ま、いいか、の重要性について

これはここに書くのが一番いい気がするので書き留めておく。

ここ最近、表稼業の職場の人間関係にもやもやしている。
何が起こっているのかということを書いてみる。

業務の中に「誰がやるのか」がはっきり決まっていない、とみんな(といっても5人の小さい部署)が思っている業務がある。しかしながら、その認識はひとりひとりグラデーションがあって、私はそれはリーダー業務にほぼ含まれるものと認識している。もちろん、小さな部署なので、手伝ってもかまわないものではあるのだけど、手伝おうとしても誰かが統制しているわけではないので、非常に効率が悪い。具体的には、複数ある書類の更新作業なのだけど、みんなで同じ書類を開けて作業が重複したり、終わっている書類がどれなのかがわからないので次々開けて「終わっている」ことだけを確認することになったりする。

なんなんだ、これは。と思う。
効率よくするためにはメンバーとリーダーの仕事を分けて、リーダーがその作業に没頭したほうが断然早く終わりそうなのに、昨日の会議で出たのは「いつも(リーダー業務を主に担当する)二人だけでやっているので、とても大変。ほかの人も時間のある時にできる範囲で手伝ってほしい」とな。
仕事を割り当てるでもなく、きっちり分けるでもなく「気遣い」で乗り切るメリットはどこにあるのだろう?

そしてもう一つ。
このヘルプに見える言動の裏の「ちょっとは気を遣って手伝ってよ。空気読んで作業してよ」みたいな感触。
これは、実際にそこに存在するものの感触なのか、私の生み出す幻か。

最近プロセスワークを聞きかじったり読みかじったりしているせいか、ロール、ゴーストロール、ランク、エッジ、二次プロセスなどこの場面だけでもいろんなものが浮かんでくる。私は「気が利く人」としてのランクは低いと自覚している。

つまり、この事態の解決策として自分の「気が利く人」のランクを上げるべく努力するのがいいのか、むしろ効率化のための提案をする、という行動に出たほうがいいのか迷っているのだ。

私は「気が利かない自分」が結構嫌いで、そこを指摘されている気がすると本当に嫌な気分になる。さらに気が利かない自分を正当化するような言い訳を次から次へと考える。効率化のための提案は私が自分が言い訳をしているように感じるからややこしいのかもしれない。相手もそう評価するのではないかと思うから躊躇しているのだと思う。

にしても、気遣いのつかいどころを間違ってやいないか?と思う。
効率化するところを気遣いで解決するのはやっぱり違うと思うんだけどな。

そして「ま、いいか」となる。
もやもやするしなんだかめんどくさいけど、「ま、いいか」とつぶやいて次のことに移っていく。私にとっての大事なスイッチ。少し時間を置いて次の考えが浮かぶのを待ってみるのも悪くない。


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