ぽてと元年 第二回 サウナと即位
令和になったから、というわけではないが、5月から仕事場の近くにあるジムに通うことにした。最初が肝心だと思い、6時45分に起きて、7時15分からのレッスンに参加しようとしたら、ジムの入っているビルの電気が消えていて、自動ドアが開かない。
立ち尽くしているのは私だけではなかった。半ズボンのトレパンをはいたお兄さんもそこにいて、そっと自動ドアの開閉ボタンを押し、「なんで」とつぶやいた。このお兄さんも5月からジムに通いはじめて、私と同じような志でやってきたのかもしれない。
私は思わず、「開きませんね」と声をかけた。一緒にうろうろしていたら、エレベーターが見つかった。ジムのある5階を押したら、お兄さんは2階を押す。同胞だと思っていたが、違うのかもしれない。2階でドアが開いたが誰も降りず、お兄さんと5階で降りた。
ガラス張りのジムの中は暗く、明らかに閉まっていた。祝日は10時から始まると書いてある。私たちはちょっと顔を見合わせて、のそのそとエレベーターに戻って、少し会釈をして別れた。
そのまま仕事場に行ってもよかったが、喫茶店でモーニングを食べようと思った。駅から少し歩き、いつもモーニングの看板が出ている喫茶店にいくと、7時30分から開店するという。開店まで15分もある。駅の反対側にある富士そばの電気はついていたと思い出し、駅を目指して歩いていると、トレパンのお兄さんとまた出くわした。ふたりともちょっとわざとらしく驚いたふりをして、別れた。
富士そばをのぞいて、その隣の吉野家と、日高屋をのぞいた。そもそも私はモーニングを食べようとしていたのだ、と当初の目的を思い出し、けっきょく最初の喫茶店に戻った。もう開店している。一番高いモーニングセットを頼んだ。
食パンとオムレツとサラダとコーヒーにマーガリンがついている。そういえば大学時代の友達がマーガリンの原料をつくる会社につとめているので、マーガリンを積極的に買う時期があった。そのことを友達に伝えたら、「バターの方がおいしい」と言ったので、それ以来バターを食べている。
久しぶりにマーガリンをパンに塗って食べたら、これはこれで悪くない。コーヒーを飲みながら藤本和子の『塩を食う女たち』を読む。本は面白く、コーヒーはまずい。
仕事場で4時間ほど仕事して、再度ジムに行った。今度は開いていた。私は新人の会員なので、タオルを無料で使える。さらにオプションをつけると、トレーニングウェアも借りたい放題らしい。毎日洗濯することを考えると魅力的だったが、男性はブルーで女性はピンクという色分けが、素敵とはいえないので悩んだ。ジムの中を見ていると、みんな思い思いのイケている服を着ていた。黒いタンクトップに短パン姿のお姉さんたちがかっこよく見えた。
新人の会員はさらに、水素水も飲み放題だった。抵抗したい気持ちはあったが、せっかくなので、お言葉に甘えて飲んでみることにした。仰々しい機械に専用のボトルをセットすると、近未来的なやり方で水素水が注がれた。何事も演出だ。味は冷たい水だった。
初日なので、ランニングマシーンで20分だけ走ることにした。マシーンにはモニターがついていて、風景を選べるようだった。私は海のコースを選んだ。走り出すと、モニターの景色もぐんぐん後ろに動いた。海は眩しいくらい太陽を反射していて、途中から犬が走りこんできたり、パラグライダーが飛んできたり、馬が横から駆けていって、飽きることがなかった。
運動は早々に切り上げて、サウナに入ることにした。ジムにはスパも付いているのだ。サウナの扉を開けると、一番下の段にいるおばさんに片言で「王様が出ているよ」と話しかけられた。なにかと思ったら、サウナの大きなテレビに天皇陛下の即位儀式が映っていた。「ああ、そうですね」と相槌を打って私は一番上の段に座った。なにが、そう、なんだろうと自問したが、すぐにサウナの熱さでどうでもよくなった。
だんだんと人が入ってきて、8人になった。片言のおばさんの隣には、途中からやってきたおばさんが座り、2人で世間話をしていた。
「令和、響きがかわいいね」
「そうね」
「令和も、平和だったらいいね」
「そうね」
おばさんたちの言葉がサウナの蒸気に溶ける。
私たちは8人で膝を抱えながら、天皇陛下の旧友だという男性が、大げさな尊敬語を使いながら、その人柄を語っているのを見ていた。「快活」だという。言われてみれば、快活に見えてきた。暑くてよくわからない。片言のおばさんは、台湾には白く濁った温泉があると話した。
シャンプーは最悪の品質だったが、ドライヤーの風圧が強かったので、私はご機嫌だった。血行が良くなったので、肩が軽い。きしむ髪を手櫛でとかしながら更衣室を出る。「令和」と書かれたTシャツを着たお姉さんとすれ違った。
筆者紹介
山本ぽてと (Twitter: @YamamotoPotato)
1991年沖縄生まれ。今年から家での飲酒は週2回までと決めた。お酒はちょっとだけ体にいいと信じていたが、ただ体に悪いと知った。連載に「在野に学問あり」。