深夜1時は想像時
ふと、一体何のために生きているのだろうと思うことがある。
深夜1時、夏場だからといって冷房をつけているがその風がやたらと冷たく感じる。
布団を被ると暑い、なので少しばかりの抗いとして腕を出すが、それはそれで寒い。
少しだけうつ伏せになり感じる心臓の鼓動を聞くたびに、心拍数と呼応するかのように焦燥感を感じ出す。
何を生き急いでいるのか、そう説得するように自分に言い聞かせるが、こうなった自分にとってはもはや徒労であるとしか言いようがない。
無音で漫画を読んでいるとこの世から隔離されたのではないかと錯覚してしまうので、私はいつもラジオを流す。
人の声は落ち着くんです。
自分の中のクリエイティヴィティは布団の中で一番解放されると知った夜。
この妄想すら未来予知に思える素晴らしさが君たちにはわかるかい!?
妄想の中の君たちにそう告げる。
虚しいという気持ちはない、好きでやっているのだから。
散逸的な短文をあたかも一つなぎの物語のように連ねる。
楽観的だの悲観的だの、もはやそんなことに興味はない、全て受け手次第なのだから。
森羅万象、完璧などないと分かっていても追い求めてしまう、これこそが全人類に与えられた業なのだと私は言う。
だから何だと言われれば、その答えは多様性そのものなのだと応えたい。
自分の中の多様性を、私は支えていきたいのである。
深夜1時、これは自分を見つめ直すのに一番最適な時間なのである。