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第60話 アポトーシス 【自作小説】アオハル・イン・チェインズ 桜の朽木に虫の這うこと(二)
「これ、は……」
万城目日和が放った紫色の煙。
それをモロに浴びたウツロは、次の瞬間、地面へと倒れこんだ。
「アポトーシスだ、ウツロ。仕組み自体は俺にもわからねえんだが、こうしておまえの細胞の情報を調べてだな、この世にただひとつ、おまえだけを確実にぶち殺せる毒ガスが作れるってえ寸法よ」
「が……あ、が……」
コンクリートをかきむしり、もだえ苦しむ。
形容しがたい激痛が、彼の全身をじわじわと蝕んでくる。
トカゲは悠々と、転がる毒虫を見下ろした。
「苦しいだろ? 地獄を見ながらあの世に行くことになるから、せいぜい味わってくれや。はっは~!」
万城目日和は嘲笑した。
だが、そんなものを耳に入れる余裕などない。
それほどの苦痛だった。
「うが、あ、が……」
肉体が崩れていく感覚。
完成したジグソーパズルのピースが、勝手にぺりぺりとはがれていくような。
少しずつ、だが、確実に。
痛みだけではなく、そんな感覚が名状しがたい恐怖感を生み、ウツロの精神をも粉々に破壊しようとする。
「う、う……」
動きがどんどんと鈍くなる。
毒虫のデータをもとに、トカゲが作り出したアポトーシス。
その効果によって、体細胞が分解されているのだ。
「う……あ……」
うめく声すらも、ほとんど聞こえなくなってくる。
万城目日和はいよいよ面白くなって、ウツロの近くに顔を寄せた。
「へへっ、まさに虫の息ってか? とんだ皮肉があったもんだな、あ? ウツロおおおっ!」
「うっ……うっ……」
体中から血が噴き出す。
その無残な光景に、トカゲは勝利を確信した。
「どうだウツロ? 何か言い残す言葉でもあるか? ま、口に出せるかどうかが問題だがなあ。ははっ!」
「け……け……」
「ああ? なんだって? 聞こえねえなあ」
万城目日和はさらに顔を近づけた。
「助け……たす、け……」
トカゲの顔に亀裂が入った。
「ははっ! こりゃ傑作だ! おまえが命ごいとはなあ! しょせん、そんなもんなんだよ、ウツロ! 人間なんてなあっ!」
毒虫のすぐ横でゲラゲラと笑う。
しかし、そのとき――
「おまえを、助け、たい……」
ささやきにすらなっていないような声。
トカゲは目を真っ赤にした。
「なっ、なめやがってえええええっ……!」
激高した勢いで、毒虫の腹に拳を振り下ろす。
「ぐふうっ――!」
噴水のように吐血し、完全に動かなくなった。
トカゲはゆっくりと、手を引き抜いた。
そこには大きな穴が開いている。
「ふん、やっとくたばったか、ウツロ」
生気など感じない。
死んだ、ウツロは、死んだ……
「以外にあっけねえじゃねえか。ははっ、このガス、殺虫剤にでもしたら売れるかもな」
万城目日和は勝利した。
だが、わき上がってくるのは歓喜ではない。
むなしさ。
それはまるで、底の見えない淵でものぞきこんでいるかのような。
彼女はかかんで、宿敵の死に顔を見つめた。
「これでよかったのかな、父さん……こいつを殺せば、あるいは見えると思ったのによ……なんだか、なんだかね……」
なぜだ?
なぜ、涙が?
止まらない、あふれてくる……
「父さん、俺は……」
穴の開いた腹部、そこに水滴がこぼれ落ちる。
「ははっ、まるで抜け殻だな……」
抜け殻、抜け殻……
何気なく言い放った言葉に、自身がハッとなった。
「――っ!?」
遅かった、すでに。
「が……」
トカゲの胸ぐらに、硬い拳がめりこんでいる。
「あ、が……」
急所へモロに入った一撃。
万城目日和は足を震わせながらしりぞいた。
「なん、で……」
「抜け殻」の中から、新しい腕が伸びている。
「脱皮、した、だと……?」
トカゲは体をかかえこみ、やっと地面に立っている状態だ。
「油断したな、万城目日和? よかった、間に合って」
穴の中から声が聞こえ、腕に続き、全身がぬうっと姿を現す。
彼だ。
「ウツロ、てめえっ……!」
万城目日和は飛びこんできた映像に戦慄した。
「どうかな? 新しいデザインは?」
現れた毒虫の戦士。
しかしその姿は、さらに美しく、さらに鋭利になっていた。
より人間の形に近づいた容姿。
だがそこからは、以前とは比較にならないほど、まるで突風のようなオーラが放たれている。
トカゲは圧倒され、全身が委縮した。
「名づけて、エクリプス・セカン――!」
ウツロは高らかに、アルトラの進化を宣言した――