ぽてと元年 第八回 東京とピザ
ハヤオキさんとはじめて会ったのは4年前で、ふたりで池袋の居酒屋へ行ったのだと思う。なぜ会うことになったのかはよく覚えていない。たぶんどんな人か興味を持って、仕事を頼んだメールのついでに、私が飲みにいこうと誘ったのかもしれない。彼女は私と同い年で、沖縄出身で、文字起こしの仕事をしていた。こんな人がいるんだと思った。もらった原稿はとても丁寧だった。
駅で待ち合わせをした。はじめて会ったハヤオキさんは、小柄でかわいらしい人だった。ワンピースの下にジーンズを重ねていて、それがよく似合っていた。
ハヤオキさんは東京に来て仕事をはじめたばかりで、私はフリーでライターをはじめたばかりだったように思う。「お前は居酒屋で頼むメニューが悪い」と職場の上司に怒られているのだと言っていた。細かい上司だなと思ったが、確かにその日、天ぷら盛り合わせと、コーンの天ぷらを頼んでいた。
「その頼み方はひどいかもしれない」
と私が笑いながら言うと、
「天ぷらが好き」
とだけ言って、ハヤオキさんは少し恥ずかしそうにした。静かな声で、正直に話す人だと思った。あとよくよくお酒を飲んだ。おじぃとおばぁは、いつか死ぬ、という話をした気がする。天ぷら盛り合わせには、コーンの天ぷらも入っていたので彼女にゆずった。
帰り際、ふたりで夜道を歩いた。寒かったのか、暑かったのかも覚えていない。ぽてと氏、ぽてと氏、とハヤオキさんは小さな声で私を呼んだ。ぽてと氏、東京に来たからには、合コンがしてみたいよ、とハヤオキさんは言った。なんのあてもなかったけれど、「お安い御用だよ」と私はちょっと東京の先輩風を吹かせて言った。
また遊ぼうね、と自然に言い合って帰った。きっとこういう声が小さくて正直な人の仕事は信用できるなと思った。また仕事を頼もうと決めた。そのあとハヤオキさんのTwitterを見たら「おじぃは死ぬ」とつぶやいたあと、「おばぁも死ぬ」とつぶやいてあった。
それから時々、遊ぶ仲になった。大人になってから同郷の友達ができるのは嬉しいことだった。気がつけばハヤオキさんには彼氏が出来ていた。一度だけ会ったことがある。背が高く眼鏡をかけた穏やかな人だった。
2年ほど前、ハヤオキさんと映画「おっさんずラブ」を観に行った。珍しく、彼女から誘ってくれたように思う。映画を観て、喫茶店でコーヒーを飲んだ。地下鉄の乗り換えで別れようとして背を向けたら、ぽてと氏、ぽてと氏、と小さな声で何回も私の名を呼んだ。その声に切迫したものがあったので、なに? 虫ついてる? なに? と私は慌てて身体のあちこちを確認した。
「ちがう、結婚する」
とハヤオキさんは言った。あと、レーズンサンド、この前長野に行ってきたから、忘れてた、と個包装のレーズンサンドをくれた。
「あの人か、いい人だよね。おめでとう」
「そう、いい人」とハヤオキさんは言った。それ以上は言わなかった。彼女らしい、結婚報告だと思った。
先日、ハヤオキさんから珍しく、ご飯に行こうと連絡が来た。しばらく夫とともに沖縄に帰るのだという。大森駅で待ち合わせをした。相変わらずワンピースの下にジーンズを重ねて着ていて、それがよく似合っていた。
「お腹、目立つかな」
と聞かれたので
「そうだね」
と私は答えた。
「そうか」と言って、それが良いことなのか、悪いことなのかは言わずに、ハヤオキさんはお腹をさすった。
「いつ、沖縄帰るの?」
「明日」
「急だね」
「急だよね」
と他人事のように言う。
「けっこう長いの?」
「長いかもしれないし、長くないかもしれない。まだ決めてない」
少し道に迷って、ピザ屋さんについた。「帰る前にここのピザを食べたかったんだ」とハヤオキさんが言う。
私はワインを、ハヤオキさんはノンアルコールビールを頼んだ。
「人の出産って、気軽におめでたいなと思ってしまうけど、当人は大変だよね」と私は正直に口にした。
「そうね。深く考えないようにしている」
とサラダを口に運びながら、ハヤオキさんは言う。
「妊婦、病気じゃないから、保険適応外。受診券があるけど、1回で5000円以上オーバーする」
「システムがおかしいね」
「そう。文字起こしはまだやる。ミルク代も、稼がなきゃ」
とハヤオキさんはこぶしを握りしめ、机を優しく叩く真似をした。まつ毛が長いなと思う。こういう話を聞くたびに、私はなんにも知らないなと確認して、それでもこの国の女性の身体を軽視しているような仕組みについて、私の仕事でなにかできないかなと考える。
ピザが来た。レジの後ろにある大きな窯で焼いたのだろう。店内は気取らず清潔で、狭いけれども動線に気をつかったレイアウトをしている。何年も東京で続けてきたお店なんだろうなと思った。
最後にべつべつのデザートを頼んで、半分こずつにして食べた。
「ぽてと氏、ぽてと氏、写真を撮っていい?」
とハヤオキさんは言って、チョコケーキを食べている私の写真を撮った。私もパンナコッタを食べているハヤオキさんの写真を撮り返した。
地下鉄に一緒に乗った。もうこうやって、ふたりで電車に乗ることは、しばらくないかもしれないなと思った。ドアのガラスの外は昼でも夜でも真っ暗だ。外が暗いと、ガラスに映った私たちがはっきり見える。
池袋で飲んで、そういえば朝起きたらハヤオキさんが私の家の床に転がっていたこともあったし、一緒に落語を観に行ったときは熟睡してたね、一緒にAmong Usした時は無実の私をインポスターだと決めつけてたし、と私はぽつぽつ話した。そういえば、私のおじぃも死んだし、でもハヤオキさんの中には新しい命があるのだ。遠くに来たなと思った。
乗り換えの駅で私だけ降りることになった。カバンの中から、出産祝いが入ったポチ袋を取り出して、これ少ないけど、新札じゃないけど、と早口で言って、ハヤオキさんの手に押し付けた。沖縄のおばさんにでもなったみたいだなと思った。ミルク代にする、とハヤオキさんは言った。
電車を降りる。じゃあね、と手を振った。ハヤオキさんも手を振り返した。去っていくまで見送ろうと思ったけど、ドアが閉まって発車するまでの時間が思いのほか長く、照れくさくなったのでやめた。またきっと近いうちに会えるだろうなと思った。
筆者紹介
山本ぽてと (Twitter: @PotatoYamamoto)
1991年、沖縄生まれ。主にインタビューや構成をしている。B面の岩波新書で「在野に学問あり」、BLOGOSにて「スポーツぎらい」を連載中。