ぽてと元年 第五回 知らない人の法事へ行く
投資信託が暴落しているらしい。何度目かのお知らせのメールをスマートフォンで確認している。窓からさす朝日が目に痛くて暑い。
私の実家は私が中学生ぐらいのときに、オシャレな建築士がつくったものである。そのオシャレな建築士は黒縁の眼鏡をかけていて、妙な匂いのする香水をつけた若い男だったので、多感な時期の私はすぐに嫌いになった。
家には、やたらと日光がさしこむようになっていて、ついでにやたらと間接照明がある。玄関に6個、居間だけで8個ある。現実的な人間である母と、ものぐさな父と私の生活をまったく考えていない設計になっている。
間接照明が多いと、影が複雑になっていくけれど、沖縄の陽射しはその複雑さを見えなくするくらい眩しいし、UVケアも怠れない。
間接照明が5個ある台所でコーヒーを飲んでいたら、仕事の支度をしていた母が「今日の昼、暇? お母さんの代わりに法事に行ってくれない?」と聞いてきた。
花粉を避け、東京から沖縄の実家に戻ってきている。家で仕事をするということは、自由な時間がたくさんあると見なされがちである。
「法事? 誰の?」
「比嘉のおばぁのところ」
「比嘉のおばぁって誰?」
「おばあちゃんの、またいとこ」
「私、知らんよ」
「川沿いの家、知らない?」
「知らない」
「まぁ、お母さんも比嘉のおばぁはよく知らんけどね」
母もよく知らない人の法事に、母の代理で行けという。だいぶ無茶な気がする。
「それ行かないとだめ?」
と3回ほど確認した。
家にはやたらと花が飾ってある。母は今年の3月で長年勤めていた幼稚園を定年退職するので、父兄や元教え子などからたくさんの花をもらったようだ。花粉症で敏感になった私の鼻は、生花のそばを通る度にむず痒くなるが、そのことを口にだしてはいない。
「お母さん、定年だから、忙しいわけよ」
と母が言い、仕方なく行くことにした。母のお姉さんのトコおばさんが迎えに来てくれるのだという。母は「黒いカバン持ってる?」と私に聞き、「持ってない」と言ったら、総レースの黒いカバンを引っ張りだしてきて、台所のイスに引っかけ、その中に香典を入れ、その足でそのまま仕事に向かった。
ヤギの世話を終えた父が家に戻ってきた。
「今日、法事に行くことになった」
「誰の?」
「比嘉のおばぁ」
「誰よ」
「知らんおばぁだけど、行ってくる。トコおばさんが迎えにくるって」
そうねぇ、と父は言い、「それならトコおばさんにじゃがいもを持たせたらいいさ」と言った。
父は数年前に退職し、地元の有志とともにヤギ小屋をつくっている。そして今はその横に畑をつくっているらしい。「ヤギ農園という画期的なシステムだから取材に来て」と地元の新聞記者に電話をかけているのを先日聞いた。「ヤギが歩く道をヤギロードと呼んでいます」と自慢げだった。
そうこうしているうちに、トコおばさんが車で迎えにきた。私は母からかりた総レースの黒いカバンをひっさげて車に向かった。後ろの席には、見たことはあるけれども名前は知らないおばさんが乗っていた。たぶん、お母さんのいとこか、お母さんのいとこのお嫁さんだろう。お母さんのいとこだけで50名ほどいるので、私はあまり正確に把握していない。
「お久しぶりです」と挨拶して、車に乗り、「あ、帰りにじゃがいももらってってください」と父のヤギ農園の話をした。川沿いのガタガタした道を走り、比嘉のおばぁの家についた。やっぱり知らない家だった。トコおばさんが車を停めにいったので、私は知らないおばさんと門の前でぼんやりした。知らないおばさんは門に植えてある木が花をつけているのを見て、
「この木はよくあるけど、花がピンク一色というのは珍しいね。ふつうは、白い花とかもまじるけどね」
と言った。私は「あー、珍しいですね」と相槌を打ち、今の「あー」の音程はズレてしまったと思った。
トコおばさんが小走りでやってきて、3人で門から入った。庭には大きなサボテンがあって、黒いひもでぐるぐる巻きに固定されている。
「あ、セコム」
と知らないおばさんが言い、確かに、サボテンのトゲトゲはセコムのようなものだと思って私は笑ったが、玄関に「SECOM」と書かれたステッカーが貼られていた。
家に入ると、線香の匂いがした。10人くらいの高齢者たちが、ぼんやりしたり、お喋りしたりしていた。
出迎えてくれたのは、知らないおばあさんや、知らないおばさんだった。やっぱり、全然知らないなと思った。私は挨拶をし、母の代わりに来たことを伝えた。持っていた総レースのカバンから、香典を取り出し、仏壇に手を合わせた。
仏壇の写真は知らないおじいさんだった。比嘉のおばぁではなく、比嘉のおじぃの法事だったのかと思う。比嘉のおじぃは、眩しそうに目を細めて笑っている。写真の画像は少し粗い。3年前に亡くなっていることも知った。
黒い服を着た比較的若い女性が運ぶ、黒いお盆に載って、弁当、小鉢のキュウリの和え物、小鉢の大根と油あげの炊いたもの、吸い物、手作りシークワーサーゼリー、缶に入った細い爽健美茶が出てきた。弁当の下には香典返しと、畳まれたビニール袋が敷いてある。こういう時、だいたいは小鉢や吸い物などを食べ、弁当は持って帰る。私たちは正座して、吸い物をすすり、「ごま油がきいておいしいさ」などと言いながら、小鉢をつつく。
亡くなったと思った比嘉のおばぁが、腰を曲げながら歩いてきて、私の肩や、トコおばさんの肩、ふすまなどを手すり代わりにして椅子に座った。「今日は、ありがとうね」と比嘉のおばぁは言い、「トコさんも、ミナコさんも」とトコおばさんと知らないおばさんの顔を見ながら続け、(私はこの時、知らないおばさんの名前はミナコさんだったと思いだした)私の顔をじっと見たので、「次女の長女です。今日はお母さんの代わりにきました」と挨拶をした。
「そうねぇ、こんな大きい娘がいるんだね。わざわざありがとうね」
と比嘉のおばぁは言ったが、たぶんそもそもの「次女」にもあまりピンと来ていないようだ。
「だぁ、あんたシークワーサーゼリー食べてね」
と、若い女は甘いものが好きだろうという老人なりの親切さで私に黄色いゼリーを勧め、すぐにミナコさんの方を向き、
「あんたのところ、孫はいるんだっけ? 」と聞いた。
「いますよ」
「そうねぇ」
「10人います」
「すごいね」
比嘉のおばぁは、眠そうな目を大きく見開いて驚いた。この眠そうな目は、言われてみれば私のおばあちゃんに似ているような気がする。
「いっぱいいて上等さ、近くにいるの」
「みんな近くにいますよ。毎日ドンドンドンドンして、うるさいです」
「いいねぇ。あのさ、家に人がいないと、家が静かでしーんとしてさ、寒くなるよね。不思議よね」
トコおばちゃんとミナコさんは深く頷いた。私もサボテンが守る比嘉のおばぁの家の、それから間接照明がやたらと多い実家の未来の、寒さを思った。
帰り際、「だぁ、あんた、たくさん持っていきなさい」と比嘉のおばぁはシークワーサーゼリーを多めに私に持たせてくれた。私にとって知らないおばぁであるし、おばぁにとっても知らない若い女だ。私達のあいだには、薄い血縁と、シークワーサーゼリーの移動しかない。私は丁寧にお礼を言った。
トコおばさんの車に乗り込んだが、しばらくエンジンがかからなかった。でも2分くらいしたら、問題なくかかった。
「なんでだろうね」
「不思議ね」
「そういうこともあるんだね」
と言い合っているうちに私の家に着いた。
「じゃがいも、持ってってくださいね。ミナコさんも」
と私は声をかけ、急いで間接照明の多い家に戻り、玄関の戸をあけたままにし、黒いパンプスを放りだし、台所の電気を3つくらい乱暴につけて、ビニール袋を2つ取り出し、段ボール箱に入っている思ったより小さなじゃがいも達から比較的大きくて綺麗なものをよって入れた。
玄関にあった適当なスリッパを足につっかけ、急いで車に戻り、パンパンに膨れた袋を渡すと、
「あら、かわいいね」
「かわいいさ、上等さ」
と2人はジャガイモの小ささにちょっと笑って、車は去っていった。
玄関に戻り、戸を閉めようとしたが、建付けが悪くて閉まるのに時間がかかった。黒いパンプスを靴箱に入れようとしたら、母からかりた総レースの黒いカバンを車の中に忘れたことに気がついた。
筆者紹介
山本ぽてと (Twitter: @YamamotoPotato)
1991年、沖縄生まれ。主にインタビューや構成をしている。B面の岩波新書で「在野に学問あり」、BLOGOSにて「スポーツぎらい」を連載中。30を手前にして身長が伸びた。