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マイノリティ運動の罠

 近頃、いや、ここ数十年の世界的趨勢であろうか、マイノリティ運動の勢いは増すばかりである。私とて、それに反対するわけではない。
 だが、先日、Apple社の壁紙選択に「ユニティ」「プライド」なるものが追加された。これを見て、マイノリティ運動には「罠」が存在すると思った。
 説明しよう。

私が使っているiPhoneの画面のスクリーンショット


カテゴリー化の問題点:不可視化・抑圧・思考停止

 「黒人」と一口に言えども内部は様々である。アフリカの黒人もいれば、カリブ地域の黒人、南アメリカの黒人もいる。もちろん、上記の地域内にも多様性が存在する。それらを一緒くたにすることは、当事者にとってどう受け取られているのだろうか。アメリカの黒人移民を例に説明しよう。

 アメリカでは、「黒人=奴隷の子孫」との枠組みが堅固であり、黒人移民にとって「アメリカ人化」とは「アフリカ系アメリカ人化」とほぼ同義である。そして、アメリカで黒人と認識されることは、社会的な地位の低下を意味する。そのため、黒人移民はアフリカ系アメリカ人とは違うことを周囲に知らしめることを目的とした「他者化戦略」「引き離し戦略」を実践している。つまり、アメリカの黒人移民は、「黒人」と一括りにされることを拒んでいるのである。
(参照:村田勝幸『アフリカン・ディアスポラのニューヨーク:多様性が生み出す人種連帯のかたち』彩流社、2012年

 この例から分かるように、外部の人間がある集団をカテゴリー化するとき、その集団の内部の多様性が見えなくなってしまうだけではなく、カテゴリー化されることを拒否する当事者の声すらかき消してしまうのだ。果たしてこれがマイノリティ運動として正しい行為なのだろうか。

 次に、LGBTQ+について考えよう。

 そもそも、「LGBTQ+」というカテゴリー自体がめちゃくちゃなものだ。LとGとBはレズビアンとゲイとバイセクシュアル、すなわち「性的指向」についてのことばだ。一方、Tはトランスジェンダーのことで、「性自認」に関することばである。さらに、Qはクィアやクエスショニングを指す言葉で、クエスショニングは自分の性的指向や性自認をまだ決まっていないとすること、クィアはその他の性的マイノリティの総称を意味する。

 というわけで、LGBTQ+は非常に様々な観念が混ざった括りなのだ。なので「LGBTQ+の権利を!」といったところで、何を指すのかさっぱり分からない。しかし、アルファベットのそれぞれの意味をきちんと理解して「LGBTQ+」という用語を使っている人はどれだけいるだろうか。カテゴリーだけが一人歩きしている感が否めない。

 というわけで、カテゴリー化はマイノリティ運動を高揚させるのに非常に役立つ一方、様々な罠も孕んでいるのだ。だからこそ、敢えて時流に逆らい、物申したいと思うのである。いま一度、「カテゴリーの内部」に分け入ってみてはいかがだろうか?

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