うつ日記 その14
先週から仕事に復帰してます。
昨日は仕事が終盤に差し掛かったところで業務量がぐいん、と上がり、それに対応出来ない自分に涙が出て、でも学童のお迎えの時間は迫り、わけもわからず転がるように帰ってきました。
イネの前では泣きたく無いと思いながら自転車を漕いで、学童の玄関にたどり着くと、いつも通りのご機嫌なイネがいて、その態度に合わせて泣き顔を見せずにすみました。
なのに、ホッと一息ついた瞬間に「今日も頑張ったね」とイネが手を握ってきて、結局私は泣きました。
一晩明けて、昨日の夕方のあの焦燥感や絶望感や落胆は一体何だったんだろう、と思うような凪の心地がありました。
実は2ヶ月ほど前から「金継ぎ」をイネと二人で習っています。
きっかけは、友人から誕生日プレゼントにもらった大事なお皿を割ってしまったことでした。
別の友人に紹介してもらった漆作家さんのアトリエは我が家の目と鼻の先にあり、初めは私一人で通うつもりだったのですが、初回にイネを連れて行ったら彼女の方がハマってしまい、毎回私より熱心に作業をしています。
今はちょうど中間地点くらいで、割れたお皿がもとの形に戻ったところです。
今日、そのお皿を手に取って感じたのは「割れたお皿はもとのお皿とは違う」ということでした。
そこには確かに割れ目があり、そこを継いでいる漆があります。今まで通りに使おうとすれば、そこからぱかん、と割れてしまうかもしれません。もちろん、金継ぎをするとそう簡単には割れなくなるのですが、それでも割れていないお皿とは違うのです。
まるで私の心のようだ、と思いました。
みんなの心にもこんな割れた痕があるのだと思いました。
継いで、何事も無かったような姿になっても、それは違う。
金継ぎはその痕を「忘れないでね」となぞるような手仕事だな、と思いました。
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