父を看取った時のこと
こんにちは。
マキです。
4ヶ月前に、天国に旅立った父を看取った時のことを書きます。
父が退職したのは2年前。70歳。
最近は、コロナもあったので、あまり外出せず、テレビ視聴、時々タバコを買いに自転車でコンビニへ。そして、月に1、2度顔を見せる私や姉、孫との会話。複数の友達とは電話やメールのやり取り。
人付き合いを大事にしていた人なので、充実した日々だったと思います。
ただ、時々、お腹を痛そうにしている仕草は確かにありましたが、病院嫌いでガマン強い父なので、自分から受診するというわけもなく。
父が突然体調を崩し、食事を一切取れなくなった。イヤがるけれども、半ば無理やり病院に連れて行くと、大きな総合病院を紹介されました。
そこで様々な検査をしました。
父のお腹の中には、いくつものガンがありました。
お医者さんからは、
『いつ心臓が止まってもおかしくない。それが来週なのか、ひと月後なのか。そういう状態です。』
と、告げられました。
荷物を用意し、すぐに入院。
母と姉と私でほぼ毎日面会に行きましたが、コロナがあるので、面会時間は、わずか5分。
毎日、少しずつ父の生命の光が弱くなっていくように見えました。時には快方に向かっているように見える日もあるのだけれど、その翌日には、意識が朦朧としていたり。上下しながらも次第に弱くなっていく。
意識が有る日は、私達が帰ろうとすると、父はとても寂しそうな表情をしていて、それがつらかった。
ひとりで過ごす時間、少しでも気持ち良くいられるようにと、ラジカセとCDを持ち込み、病室で父の大好きなジャズを流しました。
病院からは、危篤状態になったら電話がかかってくるとのことで、電話が鳴る度にその連絡なのではと、怖くて仕方なかった。
入院してひと月後、とうとうその電話が鳴りました。
私達は急いで病院に駆けつけました。
父は、止まりかけそうな深い呼吸をしていました。
母と姉と私で父の手を握りながら、
お父さん
大好き
愛してる
ありがとう
と何度も何度も伝えました。
お父さんが大好きな、ジャズのCDをかけました。
父の呼吸がどんどん遠くなるのがわかりました。
心臓の状態を示す数字が小さくなっていきました。
3時間後、父は息を引き取りました。
心臓が先に止まり、その数分後に息が止まる。息が最後なんですね。だから、息を引き取るって云うんだ。そして、耳も一番最期まで聞こえていると看護師さんから教えていただきました。
握り返す力は無かったので、こちらから一方的に握っていた手。
最期の瞬間、父からきゅーっと握り返してくれた。
スピリチュアルな感じになりますが、
その、手をきゅーっとした時に、
『ヨイショ』と身体から父の魂が脱出したように感じました。
なんでそう思ったかと言うと、その後から、父の顔を見ても、どうしても抜け殻にしか見えなかったからです。
あ、父のこの身体に話しかけても、ここにはいないな、という感覚。
大泣きしているのに、落ち着いて現実を見ている自分も居ました。
私は、身近な人を亡くしたことが今まで無く、初めての経験でした。
全ての人はいつか亡くなる。
これは、絶対なのに、頭ではわかっていても、それは、自分の現実の中には今までなかった。
私は、人の死を遠くに置き過ぎていたように思います。
遠くに置きすぎて、
受け入れるのに、時間がかかる。時間をかけたい。
すぐに受け入れたくない。
あっさりと過ぎ去りたくない。
前向きになりたい自分と、まだ悲しんでいたい自分、
どちらも私の中にいます。
私にとっては、余りにも突然で、
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