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神社の別当寺をもとめて

【平井俊徳の村々探訪】
本組編 第2回


荒立神社の第2の鳥居を下から見て右側、くしふる神社方面へ行くと神漏岐堂(かむろぎどう)が左手にあります。

宮尾野下という小部落名で、ちょうど二十体王の宮の下らへんになりますが、この辺を無間堂という地ということみたいです。
この辺にはお寺が2つあったとのことです。

1つは多福庵、これは天台寺であり本尊地蔵の庵であるとのことです。

荒立神社の別当となります。

眞名井の北、川上30メートルくらいの所にあるというので、神代川沿いだったのかもしれませんね。

そして、もう一つ、万神源寺(まかげんじ)。

ここは禅寺で本尊あみだとあります。

この本尊は大変立派で興梠家の仏間に安置していると聞きます。

この万神源寺は二十体王の宮の裏仏と言われ、眞名井通りの左上の高地にあったそうですが、尾ノ上堂(天眞名井の西の岡)へ移したが、道路拡張の為、少し上に移し変えて祀っていました。藤岡山中腹になります。

小学校入り口右手になります。



高千穂小玄関から見て左手の山手にあります。

二十躰王の宮の別当ということです。

二十躰王の宮とは天孫降臨の際に従ってお降りになった内の二十躰の神さまを祀るお宮であったとのことですが、どこにあるか分からない状態だったそうですが、古文書に添って調べた所、今のところに石が見つかったとのことで、宮があったと思われますが、天孫降臨は大陸からの移住説もあり、王とはワンと読む、ワンさんという人が住まわした所ではないかと荒立神社の宮司さんは話してくれました。まぁ、豪族がいたんでしょうかね。

荒立神社の参道途中右手に見え、ここから登っていきます。

二十躰王の宮です。

どちらにしても、昔から住んでいたものがいたでしょうから、大切にしなくてはいけませんねということでした。

王の宮を更に上にいくと、宮地嶽神社があります。

宮地嶽神社は天照大神と素戔嗚命が誓約(うけい)し生まれた、沖津島比売命(オキツシマヒメノミコト)、市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)、多岐津比売命(タギツヒメノミコト)の三女神が祀られています。

ここから山道を歩くとくしふる神社へと繋がっています。

くしふる神社についてはまた後日。


藤岡山から一本木交差点側には高千穂高校の学生寮がありますが、この付近の今は人家になりましたが、ここは佐久良森と言われ、ヒコホホデミノミコトがお生まれになったと言われる所で、ニニギがコノハナサクヤヒメに一夜で妊娠するとは、俺の子じゃないだろうと言って、コノハナサクヤヒメが戸無し八尋殿にて、火をつけ、天つ神の子なら産むことができましょうと言って、無事に出産できたと言われている場所になります。


家付近になります。

そして、宮尾野橋、神代川沿いに佐久良谷という水神様があります。



ここで、ヒコホホデミノミコトが産まれた際、お洗いになった産湯であると言われています。


参考文献

高千穂村々探訪

神々の里本組 たかまがはら

高千穂の民家

#高千穂 #王の宮 #宮地嶽神社 #興梠

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平井俊徳
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