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やりたいこととか夢とか、ないんならそれでいいのだ
一応わらしべイヤーなんてのを名乗って活動していたら、とある方から『やりたいことなんて、なくていい』という本をいただきました。
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この本の第1章に「わらしべ長者的キャリア」というワードがあったからくれたそうです。なるほど、たしかにありますね。
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というわけで、今回はこちらの本を読んでの感想と考えたことをシェアしていこうと思います!
作者の伊藤羊一さんは、『1分で話せ』でおなじみのベストセラー作家ですね。とにかく簡潔に、わかりやすい本を書いてくれる方です。オススメです。
内容をざっくりと
この本は、夢が持てない、このままでいいのかな思っている人たちに対する処方箋です。
彼らに対し作者は、「やりたいことなんて、なくてもいい」と言います。
やりたいことなんてなくても、目の前のことを突き詰めたら見えてくるものがきっとある。いろいろ引き受けて120%の力を注いでやってみなさい、とのこと。
そうすると、下の図のような流れで成長できるんだそう。
いろいろ引き受ける
↓
120%の力を注いでやる
↓
いろいろ頼まれる(+助けてもらえる)人になる
↓
いろいろやれる人になる
わらしべ長者的キャリアってなんだよ
この本を読んでずっと腑に落ちないなあと思っていたのは、わらしべ長者的キャリアというたとえです。
なぜ「目の前のことに120%の力を注ぐ」ことをわらしべ長者的キャリアとたとえるのか今いちピンと来ませんでした。アホなもので…。
ところが、別の本からハッとするような解答を得られたのです。少し長い引用になりますが、これを読むとスッキリとわかります。
ありがとう、内田さん!
それがこちら↓
もちろん、ある種の信仰があるべきだとは思うんですよ。「努力したら、最終的には報酬がある」ということは言ってもいいと思う。でも、どんな報酬がいつもらえるのかは事前には予測できない。ある種の努力をしているうちに、思いもかけないところから、思いもかけないかたちで「ごほうび」が来る。それはまさに「思いもかけないもの」であって、努力の量に相関するわけじゃない。
『わらしべ長者』みたいなものでね。虫を捕まえて、それをわらしべにゆわえつけたときには、「これをミカンと交換しよう」なんて全然思ってないわけでしょう。でも、虫をつかまえるときにはけっこう必死に体を動かしたし、わらしべにゆわえつけるときもそれなりの手先の技術を駆使した。努力ってそのことなんだよ。それがどういう報酬を約束するかなんてことは努力している時点では誰にも予測できない。でも、何もしないでぼおっと「虫うるせえな」と手で追い払っていたやつと、その時の当面の課題に対してとりあえずけっこうまじめに取り組んだ人間との間にいつの間にか大きな隔絶が生じる。そういうものなんですよ。
『評価と贈与の経済学』内田樹、岡田斗司夫FREEex著
こちらの方が非常にわかりやすいです。僕はこれで腑に落ちました。
いつか何らかの形で
努力は報われる。
ただし、予想した通りの形でとは限らない。
これが、本を通して僕が内田さんから習ったことなのでした。
しかし、世の中を見渡してみると、思った通りにならないとすぐに怒ったり拗ねたりする人がけっこう多いようです。
もし親が子どもの教育にこんな考えを持ち込むと大変ですよね。子どもを産んで育てても、報われるのは何十年後かはわからない。
全く報われないどころか、時には仇で返されたと感じるようなこともあるかもしれない。それでも、世の母親父親は子どものために働きますし、新しく学ぼうとしますし、時間も愛も注ぎ続けるわけです。
世のお父さんお母さんがそんなことができる理由の一つは、子育てに野望や夢がはっきりあるわけではないから、かもしれません。
子どもがどんな人間になろうと幸せになってくれればそれでいい、くらいに思っている親が多いのではないでしょうか。だからといって、テキトーにやっているわけでもなくて。むしろ常に全力で向き合っているわけです。
そう考えると、わらしべ長者的キャリアって、子育てのようなものなんじゃないか。
いつかいいこともあるさ
はっきりとした野望ややりたいことがないのなら、「まあいつかいいことあるよ」くらいのスタンスで、目の前に小さなゴールを設定しながら本気でやれば良いのではないでしょうか。
遠くにある大きすぎる野望を無理に追いかけるというのは、ある意味で虚しいことです。夢が叶った瞬間を味わう時間より、夢を追いかけている時間の方がうんと長いんですから。
それはつまり、いつも理想と程遠い自分に不甲斐なく思っていることになるとも言えます。
結論:
野望がなくても安心していいし、野望があっても日々小さな喜びを見出すために小さなゴールがいくつもあった方がいい。
長い目で見て幸せになる可能性を増すような活動を日常的に作ろう。
ではでは。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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