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違和感を見過ごしにしない。

ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

新約聖書 ルカによる福音書 16章10節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校の聖書科教員をしています。牧師です。

トップ画像が何かお分かりいただけるでしょうか。ヘアスプレーの噴霧ボタンの部分です。

この部分、「ノズル」と呼ぶのかと思いましたが、案外単純に「ボタン」という呼称で良いようなので、以下「ボタン」と呼びます。(めんどくさい前置きですみません。小さなことが気になるもので。そして今回はそういう小さなことについてのお話です)

ヘアスプレーを久しぶりに買い換えたら、このボタン部分の形状が変わっていました。

以前の物は、円筒形のボタンに一カ所噴霧孔が付いていました。虫よけでも、殺虫剤でも、大抵のスプレーはこの形だと思います。

ところが新しいヘアスプレーは、一方ににょきりと指で押す部分が伸びています。「テコ式ボタン」と呼ぶようです。

あまりに感動したので、古いものと並べて写真に収め、またキャップ部分のこの宣伝ラベルをも撮ってしまいました。何に感動したのかというと、その押しやすさに、です。

別に今までの円筒形ボタンを「押しにくい」と思ったことはありませんでした。でも比べてみると確かにテコ式よりもずっと力が要ります。特に後頭部の方へ吹き付けたい時など、指先に力が入りにくい恰好になって、ちょっと不便だったかもしれません。その点テコ式は必要とする力が小さくて済みます。便利。

何より、テコ部分があるおかげで、噴霧孔の向きが固定されるんですよね。円筒形ボタンだと微妙に向きがずれていて、思いがけず空中に散布したり、耳や額に向けて噴射したり、ということがありました。耳の穴にかかると、大したことではないにせよ、何だか気持ち悪い嫌な気分になったものです。でもテコ式ならば、テコの反対側が噴霧孔になるので、後頭部に使用する時でも噴霧孔の向きに迷わないのです。いやー、安心安心。これで無駄なく使えます。(今までずいぶんいい加減な使い方をしていたのね、と自虐クドウが囁いている。)

こういう「小さな大発見」みたいな商品開発例は身近にいくつもありますね。

紙おむつをくるんで捨てるためのテープを考えた人はえらいなぁと感嘆しながら利用していたし、マヨネーズのキャップに大小2つの絞り口を付けた人は表彰されて良いです。油性ペンで書いてもにじみにくいゼッケンにも感謝しているし、醤油やわさびで見かける「マジックカット」(旭化成の登録商標だそうな)には足を向けて寝られません。

どれもこれも、「これってちょっと不便だなぁ」と、日常の中の「違和感」をきちんと拾い上げた人の発想から生まれたんだろうな、と想像します。

私は「うわっ、また吹き出し口間違えた」「くっ、腕が逆手になると力が入れにくいな」と思いながらヘアスプレーを使っていても、「これ、何とかならないかな」とは考えなかったわけです。私が見過ごしにしていたその違和感に、私以外の誰かが気付いてくれて、「何とかしよう」と思ってくれた。そのことにじーんと感動して、写真まで撮ってみたというわけです。(暇人か)

先日の記事で、吉田松陰の『留魂録』に触れました。

吉田松陰は、「松下村塾」を創設した、叔父の玉木文之進という人から教えを受けています。幼い吉田松陰が講義中に蚊に刺され、思わずぽりぽりと頬を掻いたところ、「世のため『公』のために学んでいる最中に、痒みなどという『私心』に囚われるとは何事か!」と、ボコボコにされて怒られた、という話を聞いたことがあります。こ、怖過ぎる……。

現代では当然「虐待」と呼ぶべき事象ですが、「小さなこと」を重んじることの先に「大きなこと」の達成がある、という物事の本質を教えてくれる話でもあります。(ボコボコにするのはさすがにまずいけれども)

「これくらいまあいいか」と、小さなことを見過ごしにしていたら、そのうちにとても大事なことも見過ごしてしまう。「こんなのは不便や不幸のうちには入らないな」と我慢していたら、いつまで経っても状況を変えられない。そういうことだろうと思います。

「ここには不都合があるぞ」「これのせいで誰かが苦労させられているなんておかしいぞ」と立ち止まれる感性の持ち主は、ヘアスプレーのボタンだけでなく、きっと差別や人権侵害の問題、世の中の不正などに対しても、敏感に考える姿勢を持てると思うのです。

「香典くらい良いじゃないか」「ちゃんと商品を納入してくれるなら、為政者がお友だちの企業に発注してもいいじゃないか」。そんなところから、やがては億単位のお金が動いたり、行政や司法にあり得ない杜撰さが生まれてきたり……と拡大していくものなのかもしれない。今の世の中を眺めていると、そう思わされることがあります。玉木文之進先生にボコボコにされそうですね。

「これっておかしいよね?」と、自分が抱いた違和感を見過ごしにせず、表明していく正直さを。でもそれを、「このおかしさに気付かない奴は全員バカだ!!」と他者を断じる形ではなく、共に解決を目指す仲間を誘うような言葉で伝える聡明さを。そして、「このおかしな構造で不当に苦しめられてきた人たちがいる社会を、みんなで変えていこう」と言い合える連帯を。

たとえばヘアスプレーのボタンぐらい身近な日常の中にも、差別の構造は巣食っています。それらを見過ごしにせず、丁寧に声をあげていく者でありたいと願います。

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