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虐待にあった時どうしたらいいか考える

子どものころネットでこれは虐待なのか?と
色々検索してみたものの、どう問題を解決したらいいのか
わかりませんでした。
なので少しでも何かの参考になればと思い経験談を書き残しておきます。


殺される、と思ったこと

日常的に父に後頭部を殴られていたある日、
追いかけてきて後ろから首を爪でえぐられて血を流しました。
その時の傷跡は残り続けています。

父親はアルコール中毒で、飲むと女子どもに手を上げます。
私が幼い時には母親に手を上げて、泣いているのを慰めようと
していた記憶が残っています。
私が大きくなると、ターゲットが私になりました。

お酒を飲んでいる時の記憶は基本ないみたいです。
また、しつけのためと言ういいわけをしますが
日常的に殴られていると、何をやっても最悪なことが起きると
身にしみて感じるため、どうせ殴られるならなんでもいいかと
親の言うことも聞かなくなります。

メンタル的には母親の方がきつい

幼い頃から厳しかったのは母親でした。
3-4歳くらいの時に洗濯物をたためと、
タオルのタグが内側に入ってないと
太ももを強く叩いて発狂しました。
デパートに置かれているような美しさじゃないと
納得しませんでした。

また、小さい子の視力で認識できないことも多い時期に
黒と濃紺の差がわからないだけで発狂しました。
些細なことでずっと発狂されるので何をやっても叫ばれるのではないかと
脅迫観念を幼い頃から持っていました。

男尊女卑

我が家は男尊女卑でした。
上と下の男兄弟には部屋があり、真ん中の私は倉庫のような
部屋に閉じ込められていました。
家事も兄弟にはやらせない、兄弟がゲームをしている横で
私は家事をしている。小学6年生の夏休みの思い出の日記が
掃除機をかける自分の絵だったことを覚えています。

シラフの時の父親は娘に溺愛でした。しかしだからこそ酔った時の
ギャップがすごく辛かったです。
そして、その溺愛の時は母親は私を蔑んだ、妬みの目で見ます。
自分だけいい思いをしてずるい、その思いが子への精神的な
虐待を生みました。
殴られても、虐められても仕方がないという感じです。

雪降るベランダに放置

しつけといってされたことのひとつに、
泣くとうるさいからベランダに出てろ、というもの
があります。殴って泣かせたのは親なのですが。

裸足で雪の上に放置されたこともあります。
それで、迎えにもきません。
もう反省した?と聞きに来ることもなく
ひたすら無視されて、いなかったことにされます。
家の中にいる家族たちの笑い声を聞いて悲しみ、
心を無にして、自分はいない存在だと思い込むしか
ありません。

記憶に残る

嫌な思い出は今起きたかのように思い出します。
身体で経験したことと精神的なダメージが組み合わされると
脳が覚えてしまいます。
高校生以降になると、親と関わる、
電話が来る、連絡があるだけで
熱が出て寝込むようになりました。
連絡を絶つと熱が上がることもなくなり幸せになりました。

やった方は覚えてない

母親に目を殴られたことがあり、目頭の横を傷つけられ化膿し
全く治りませんでした。病院に行って診てもらい
これは何もないと出来ないと思うけど何かあった?と
聞かれましたが、母親は「勝手にこの子が傷つけたみたい」
と言い、私は親が怖いのと、何を言っても現実は変わらないという
諦めで何も発言できませんでした。

親が完全悪ではないと思わせる

親も普通の人間なので、悪魔ではありません。
その故に、子どもの方が自己嫌悪に陥ります。
そして逃げ場がなくなります。

先生に言っても変わらない

高校の頃毎日殴られ、ストレスで発熱、頭痛で
まともに授業が受けられず(かといって家にいるともっとストレスなので)
保健室で休むことが多くなりました。
その時に担任の先生にSOSを出して、3者面談の時に母親に話しましたが
「しつけだから〜」で済まされて何も改善されず、ただ私の人間不信が進むだけでした。

奈良さんがいなかったら多分死んでた

小学4年生のとき、七戸にある美術館のグループ展で
奈良美智さんの初期の絵を観ました。
その時にようやく、生きててもよいようだ、
と感じたのを覚えています。
逆にいうと、そんな幼い頃から死にたいと感じていた
記憶が確かにあります。

それからは絵を描くべきのようだ、と使命を感じ生きています。

通報が一番いい

自分の家庭がモデルで生きていると、これが異常なのか
判断するのに時間がかかりました。
一人暮らしをしてしばらくして、勉強しているうちに
はっきりと異常だったと気づくことができました。

こうした、なんか変だけどどうしたらいいかわからない時は
周りの人に相談するよりも公的な機関に通報するのが一番いいと
思います。
普通、こんな思いをして過ごしている人は周りには滅多にいません。
なので周りの人には理解されにくいことが多いです。
警察や児童相談所に早く相談することを勧めたいです。

恐怖で従わせるのは簡単

恐怖で従わせるのは楽な方法かもしれません。2歳頃までの自分の写真は
おてんばなものがありましたが、大きくなるにつれて無表情なものが増えました。
10歳までは虚無でしたが、その後子供らしくはしゃぐ友人の姿を見て
こんなふうに自己表現するのか、と知り、自我を持ち始めるとまた虐められました。

恐怖で従わせるのは子供の性格が歪み、大人になってから恐怖を生む人に引き寄せられる可能性が高いと思います。
そういう負のスパイラルに陥ったと思ったら人間関係を変えて、話が合わないくらいの人たちとも関わって、矯正していくしかないかなと経験上思います。

私の「幸い」な部分は、親とほとんど関わらなかったことです。
高校の最後の方には朝練、居残り練習という言い訳を使い続け、
極力家に帰らず、親の寝ている姿しか見ない状況になりました。
親以外の人間関係から学ぼうと生きていたので、毒親に染まりきらず
生きることができました。

しかし未だ自分も矯正中

時々親が言っていたような鋭い、的確に人の嫌がることを言う時があります。
父親の父親もアルコール中毒、私の兄もアルコールが入ると叩いたり暴言を吐きます。

歪みっぱなしだと周りの人を傷つけてしまう。後悔するようなこともたくさん経験してきました。

負を引き継ぎ、生きていかないように心がけて。

そしてこう言う話はこれで最後にしたいなと思いつつ、残しておきます。

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