草津町はなぜ批判されたのか
前回、『草津町で何があったのか、事実関係を整理する』で事実関係を整理したので、今回は草津町が当時、そして現在も批判される理由について整理しながら自分の意見を述べる。
結論から言えば、当時の草津町の対応には重大な問題があった。その問題は、被害の告発が虚偽だったことで消えるものではない。その行為を「セカンドレイプ」と呼称するかは本質的な問題ではない。
草津町の対応の問題
真偽もわからぬうちから除名
まず、事実関係として押さえるべきは、草津町議会が元町議を、その告発の真偽のわからないうちから早々に懲罰動議によって議会除名としたことである。
多くの人々は抽象的な思考が苦手なようで、告発が虚偽だと分かったという現在の状態をもって、当時の行為を評価してしまっている。いわゆる「いまの価値観で昔を裁くな」的な状態だ。普段からそう言っている人が草津の件では町議会を擁護しているように見えるが……。とはいえ、すでに指摘したように、当時の段階では告発の真偽などわかりようもなかった。
当時も、町議会で告発の真偽を議論しようとした動きはあった。とはいえ、自身の性被害について公開の議会で仔細を語れないのは当然であり、この試みはうまくいっていない。議会は性被害の真偽を議論するのに適切な場とはいえない。一方、議会の立場としては町長の疑惑を全く何も審議せぬわけにはいかぬという事情もあっただろうし、町議会で議論したこと自体はあえて批判しない。
問題は、告発の真偽がわからない状態で懲罰動議に踏み切ったことである。なぜか、懲罰動議の理由が性被害の告発ではないと信じる人々が散見されるのだが、理由とタイミングから原因が性被害の告発にあることは疑いようもない。いうなれば、町議会は告発が嘘だったことではなく、告発したこと自体を(あるいは告発を端から嘘だと決めつけた上で)「破廉恥」などとして元町議を除名したのである。
この対応が不適切だったことは、後に県が処分を取り消したことからも明らかである。そして、告発者を告発したという理由で除名した問題は、結果としてその告発が虚偽だったからといって正当化されるものではない。除名された者の性質と、除名プロセスの問題は全く関係なく独立しているからだ。「結果的に真犯人だったから捜査過程で拷問してもセーフ」とはならないのと同じことである。
町議がリコールを主導
除名が取り消された後、町議らが元町議の解職を求めるリコールを主導した。これも、告発の真偽がわからないうちの出来事であり懲罰動議と同様の問題を有するが、加えて、リコールのプロセスにも別の問題がある。
1つ目の問題は、議長や町議がリコールを主導したことである。
そもそも、リコールは有権者が直接訴えを行うために制度化されたものである。首長や議員もその土地の有権者である以上、一住民の立場を貫けばリコールを主導することは違法ではない。とはいえ、議長や町議の立場にある人間が、リコール運動で本当に、その立場による影響力を行使しなかったのかは疑問が残る。
そもそも、議長や町議の立場は、バッチのように手軽につけ外しできるものではない。議長や町議が、その影響力を行使せずにリコール運動を行う、などということが本当にできるのだろうか。住民は、彼らから署名を求められれば、一住民からではなく議長や町議から求められたと間違いなく思うだろう。
朝日新聞は2021年4月9日の『交論』で、成蹊大学の武田真一郎氏の意見を紹介している。武田氏は、同じくリコールを主導した河村たかし・名古屋市長と並べるかたちで、草津町のリコールについて『このとき、町長は女性町議の罷免(ひめん)賛同を求めて回ったと報じられていますが、町長の影響力を行使したとすれば問題だったと思います』と述べている。
また、毎日新聞も同年6月27日の朝刊で、高崎経済大学の岩崎忠氏のコメントを紹介している。岩崎氏は愛知県東栄町のリコール運動について「政治家が積極的に関与した愛知県知事や群馬県草津町議の場合と違い、住民自らが展開し、目的が明確な政策論議である点は、リコール本来の趣旨に沿っている」としており、ここからも、識者の間では草津町のリコールが政治家によって主導された不適切な面のあるものだったと理解されていることがうかがえる。
リコールにそぐわない論点
第2の問題として、性被害の告発の真偽という、多数決で決めるには不適当な問題をリコールで扱ったことが挙げられる。被害を告発した町議の進退は、状況から考えてほとんど告発の真偽とイコールである。これを投票という多数決で決めるという発想自体が、制度の本来の目的から逸脱したものだったと言わざるを得ない。
支援者も懲罰
元町議の告発に関連して懲罰動議を受けたのは、元町議当人だけではない。元町議を支持した男性町議も2回にわかって懲罰動議を受けており、議場での陳謝を強いられ辞職勧告もされている。繰り返すように、この時点では告発の真偽は定かではない。
告発したこと自体を理由に懲罰を行うのも問題だが、その支持者も懲罰するのはさらに問題である。これでは、告発者を支持したらこうなると見せしめをしているようにしか見えない。
加えて、仮に告発の真偽が明らかになった後だったとしても、支持者まで懲罰することが妥当だとは到底思われないことも指摘したい。明らかに共謀して虚偽の告発を行ったならまだしも、そうでないならば、支持者も虚偽に騙されていた側である。性暴力被害の告発に寄り添うことは責任ある立場としてはむしろ当然に期待されることであり、告発が結果として虚偽だったとして、寄り添ったことを責められるいわれはないし、そうなってもならない。
相次ぐ罵倒
何があったのか式の事実関係とは少し異なるのでここで整理するが、草津町議会の問題はオフィシャルな対応だけではない。目撃された言動も醜悪の一言に尽きるものだった。例えば、北原みのり氏は議会での様子を以下のように描写している。長くなるが、町議会の実相を正確に伝えるために詳しく引用する。
ちなみに、北原氏は『町長にたとえ加害の事実がなかったとしても』とも書いており、この時点でも町長を加害者だと決めつけているわけではないことも伺える。
また、北原氏は2020年に議会を傍聴した様子を以下のように記している。これも、少々長くなるが詳しく引用する。
いずれも、大量のハラスメントと誹謗中傷の波である。これらを単独に抜き取っても、それぞれが「まともな議会なら」懲罰動議に匹敵する言動であろう。
ミソジニストの詭弁
問題をセカンドレイプと呼ぶべきか
ここまで見たように、草津町の対応には重大な問題がある。そして、その問題は告発が虚偽だったことで正当化されるものでもない。問題は歴然と存在しており、それを何と呼称するかはもはや本質的な論点ではない。
しかし、ミソジニストは些末をあげつらうことで攻撃の口実を得、本質から目を逸らそうとする。本質のみを語られれば、自身に一片の正当性もないからである。ここでは、この問題をセカンドレイプと呼称することが彼らの標的となった。
ミソジニストが壊れた笑い袋のように連呼しているフレーズは、「ファーストがないならセカンドもない」というものである。確かに、セカンドレイプや二次被害という言葉は、一次被害、つまり被害者が被害者となる理由となった被害そのものの存在を前提としている。
しかし、セカンドレイプや二次被害という言葉が言いたいのは、その用語が指し示す被害が「2番目」に発生したこと、ではない。これらの用語が指し示す被害は、一次被害とは別の、被害者や被害の告発者が受ける非難や疑いの目、バッシングといった被害である。こうした被害が被害者をさらに追い詰めることを告発する言葉が、セカンドレイプである。この言葉の本質はここにある。
なお、告発の真偽がわからない時点で「セカンドレイプ」という用語を用いるのは、「ファーストの」レイプがあったと決めつけているとする主張も見られた。だが、先に述べたように、「セカンドレイプ」という用語の本質はそれが2番目の被害であることではない。通俗的には、より大雑把に告発者や被害者が受けるバッシングや誹謗中傷を総じて「セカンドレイプ」と呼称しているに過ぎず、平均的な読解力を有する人々にとっては、もはや「セカンドレイプ」は第1の被害があったと決めつけるものではない。批判者が「真偽のわからないうちから」と補足しているなら猶更である。「セカンドレイプ」という言葉が当時使われ、いまも使われているのは、単に告発者が苛烈な罵倒を浴びているがその告発が虚偽だったという世にも稀な状態を想定した語彙が存在しないために過ぎない。
もっとも、確かに草津町の件では「ファースト」の性暴力はなかった。このため、「セカンドレイプ」という表現に語弊があると考える人がいるのは理解できるし、そう考えた人が「セカンドレイプ」という言葉を使わないこと自体は特に問題ないだろう。さりとて、では、草津町を「セカンドレイプの町」ではなく「告発者を真偽のわからぬまま町議を失職させた町」と呼んだら何かが変わるのだろうか。いや、何も変わらない。そのことで満たされるのは、ミソジニストの加害欲と町議会のくだらないプライドだけである。
そして皮肉なことに、草津町の一件は、「ファーストがなくてもセカンドはある」ことを雄弁に証明することとなった。確かに、元町議の告発は虚偽だった。しかし、告発直後から懲罰動議にあい、激しい誹謗中傷にあってきたのも事実である。ミソジニストたちは、告発の直後から、ある者は元町議の容姿をあげつらい、ある者は年齢を引き合いに出して罵倒した。そうした行為が、告発が虚偽だったためにどこかへ消えてなくなるわけではない。元町議が嘘をついていたからと言って、ババアだの病院行けだのと罵倒していいわけではない。これは難しい話ではなく、小学生レベルの道徳のお話である。
元町議の居住実態
なお、懲罰動議が告発を理由としていない、居住実態に疑いがあったためだと主張する向きもあるが、全く持って的外れな反論に過ぎない。そもそも、居住実態の問題が持ち上がったのは2020年の、失職処分が県によって取り消された後のことである。
また、朝日新聞の記事 (2019年12月3日) では懲罰動議について『新井氏が「町長室で町長と肉体関係を持った」と発言した点などについて別の町議が「破廉恥で、議会の信用を失墜させた」と指摘し、懲罰動議を出した』とはっきり記述されている。毎日新聞 (2020年2月13日) や読売新聞 (同日) も、元町議の失職処分が一時停止されたことを報じる際に『この問題は、新井氏が電子書籍上で、黒岩信忠町長と町長室で性交渉があったと主張したことなどを町議会が問題視し、「議会の品位を傷つけた」として除名処分を決定』『「町長室で2015年に町長と性交渉をした」との告白を巡って昨年12月に処分を受けた』とそれぞれ記載しており、町議会での発言からも、外的な視線からも、懲罰動議が被害の告発を理由としていることは明白である。
リコールについても同様である。リコールの署名集めは失職処分が県によって取り消された1か月後に始まっており、これを告発と無関係だとする主張はあまりにも苦しい。事実、読売新聞は2020年9月2日に、草津町議会の特別委員会が、元町議の居住実態がないとして議員資格の審議が始まったことを報じているが、元町議へのリコールが居住実態にかかわるものだとすれば、リコールは本来無用の長物である。特別委員会が元町議に議員資格がないと判断すれば、リコールと無関係に元町議は失職するからだ。もっとも、元町議の居住実態については、少なくとも全国紙では続報が見られず、リコールにより元町議が失職したため特別委員会の審議の方が無用になったのではないかと思われる。
もっとも、告発したこと自体を理由とした懲罰動議やリコールであると、他の町議が明言しなかったとしても不思議ではない。草津町議会は告発者への振る舞いによって批判を招いたのだし、注目を浴びていなかった懲罰動議はともかく、リコールにおいてそのような真の動機を馬鹿正直に語るものは少ないだろう。ある程度取り繕うのは当然である。
だが、元町議への度重なる懲罰動議と同時に、元町議の告発を支持した男性町議へも同様に再三に渡る懲罰動議が行われていたことは無視してはならない。これらの懲罰動議が、元町議の告発への反発と無関係に行われていたと考えることは不可能である。
草津町と町長の危い行き先
現実から遠く離れる自己意識
ここからはもう少し批判を深めていくこととする。なお、文意を理解できない人間の目に入りいちゃもんを付けられるのもいい加減面倒なので、ここからは有料とさせていただく。
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