に発される
「すべて想定した、万に一つも事故はない」。
我々観客はその結果を知っています。想定を超える現実は起きるということを。

人間の想像と、人間を取り巻きながらその手を離れて進行してゆく現実。どちらの方が大きいのでしょう。どちらの方が優勢なのでしょう。
人間はすべてをコントロールできるのか。地球が、宇宙が、人間という矮小な存在を内包しているのか。

神が宇宙を作り、人間を作ったのなら。
我々もまた「rat」として観察されてはいまいか。
ならば打ち勝てるのは――

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キコ/qui-co. 11th study
『 the rat 13-11 』
9/13(木)~9/17(月・祝)@下北沢駅前劇場

今度のキコ/qui-co.は「二本立て同時上演」
「ラット13」の再演と続編にして新作「ラット11」!

詳細 http://www.qui-co.net/
ご予約 http://ticket.corich.jp/apply/93255/028/

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それではありがとうございました。
起立、

礼。


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