イタリア語単語の話(20)
読んで楽しいイタリア語の話
単語で学ぶイタリア語
188.pronto soccorso (プロント ソッコルソ):“病院事情”
救急病院のことです。旅先で、事故にあったり、具合が悪くなったらここへ行きます。イタリアの医療制度の事は、専門家に譲るとして大体のことを経験に照らして書いて見ます。技術がいいのか悪いのか?分かりません?イタリアで骨折の手術(operazione)をしたが、うまくなく日本に帰ってもう一度手術をせねばならなかった、と言う話を聞いたこともありますが、一方でゴルフ場で脳の血管が破れ、危なかったがヘリコプターが来て病院に連れて行き一命を取り止めた人もいます。この方の話だと日本では、応急処置及びその後の治療も含めて、こうはいかなかったと感謝されていました。
一般に公立の病院だと全て保険診療ですし、Pronto Soccorsoは基本的に無料です。歯医者では、最初保険診療の病院へ行きましたが、抜いた後夜中に血が止まらず、次からは保険の効かない医者にかかりました。保険診療はかなり低額でしたが、一般の医者は逆にかなり高額でした。Pronto Soccorsoへ子供の事故で行ったときには、大分待たされた記憶がありますが、日本の大病院でも3~4時間はざらに待たされますから、ちょっと比較が難しいかなと思います。
事務所で間違って、ハサミで指を1cmくらいえぐってしまった事があり、取りあえず近くのFarmaciaへ行きましたら、そこで治療をしてくれました。20年以上前の事故で未だに傷跡がしっかり残っている怪我でしたが、病院へは結局行かずに済んだことが、ちょっと心配でもあり不思議でもありました。基本的にFarmaciaは処方箋がないと薬を出してくれません。ビタミン剤や目薬などは除きます。犬の寄生虫でfilariaというのがあって、その予防薬を飲ませねばなりませんが、処方箋がないと売ってくれません。またかなり高価な薬ですが、処方箋があるとかなり安くなります。しかし、処方箋を得るためには動物病院(veterinario)へ行かねばなりませんから、結局は高くつきますが。尚、pronto soccorso(緊急の救助=救急病院)の電話は118です。
189.protagonista (プロタゴニスタ): “これは偉い人の響き!”
最初にこの言葉を聞いた時から、なんだかすごい人を表しているような音感を持って聞いた。Protoは「最初の」「第一の」と言う意味のギリシア語である。prototipoは「原型」「プロトタイプ」のこと。agonistaは「(運動)競技参加者」のことを指すので、proto-agonistaはつまり、最初の競技参加者、または競技の一等の人の事を指すのだろう。いずれにしろ、このprotagonistaという語感は私にはとても重い。これを単純に、「主役」と訳してしまうと、どうもなにか物足りない気がする。この言葉は、劇の主役だけでなく、何かの計画の主人公、話題の主など、の意味でも勿論使います。当然、スポーツ競技の中の主役、野球ならダルビッシュ級のピッチャーや、王・長島級の打者には、勿論そのまま使えるニュアンスだ。
primadonna もまた同じように主役の意味。一方、悪役(敵役)は、antagonistaという。personaggioとは、劇や小説の登場人物を指す。また、重要人物、有名人などの意味でもこの語を使う。脇役と言う言葉が日本語にはあるが、それは、このpersonaggioを使って、personaggio secondarioと言う。
また、gregarioと言う言葉もある。これは、ふつうは自転車のロードレースで、capitanoは勿論キャプテンだが、ロードレースはチーム競技なので、何人かが一人のcapitanoを勝たせるためにチームを組む。この場合のcapitano以外の人を、gregarioという。これは、つまり脇役のことでもある。protagonista、personagio secondarioといっても、これは人それぞれが、これらの役をこなして、歴史がある。会社や組織では、社長や会長さんなどが組織の上では主役であるが、人生では全ての個人、全ての命あるものが主役である。ある個人の周りでは、例え社長でも、大統領でも脇役に過ぎない。人とすれ違いながら、そんなことを考える。私にとってこの人は通行人だが、この人にとってみれば同じように私も、舞台に出て来ることもなく、後ろ姿しか見せない、脇役にすぎないのだなと。そう思うと、protagonistaという言葉がますます重みを感じて来た。そう思いませんか?
190.Buon proseguimento! (ブオン・プロセグイメント):“道中気をつけて!”
イタリアにいれば良く聞く言葉である。残念ながら日本にはこういう表現は無いと思う。これは、旅行中に電車の中で知りあった人が、先に降りるとすると、そのまま旅行を続ける人に言う言葉。又は、パーティなどで先に失礼する人が、残っている人に「この後も楽しんで下さい」という意味で言う言葉です。日本語で言うなら、「道中気をつけて!」とでも言うのだろうが、意味は違う。
日本語をイタリア語に訳したり、その反対をやると時に、お互いにそういう表現がないことにぶつかることがあります。日本語で言えば、「お世話になっております」は代表的な、訳しにくい言葉でしょうし、「どうも」とか「お疲れさま」とか、直訳したら、「一体何を言ってるんだろう?」と思われる言葉が沢山あります。日本の場合は150年ほど前までは、孤立した世界にいた訳ですから、このような世界に通用しない言葉だらけだと言っても良いでしょう。しかし、それが日本的なのかも知れませんが。例えば、夕焼けと言う表現はイタリア語にはありません。夕焼け空を訳すのにただ“tramonto(日没)としか言えないとしたら、味気ないですが、il cielo bruciato 焼けた空、と訳しても通じないと思いますから仕方がない。
buonの後に続く言葉は、何でも入りますが、日本語にはなかなかならない言葉が多いです。Buon lavoro! これは、「仕事を楽しんで下さい」というような意味だが、日本人がこれを言われると、「しっかり働け」と言われているように聞こえるし、Buon Studio!(勉強頑張ってね、楽しんでね)も「しっかり勉強せい」かと思ってします。Buon divertimento! と言われて初めて、divertimentoが「楽しみ」と言う意味だから、「楽しんで下さい」と理解は出来ますが。なお、proseguimentoはproseguire(続ける)の名詞ですから、そのまま「継続」の意味です。
191.ragione (ラジオーネ):“私は道理を持っている=私は正しい”
理由、理屈、道理 avere ragione 「正しい」という意味でよく使う。彼は正しいは、Lui ha ragione. で、日本語での直訳は「彼は理由を持っている」で、ちょっと理解に苦しむが、「彼は道理を持っている」と言えば「彼には道理がある」と言う意味だと推測がつく。英語ではreasonであるが、英語ではHe has a reason.とは言わないようだ。He is right.となるだろう。またreasonableは、妥当なという意味だが、値段が安いという意味でもつかわれるので、道理も安くなったものだ。イタリア語でreasonableは、ragionevoleといい、これも「妥当な」、「適切な」と言う意味で、価格が丁度良いという意味では使うが、それは高くはないという意味で、「安い」と言う意味はない。英語ももともとは、高くはないという意味だったのだろうが、cheapという言葉が「安っぽい」というニュアンスが強いために、reasonableを「安い」という意味で使うようになったのだろう。
イタリア語の、avere ragioneを日本語の「正しい」と訳すのは、正しいようだが、一方これを「道理がある」として理解しようとすると、少しひっかかる。学習者には、「道理だ」と説明するのだが、「道理」というのは、日本語ではもっと深い意味を持っていそうだ。「道理とは誰が考えてもそうなる道筋である」「道理とは大宇宙の法則のことである」と、(空海、感動の人生学:大栗道栄(高野山))に書いてある。つまり、「道理」とは大自然の法則である、とすると、イタリア語で私は道理を持っているとは、なんとまあ大げさなと言う気がしないでもない。ragioneには、また、「理性」「判断」「分別」という日本語訳もある。恐らくこちらの方が、本当の意味には近そうだ。「私には分別がある」程度なら、宇宙の法則を持ちださなくても済む。
192.religione (レリジオーネ):“神と結ぶのが宗教”
宗教である。宗教の事をここで述べようとは思わないが、religioneの言葉は、re(神)+legare(結ぶ、関係)から来ているそうだ。またラテン語のreligio(re+ligio)とも関係がある。religioというのは、「制度化された宗教」という意味がある(「悩む力」姜尚中著)。つまり、宗教と言うのは、今のように選択出来て個人が信じるものではなく、地域(regione)や共同体が信じているものだった。イスラム社会はこれに近いのではないだろうか。姜氏の言葉を借りれば、宗教と言うのは自分が所属する共同体の生き方そのものだから、何のために生きるのか、何のためにこれに従うのか、考える必要がない。例を上げれば、ある国が「反日」教育をすると、国民は全て反日になるのは、それが共同体の考えだからだ。国民は疑問を覚えない。反日が前提にあるので、どんなことでも反日行動や、暴動の理由にはなる。「反日」という共同体のいわば宗教が、行動を正当化するのだろう。日本のマスコミは、「当政府は反日行動が反政府運動に拡大するのを恐れて、報道を自粛している」などと評論家のようなことを言っているが、一体それがどういう意味を持つのだろうか。報道を自粛しようとどうしようと、反日教育の教祖(=re)は、当政府なのだから、マスコミは一体何を擁護したいのかと聞きたくなる。反日教育を行っている国に、日本政府が言うべきことは、反日教育を行わないようにさせることではないのか。もし、それにもかかわらず、反日教育を今後も続けて行くのが国の方針なら、「友好」が、形だけどころか、文字だけで形も何もないことに、早く気付くべきだろう。いくら国が反日教育をやろうと、国民は政治と経済を分けている、という考えもあるが、ある国では、その政治体制からも国民は強くre(共同体の神=支配者)と結びついている。従い、reが方針を改めない限り、基本的な思想は変わらない。religioneとはそういうものではないだろうか。つまり共同体の思想に反するものは、「村八分」に合うことになる。これをイタリア語では、banditoという。banditoというのは、「悪者」「追いはぎ」「ならずもの」という意味で使うが、もともとはbandire(追放する)の過去分詞の名詞形で、「(共同体からの)追放者」「亡命者」の意である。また、religioneとregioneは、似ているが特に関係のある言葉ではなさそうだが、religioneがもともと「地域、共同体の生き方」であったという話から、regioneと結びつけたくなっただけだが。
193.ricetta (リチェッタ):“レシピ”
処方箋のことをいう。また、料理のレシピのこともこういう。英語ではrecipeまたはprescriptionという。イタリア語でもprescrizioneという言葉があるが、こちらは処方箋の事だけで、レシピの意味はない。prescrizioneには「時効」の意味がある。prescrizioneの動詞は、prescrivereで、この語はpre+scrivereで予め書くという事だが、そうダイレクトな意味はなく、「処方する」、「規定する」、「そして時効によって無効とする」という意味がある。予め書くから、「規定する」はわかるが、処方するとか、時効にするとか意味が広がって行くのは面白い。
scrivereは「書く」だが、iscrivereと「i」を前にひとつつけただけで、書くは書くでも、「登録する、登記する」の意味になる。学校への入学も、この言葉iscrizioneを使うことになる。英語はこの場合、registerという単語を使う。イタリア語でregistrareと言えば、「記録する、登記する」という意味があるが、また「録音する」という意味がある。但し、英語のregisterには録音するという意味はない。英語で録音するは、record(recording)という。私の学校で、英語とイタリア語のネイティブ音声を録音しているが、間違ってアメリカ人にイタリア語のregistrazioneからregistrationと言ってしまうと、何をいっているのかと変な顔をされる。
一方、イタリア語でricordareは、「思い出させる、覚えておく」と言う意味でこちらに、録音するという意味はない。ちなみに英語では、rememberがイタリア語のricordareに相当するようだが、recallという言葉もある。色々辿って行くと、言葉が変わっている事を感じる。
championもそうだ。イタリア語では、campioneと言うと、これは「チャンピオン」の意味と「サンプル」の意味があるが、勿論英語のchampionにはサンプルの意味はない。話が堂々巡りをしているようだ。
元に戻して、犬を飼っているとヒラリヤという病気だか薬の名前だか忘れたが、毎年飲ませねばならない。大変高価な薬だし、イタリアでは獣医のprescrizioneがないと、この薬を手に入れることが出来ない。しかし、獣医にprescrizioneを貰う為に、犬を診せに連れていくとそれだけで大変な出費になる。そこで薬屋に相談に行ったら、コピーで良いと言う。結局3年ほど一回目のコピーで済ませたが、そんなことは、本当は駄目ですよね?ようく分からないが、何れにしろ薬局では、コピーで売ってくれたのは確かだ。いずれにしろ、もうprescrizione(時効)だろうが。
194.rombo (ロンボ):“ひらめ”
これはひし形のことをいう。同時にこれは魚のヒラメの意味もある。イタリア語ではこういう形の呼称がそのものを指すという表現に時々お目にかかる。ヒラメの形がひし形だから、こういうのであるが、ヒラメが先なのかひし形が先なのか気になるところだ。日本語でも「ひし形」というのは、菱の形をしているからひし形というのではないか。尚、シタビラメはsogliola(ソリオラ)というが、これは辞書によればカレイ目ウシノシタ科の魚だそうで、ヒラメ(カレイ目ヒラメ科)とは違うらしい。ヒラメは体長80cmまたはそれ以上になる大きい魚だ。また、romboは繊維用語でアーガイル模様の意味で使うこともある。アーガイルとはスコットランドの州名であり、そこでもともと作られたセーターのひし形、またはダイヤモンド形の模様のことをアーガイル柄または単にアーガイルというが、イタリア語ではこれをその形からromboと呼ぶ。
195.scatenato (スカテナート):“羽目をはずした”
catena とは鎖のこと。catenareはその動詞で「鎖をかける、鎖につなぐ」の意味である(あまり使われない)。イタリア語は単語の前にsをつけて反対の意味を表すことがある。例えば、coprire「カバーする」「隠す」とscoprire「顕わにする」「(秘密など)暴く」「発見する」やqualificato「資格のある」とsqualificato「失格の」、fortunato「幸運な」とsfortunato「不運な」など。ちょっと意味が変るが、vendita「販売」とsvendita「大安売り、バーゲンセール」、conto「勘定」とsconto「割引」などもこの部類であろう。さて、catenareが上記の意味だとすると、scatenareは「鎖をはずす」という意味になり、その過去分詞は当然「鎖をはずした」という意味になる。ところが、この単語の意味はそれから派生して、鎖をはずして「手がつけられない」「正気の沙汰でない」というところまで意味が飛躍する。日本語なら羽目(馬銜)をはずすといったところか。馬銜(ハメ=馬のくつわ)であれば表現としては似ているのではないだろうか。
尚、英語ではこの s に当たるものが dis になることが多いようだ。 cover - discover, dontinue - discontinue, count-discount. 但し、fortunate - unfortunate のようにイタリア語とは同調しないものも多い。面白いのは、sale はそのままでバーゲンの意味にもなっている。
196.reggiseno (レッジセーノ):“胸は支えるもので押さえるものではない”
女性下着の話である。reggisenoはブラジャーのことです。これは、reggere(支える)seno(胸)ということで、「胸支え」というのがその意味である。アジア人は胸が小さい(?)からかどうか、支えという言葉は使わず、胸当て(乳当て)とか、乳押さえとか言っていたようだ。現に英和辞書でbrassiereを引くと、「乳おさえ」と日本語では書いてある。日本の着物では支えるというよりも、どう考えても押さえているとしか思えないので、日本では「押さえ」と言うのだろう。
以前に下着の仕事で、ある大手の下着メーカーと仕事を共にしたことがある。この会社が中国でreggisenoの生産を始めた時に、その仕事に私が関わり、毎日reggisenoに埋もれていて、恥ずかしいなどと言ってられなかった。当時(1978年)の中国製のreggisenoは確かに胸当てだった。木綿の布を、少し膨らみを持たせる様に縫い合わせただけだったのが懐かしい。
イタリアへ行った時に、イタリア語で最初何というのか分からなかったので、braと言ってみたら、通じない。実はPiemonte州にBraという町があるが、ブラジャーとは関係がないようだ。
また、イタリア語ではショーツのことをslip(ズリップ)という。スリップのことは、sottovesteという(果たしてスリップなどいう言葉が今の日本で通用するかどうか分からぬが)。また日本でキャミソールと言うのが何を意味するのかよくわからないが、イタリア語でcamiciola(カミチョーラ)と言えば、女性用の肌着を指し、これがキャミソールの元だろう。これは勿論camicia(シャツ、ブラウス)の変形です。尚、ショーツ(下着のパンツ)は一般にはmutandeと言って、これは男女用とも同じ。slipというのは、いわゆるパンティに近い。ついでに、パンストはcollant(コラン)と言って、恐らくフランス語であろう。イタリア語にはパンストという言葉はない。実はイタリアでは、calze(ストッキングのこと)を履く人が多い。reggicalzeは分かりますか。reggereは、支えるでしたね、calzeはストッキング。従いこれは、ストッキングを支える、ガーターベルトのことです。reggisenoはまたreggipettoとも呼ばれる。pettoも胸の意味である。
尚、brassiereはもともとフランス語だが、フランス語にはブラジャーの意味はない。brasが「腕」なので、袖付き胴着の様な意味らしい。ブラジャーで通じるのは日本と英語だけ(またはカナダフランス語)。
あとがき:日本語を学習している外国の人も、日本語を学びながら色々面白いところに気付くと言います。例えば、イタリア人であれば、ここにあげている ne(日本語のようなイタリア語)が日本でも同じように使われている(Fa caldo ne? 暑いですね? 但しミラノ方言)という事に気付くはずだし、ドイツ語で、相槌を打つときには、日本語と全く同じ、アッソー(Ach, so.)が使われていることに気付いた人も多くいることでしょう。昔あるイタリア人から、何かにぶつけたりした時に、発する音は何語でもA音「アッチー、Ouch!(アウチ)、アイー」だと言われて、成程と思ったものです。果たしてこれが正しいのかどうか分かりませんが、私がそういう言語の共通点や関連性を調べることに興味があることだけは確かの様です。
言葉というのは、日々変わっていきますので、調べるタネは尽きません。現に40年以上前に学習したイタリア語の使い方が今では大きく変わっていることが沢山あります。イタリア語を教えながら、これは座学だけでは追いつかない事を常々感じております。勿論基礎を学ぶには座学は大事だと思っていますが。
外国語学習のほんの入り口にしか足を踏み入れてない私がこのような本を書くなどとは大それた事でしたので、イタリア語を「語学」として学問的に深く追求するのではなく、興味中心に知り得たことをエッセイ風に書くということにしました。英語を学ぶ人の最も難しいところは、聞き取りだと言います。TOEIC990点取って、英検で1級を取った人も、「本は読める」、「文章は書ける」、「言いたいことは全て言える」が、映画を見てすべてを理解するのが一番難しいと聞きます。勿論映画にも依るようで、恋愛ものなどは意外と解りやすいようですが。これに比較すると、イタリア語は聞き取りが意外と楽ではないかと思います。この最も難しい部分が楽なら、もともと座学は得意な日本人ですから、文法をしっかり勉強する気があれば、イタリア語の方が日本人向けではないかとさえ思います。国際語としての地位は低いかも知れませんが、これからもイタリア語を学ぶ人が増えることを期待して、筆をおきます。 2016年12月
あとがきのあとがき:
「読んで楽しいイタリア語の話」は、2016年に上梓し、同時にアマゾンの電子書籍としても販売しました。そして2024年、この本を読んで頂ければ有難いと、こちらへの掲載を決めました。内容は、ほとんど2016年出版時と変わりませんが、noteに掲載するにあたり、少し付け加えた部分もあります。この後も続ける積りですが、取り敢えずここで一旦終了とします。2025年1月