グエルは百合に挟まっていないという百合好きの感想

グエルくんはゴールデンペニスではない

 「女同士でヤってんの?今度俺も混ぜてよ」「男を知らないから女同士でヤってんでしょ?男の良さ教えてやるよ」という、ヘテロ性愛至上主義の男根治療と、それを勧めてくる輩。
 海外ではこれをゴールデンペニスと言うらしい。さらに日本ではファイナルチンコファンタジーと呼ぶとか。

 機動戦士ガンダム 水星の魔女 3話におけるグエルくんが、非常に話題となっている。SNSで見かけたどの意見もグエルくんに好意的だった。筆者も彼に好意的感情を抱いている。
 ただ、百合の間に男が挟まったというようなツイートなども見る。まぁ、分からいでもない。というよりみんなでキャッキャしてるだけなのは分かったうえで言わせてほしい。

 グエルくんは間に挟まってないしそんなことしない!
 
願望もあるけど、現状分かってることを考えても彼は挟まっていないし、そもそも彼はそういった無粋なことをする男ではない、と1百合好きとして考えている。

 この際だから言っておくと、男が出てきたからと言って必ずしも百合が損なわれるということはない
 (水星の魔女が百合作品かはひとまず諸々さておくとして)
 同性関係性作品(少なくとも百合)において、異性が出てくることが関係性を損なう本質ではない。事実、百合漫画において、主人公に告白した男キャラが出てくる漫画がある。月子先生の彼女とカメラと彼女の季節がそうだ。あれもよい百合マンガだった。
 男が挟まること自体ではなく、彼女たちの人となり向き合わず横暴・横柄な態度のキャラクターがすべてを壊していくことこそ、男が挟まる問題の本質なのだ。
 これこそ先に述べたゴールデンペニス、男が挟まる問題の本質だ。

 確かに1話の段階でのグエルはゴールデンペニスだった。というよりも体育会系、いわゆるジョックスと表現する方が正しいだろうか?
 当時の彼の身上を鑑みるに無理のない発言や行動だったと思う。

 しかし3話を見た感想で言えば、彼はもはや1話のゴールデンペニスジョックスとは違うと、筆者は解釈しているし期待している。

 ここからのグエルはこうしてまっすぐな男になったし、それまでどうして横柄だったのか(そして、ゆえに挟まっていない)ということをあれこれ書いていくけど、想像の部分も多大にあることを許してほしい。
 ただ、現状分かっている情報(3話段階)だけとはいえ、彼ら、彼女らの心情をできるだけ斟酌しているつもりだ。


肩書きでしか見られない価値と、敷かれたレール

 水星の魔女は現状、「自分の手でつかみ取る話」なのだと筆者は解釈している。婚約者、学校生活、プライドなど、大きな何かによって定められたものではなく自身の手で勝ち取る話。

 では、何がキャラクターたちに不自由を敷いているのか。親と、鳥籠としての学園ではなかろうか。
 アスティカシアは学校としての機能ではなくむしろ社交界に近い性質を帯びている、と筆者は考えている。
 人として生まれた以上、成人までに必ず学校には通う事になる。なら学校に通うことを建前にそこでコネクションを作り、あまつさえ優良企業の嫡子と結婚なんてできればと、彼らの親が考えるのもまぁ分かる話だ。
 コネなんてあるだけいいし、金や業績が求められる時代ぽいしね。
 宇宙に出てなお血によって家を強化しようという、親の定めたレールに乗る、相手の肩書きや血筋だけが大事ながんじがらめの世界。
 血をコネに、家を企業にリプレイスすれば中世貴族の話からアド・アステラのMS企業(あるいはベネリットグループ)に早変わりだ。
 それを為すための鳥籠があの学園だと筆者は考えている。

 少々前置きが長くなってしまった。

 1話段階でのグエルは相当荒れているというか、横暴で横柄だ。ミオリネに対してはより一層乱暴だったように思う。
 なんでこんなに乱暴なんだと思っていたけど、それも無理からぬことではなかろうか。
 ミオリネさえいなければ自分はホルダーになることを強いられることも、彼女と結婚することもなかったわけだし。
 ミオリネじゃなくても、なんて名前のどんな性別の子だろうとある種グエルにかかる親の期待は変わらなかったと思う。だからといって、彼がミオリネさえいなければと思わない理由にはならないだろう。
 彼の親にとって、ミオリネは「レンブラン家の嫡子」である以上の価値はないし、グエルにとってもレンブランの子でしかなかったのではないか。

 逆説的にグエルもまた ジェターク家長男としてしか見られていないのではないか。
 親が彼に期待しているのはジェターク家のためになるよう自分の言いなりになって期待した結果を期待通りに返すことだけだ。
 グエルが相当優秀なパイロットであること、ひいては彼の努力は現時点でも相当だったのではないかということが伺える。彼が、親に期待以上を返そうとしたのか、それとも自分自身を証明したかったのかは分からない。
 ただ少なくとも、グエルが何をしてもジェターク家長男だからと納得されてしまったのではなかろうか。
 何をしても当たり前(家のおかげ)で、ヘマをすればジェターク家のくせにとバカにされ、そいつらに抗議をしてもジェターク家だからと怯えられ……。
 だから、3話の段階で救われたけど、ある種1話の時点でも彼はスレッタと出会えて(尻を叩かれて)幸せだったのではないだろうか?
 横柄な態度をとるとらないはあれど、ミオリネも同じように強いられる立場にいる。しかも親の貸すタスクでの重要目標だ。
 父親のあの態度を見るに、ミオリネへの冷遇は周囲へ隠そうともしない。何をしても誰に文句も言われないし、自分より立場が上なだけの弱いヤツ、それがミオリネだとすると、周囲やグエルからの陰湿な扱いも納得がいく。

 閉鎖的な環境にスレッタという風が吹き、自分と利害関係になれそうだし人も良かったし、ミオリネが彼女と婚姻関係であり続けようとするのも分かるけど一旦そこは割愛する。


身内以外ではじめて自分を見てくれた(かもしれない)相手

 グエルにとって、グエル自身を見てくれる存在は多くはなさそうだ。少なくとも身近であるはずの親は彼を「ジェターク家長男」としてしか見ていなさそうだ。
 彼にとって自分をグエルとして見てくれるのは、後輩の腰巾着二人と、弟くらいではなかろうか。その弟へも不信感が募って、ちょっと今後の先行きが不安ではあるけど。
 公式サイトの情報から後輩ちゃんふたり(特にフェルシー)はグエルを慕っているっぽい。フェルシーのページには特に「パイロットとしてグエルを慕っている」と書いてあるので、彼にとっては、自分の腕に惚れ込んだかわいい後輩なのだろう。
 弟さんはちょっと家の事情とグエルとで板挟みっぽいから複雑そうだけど、兄を慕っているのでなければ代わりに掃除にきたり兄さん兄さんとしきりに呼んだりはしない……と思いたいけどどうなんだろう。

 閑話休題。

 グエルは敗北を経て結構散々だった。突然出てきたヤツにボコボコにされて、お父さんにめっちゃ怒られて、最近ちょっとおセンシピクチャを見かける銀髪褐色後輩ちゃんには煽られ、挙句「お前の意思とか関係ないわそのMSにお前が乗ってることだけが大事なんやで」とばかりにお飾り扱いを受けた。
 っていう中で「めっちゃくちゃ実は煽り性能高いけどジェターク家としてじゃなくてひとりの人間として見られて」「逃げなかったんだからそいつを貶すのはやめろと1人のパイロットとして認められ」「挙句に勝者なのに『お前を見くびっていた、やるじゃん』と自分の非を詫びてくれた」相手があの全方向たぶらかし水星たぬきだ。
 まぁ、跪いて結婚を申し出るのも分かる。

 そう、彼はあの時膝をついているんです。
 ジェターク家長男として好き勝手振る舞っている時なら「お前、俺の女になれ」がたぶん相場だったんでしょうけど、彼は「俺と結婚してほしい」と、お願いをしている側なんですよね。
 グエルは非常に誇りを持っていたように思う。それは細かい描写からも感じさせられる。ゆえに尊重してくれる相手は尊重する、そうでなければ後輩ちゃんたちが彼についていく理由は(ジェターク家長男以外)はないはずだ。
 挙句、膝で、命令ではなく懇願、お願いしている。
 つまり、彼はスレッタ(ひいてはライバルであるミオリネ)に対してちゃんと1人の人間として相対しているんですよね。彼女たちの婚約を尊重しないわけがない。

 ひとりの人間として認められた以上、同じく彼女たちを認める(と信じている)熱い男、それがグエル・ジェタークだと筆者は思っている。

 よって最初に述べたゴールデンペニス、ファイナルチンコファンタジーの要素は彼にはないんですよ。
 少なくとも、「女より男の俺にしろよ」というような価値観や世界観の男・作品ではないと信じている。
 むしろあの真正面からぶつかるのが好きなグエルのことだし、ミオリネとバチバチに新郎を懸けた結婚バトルをしてほしい、ひとりのライバルとして。

 ちゃんとした関係性や心情の描写もなく、意味もなくただ多数派である異性間恋愛へ移行することが問題。
 だから究極的にはちゃんとした関係性さえ描写されるなら、誰とくっついたってそれはそれで良しと言える、言いたいと思っている。
 ただ、ひとつだけ問題があるとすれば後述するクィア・ベイティングというか、マーケティング問題だ。
 簡単に言えば表紙詐欺だったら嫌だなぁという話。

表紙詐欺

 先ほどクィア・ベイティングと表現させてもらったけど、正確には少し違うのかな、と思うけど近い概念なのでそう評させて頂いている。

クィアベイティングとは、実際に同性愛者やバイセクシャルではないのに、性的指向の曖昧さをほのめかし、世間の注目を集める手法である。

性的マイノリティや、既存の性のカテゴリに当てはまらない人々の総称であるクィア(Queer)と釣りなどに使うエサを意味するベイト(bait)を組み合わせた言葉だ。由来の通り、同性愛者やバイセクシャルであるかのような匂わせをすることで、LGBTQ+の人々をはじめ、世間の人々をひきつけようとするマーケティング・ブランディング手法である。

LGBTQ+が注目を浴びる昨今、クィアベイティングが批判を浴びており、炎上要因にもなりえる。批判される理由は、同性愛者やバイセクシャルのアイデンティティを商品化し、注目を集めるための釣りエサにしている点にある。

IDEAS FOR GOOD
社会をもっとよくする世界のアイデアマガジン

 簡単に言えば「百合だと思った?異性愛だからこれ!」である。もっと端的に言えば「表紙詐欺」だ
 まぁクィア・ベイティングと書くと引用させてもらったようなLGBTを引き合いにした釣りなわけだから正確ではないとは思うのだけれど。

 水星の魔女は非常に楽しみにしていた。これは百合好きとしてでもあるし、単純に面白そうだからというのもある。
 学園もの?で、主人公もヒロインも女性で、「これはどんな出会いをしてどんな関係性に至るのだろう」とワクワクしたし、視聴し始めてなおその期待は良い意味で裏切られ続けている。
 期待以上しか返ってこねぇ!次はどんな展開なの!?まだわたくしを楽しませてくれるの!?といった具合だ。

 ただ、これでスレッタとミオリネの関係がなにも進まず(そんなことはないと思うけど)、ひたすらに男性キャラとの関係ばかり掘り下げされたのであれば、それは表紙詐欺だなぁと思う次第だ。

 濃密な関係性は素晴らしい。それは二者間だろうと三者間だろうとどんな性別だろうと変わらない。筆者は基本女性同士の関係性に狂っているが、男女も、男男にも狂う時がある。本当に、どれも素晴らしい関係性だった。
 ただ、どれだけ面白くても表紙詐欺はその一点においては悲しい。
 そういった表紙のミスリードによる期待と違った展開はそれだけで読者のハードルが爆上がりするし、そのハードルを越えてなお純粋に面白いと言われる作品はそう多くない。

 水星の魔女は面白い。本当にただただ見やすくて面白い。
 それゆえに、関係性においても誠実であってほしいと願わずにはいられない。


終わりだよ~

 正直、水星の魔女現時点で3話まで見て、一番わっくわくした終わり方をしたのは3話だった。
 1話もとてもよかったが、関係性がまだ薄いから「へぇ、今後どんな展開があるんだろうこういうこととかかなぁ」という期待値は高まったが、カタルシスなどはなかったわけで(1話だしね)。

 実は1話の段階でグエルをめちゃくちゃ気に入ってて「こいつがんじがらめで大変だろうけど一度認めた相手には『ふんおもしれー女』するタイプだと思うし一度解き放たれたら面白いやつなんだろうなぁ俺見てぇよ愉快なグエル・ジェターク」とか思ってました。
 まさか3話で首輪を解放リリースされるとは思わなかったけど。

 これからも濃密な関係性描写をお待ちしております水星の魔女さん。

 今後のグエル・ジェタークに栄光があらんことを。
 そして願わくば、スレッタとミオリネのクソデカ巨大感情が摂取できる日がくることを願って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?