「正月から来ないでください」~北区赤羽ー桐ケ丘①~ 2021/1/3
売上3080円/3h、声をかけた人数40人くらい、回ったお家100件くらい
あけましておめでとうございます。新年一発目は北区赤羽。あの論破王ひろゆきさんの地元です。その中でもマンモス団地群として知られる桐ケ丘団地ここは都営団地が所狭しと立ち並び、同時に新旧の団地の改装が行われている。
おめでたいはずなのに、新年一発目に怒られたエピソード、そしてThe買い物弱者の購入者がいたのでそのお話をどうぞ。
いつものルーティンで準備をするのだが、
時間的にも今日は3棟分くらいしか回れないなぁと思ってスタート。団地なので、まずは一番上までエレベーターいき、あとは一階ずつ階段で降りていく。今日はみかん🍊とぶどう🍇ときんかんのおやつ。
いっつもそうなのだが、果物を持つまでは不安が襲う。売れるだろうか?怪しい業者だと思われないだろうか?(最近はリフォーム会社を装って高齢者住宅に侵入してくる悪徳業者がいるらしい)
果物を準備しカゴに入れ、持ち上げた瞬間にスイッチが入る。早くこの不安から逃れたいので、いつもこのルーティンはテキパキ行う。しかし、この日は少し違う。準備が整ってインターホンを押そうとしたときにドアを見るとこれ。
SHI・ME・NA・WA!
これを見た瞬間にまたいらんことを考えるのが僕の得意技。
さぁ始まりました。人間の得意技「勝手に解釈」
やっぱり新年1発目は早すぎたかなぁ、みかんなんてまだまだ家にたくさんあるだろうなぁ、、家でまったりとしたしたいはずだろうし、インターホン押されたら嫌だろうなぁ。
しかも今調べたら、しめ縄って「神の領域と現世を隔てる結界の役割」をしているらしいw。やばい、この中に入ったら、神様に怒られる??いやこっちも現世やし!
このように、あらぬ意味を付けて、行動に踏み切れなくなのだ。
それでも、その壁を乗り越えるのがフルーツボーイ中村。自分の気持ちとは裏腹に、指が勝手にインターホンを押す。実は、この指には、もう一人の人格「ノックマン」が宿っている。ノックをするためだけに僕が勝手に形成した人格だ。だから僕がやりたくないと思っても、ノックマンは勝手にインターホンを押すのだ。
押されたら話すしかない。。ノックマンめ、、この野郎、、
・
・
ピンポーン
中村「こんにちはー!くだもの屋ですけど、、」
客「はい??」
中村「あ、果物屋でして、今、お正月の特売でおいしいみかん売っているんですけど、いかがですか?」
客「あー、ごめん、いま忙しいから」
中村「かしこまりました、ありがとうございます!」
よし。
スタートが切れた。一歩目を踏み出すのは大変だが、ひとたび動き出せば、こちらのもん。あとはノックマンに頼らず、自分でノックしにいくことができる。流れができればスーイスイ。あばよ。ノックマン。まるでスーパーマリオのスター状態になる。
良かったのは、断られ方がいつもと同じということ。始める前に懸念していた「年始だから迷惑」説は、やはり、僕の幻想だった。12件のNoをもらって1Yesをゲット。さすがオレ。決定率は安定の10%前後。
いつものようにNo集めゲームを行っているだけなのだから、精神的にも安定している。(*NO集めゲームは別のnoteでも記載しているので参考にして下さい)
しかし、13件目をノックしたその時、事件は起こった。
ピンポーン
中村「こんにちはー!くだもの屋ですけど、、」
客「はい??」
中村「あ、果物屋でして」
客「正月だから来ないでくださいよ!」
プツン、(インターホン切れる)
中村「・・・失礼しました、」
・・・
ふー。落ち着け。
「年始は迷惑」説はやはり、当たっていたのか?いやいや、これまでは普通の断られ方だったのだから、この人は少数派のはず。よし切り替えていこう。あ~ピンポーン押すの怖くなってきた、、
勇気を出して、
ピンポーン、、、
その後繰り返される。
今回の学び
人はイメージする天才だ。起きている出来事に都合よく、ペタペタと意味を貼り付ける。ポジティブに意味づけするのはいいのだが、どうやらネガティブに意味づけすることの方が得意だ。今回の場合、引き金となったのは玄関に吊るされた「しめ縄」
これを見て「きっと年始だからほとんど断られる」という不安を自ら生み出し、行動できなくなってしまった。ちなみに、しめ縄自体は「正月だから、入ってこないで」とは言っていない。しかし、いつもと同じ断られ方だと認識したら、不安が解消され、ノリノリになる(これはポジティブな意味をつけている。本当に人間は都合が良いw)
そして「年始No」に出会ったら、さっきまでのスーパーマリオスター状態が一瞬にして消え、また落ち込む。こうやって、自作自演で一喜一憂しているのだ。
学ばなきゃいけないことは、人間は勝手にイメージをつけやすい生き物であるという自覚をすること。意味をつけている自分と、起きていることを区別すること。NoはただのNoであり、それ以上でもそれ以下でもないということ。
ちゃんと区別でき、解釈の世界から解き放たれた瞬間に、パワフルに行動ができる。
連続して、自ら会いに行くこの「行商」は、まさに「意味づけから解放」の訓練である。
だから行商は面白い。
あ、長くなっちゃったので、買い物難民の話は次回で
ではー
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