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無職日記#9 無職と保険料という名の重み
無職になって、最初にしたことのひとつが、保険証を会社に返却することだった。これまで何気なく使っていた小さなカードが、突如として私の手元を離れていく。新しい保険を選ばなければならないという現実が、あの瞬間にずっしりと肩にのしかかった。
選択肢は二つ。国民健康保険か、任意継続保険か。国民健康保険は前年の収入で計算されるので、初年度は高額になると聞いた。それなら任意継続の方が安いらしい。そんな話をネットで調べ、任意継続保険を選んだ。けれど、先日その保険料を支払ったとき、私は思わず固まった。これが「安い」保険料だって?額面を見て、一瞬目を疑った。
会社員だった頃、保険料なんて気にもしていなかった。それどころか、自分が支払っていることさえ忘れていた。給与明細に書かれた控除欄を流し見し、「ああ、なんか引かれてるな」と思うだけだったのだ。けれど今、その「引かれてるな」の部分が、全部自分の財布から出ていく。会社が負担してくれていた半分を、私が肩代わりする形になった。それを初めて実感し、「健康を守る」という言葉の重さに呆然とした。
しかも、振り返ってみれば、これまでの私はほとんど病院に行ったことがない。歯医者に通ったくらいで、大人になってから大きな病気もしたことがない。そんな人間が高額な保険料を払うことに、正直なところ少し疑問が湧いてしまった。「これ、本当に必要なん?」と。もちろん、将来の備えとしては重要な制度だということは理解している。それでも、心のどこかで「もう少し安くならんのか」とつぶやいてしまう自分がいる。
さらに年金だ。会社を辞めてから、自分で払うようになったこの制度もまた、重い。保険料と年金を合わせたら、毎月の支出の3~4割を占める。残高がじわじわと減っていく口座を見て、テンションがだだ下がりしたのは言うまでもない。これからしばらくこの状態が続くのだと思うと、ため息が止まらない。
お金は現実そのものだ。そして、現実から目をそらしているうちは、何も解決しない。今までの私は、社会保障に守られた側にいて、その現実を直視することなく過ごしてきた。けれど、無職になった途端、その守りの一端を自分で担うことの重さを知った。
それでも、冷静に考えれば、保険も年金も、社会という仕組みの中で私たちを守るために存在している。これを支えることが、自分自身の将来や、社会全体の安定につながるのだろう。とはいえ、「わかっているけど高いなぁ」と思う気持ちはどうしても消えない。いつか私も、これらの制度に助けられる日が来るのかもしれない。でもその未来は、今の私にはまだ遠すぎて見えない。
結局のところ、社会は「つながり」によって成り立っている。誰かが支えるからこそ、誰かが守られる。その構図を理解することが、無職になって得た大きな気づきのひとつだったのかもしれない。だからといって、「しんどいものはしんどい」という感情がなくなるわけではないけれど。
今もなお、減りゆく口座残高を見ながら、私はため息をつく。
「人生とは、自分を見つけることではなく、自分を作り上げることである。」
今のこの現実も、私を作り上げるための材料なのだと思えば、ほんの少しだけ気が楽になる気がする。