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上田女子キャリアの会 @note #12

みなさま、こんばんは。

今日は朝はこの時期にしては気温が高くていいぞぉ〜と思っていたら・・・お昼頃からシトシト雨降り。映画を観て映画館を出てくると、雨は大粒の雪にちょうど変わる時でした。まぁね、雪の季節には災害級は困るけど、それなりに降ってくれないと、これまた困るのよね。

さてさて・・・

『人生(キャリア)は選択の連続でできている』なぁんて、よく言われていますが、みなさまはどう思いますか?

もう10年近く前、カウンセラーの学びを始めた頃、師匠が少しのため息とともに私に言ったのが「あなたは、なんでも自分で決めたいのね(笑)」。

私は心理学の学びを始めてから、やっと?ついに?「自分で決めたくない人」がいることを、結構な割合でいると知ったのでした。だから、師匠の言葉は私にとっては不思議だったのよねぇ〜(笑)自分のことを自分で決める、自分で決めたいって普通でしょ?ってね・・・。

あれは、20歳になる年の夏だったかなぁ?家に帰ると私の自宅前の母方の祖父母の家に見知らぬ白い車が止まっていました。「お客さんかな?」って思って私が自宅に戻ると、直ぐに祖父母の家に呼ばれ・・・。

なんとその白い車は私の車だと言うのです・・・。中古の白い日産パルサー。確か80万円くらいだったような記憶が・・・。私の知らないところで勝手に祖父に車は選ばれ、勝手にローンの手配もされ(支払いは私)、祖母に勝手に生命保険の手配もされ(車を運転するようになったら生命保険に入るもんだと・・・)何もかも、勝手に決まっていました。

「やられた!」と思ったけど、時すでに遅し・・・。当時の私にはその勝手に手配されたものをぶちまけるパワーはありませんでした。これを教訓に、次の車から買う気配は一切消して、納車のその日まで何も言わない作戦で通しています。

もうね、なんでもかんでも、こんな感じでした。何もかもボォォっとしていると勝手に決められてしまうのです。20歳の振袖も、15歳の時に私の知らないところで、近所のおばさん達と一緒に勝手に決められていました。さすがに振袖の支払いは祖父母がしてたけど(笑)

着るものも、食べるものも、持ち物も、習い事も・・・。ボォォっとしてると勝手に進んでいるのです。本人への意思確認はありません。

当時の私は勝手に準備されているモノやコトをあてがわれる度に、超絶不機嫌になって、もろ態度に出ていたと思います。祖母からは「可愛げのない孫」としょっちゅう言われておりました(笑)

勝手によかれと思って準備してしまうのは祖父母の愛情だったのかも知れません。与える時は全力な彼らだったので、変なモノはなかったように思います。

でも、それは私から「選ぶ楽しみ」「迷う楽しみ」を奪っていることを彼らは気付いていなかったのよね・・・。

私はいつも「自分で選ぶ」と言うことに飢えていました。

ちょっとでも何か口走ると先回りして準備されてしまうという恐怖から、私は家では無口な少女でした。無口でいつも機嫌が悪い、愛想のない孫だったのです。そして口癖は「いらない」でした(笑)

そんな祖父母の下で育った私の母は、私と違い、逆らわない人でした。でも、一回人生をかけて逆らったことがあります。「結婚」です。叔父(母の兄)から聞いた話によると、見合い話があったのに、私の父と駆け落ちしてしまったのです。まぁ、それでハッピーエンドならいいんだけど、なかなかそうとは行かず(苦笑)私は母が祖父母に逆らっているのを見たことはありません。

私が小学生の頃、当時の女性の間で流行していた「ソバージュ」というパーマをかけて母が美容院から帰ってきたことがあります。きついチリチリパーマとでも言うのかしらん?そのソバージュ姿の母を見た祖父は怒ってしまい・・・。翌日、母はストレートに戻してきていたっけ。

「私だったら、ずぅぅぅっとソバージュでいるのに!」って不思議でした。

こんな家庭で育ったので、自分のことを自分で選択できるということは、私にとって最上級の贅沢、幸せだったのです。

自分で選んだことには、良くも悪くも、自分の責任が伴います。失敗しても文句は言えないのです。選んだものが似合わなくても、選んだことに違和感があっても、自分で決めたのです。文句は言えない、そのヒリヒリした感じを味わいたかったのです。逆に、選んだものが最高だ!って時の、「私のセンス最高ぉぉ」っていう優越感にも浸れないのです。

もうね、あの頃は全身から「私に選ばせろぉぉぉぉ!勝手に決めるなぁぁぁ」オーラを出していたと思います(苦笑)

幼少期に味わってしまった決めることへの欠乏感は、大人になっても滲み出てしまうのでしょう・・・。だから師匠にご指摘されてしまうのですね。

人生(キャリア)は、やっぱり、選択の連続だと私も思います。今の自分は過去の自分が何を選んできたかで出来上がっているし、未来の私は今日私が選ぶもので出来上がっていくのだと思います。

選んだことが失敗だったか成功だったかは、意味づけの仕方でいくらでも変わる。大事なのは、自分で選ぶという行為そのもの。どうやってそれを決めたのか?決め手はなんだったのか?自分の中で思考・感情が動いて行動に繋がるでしょ?その行為まるごとが大事なのよね。

今日はコロナ禍の中、大きな戸惑いの中で、勉強をし続けてきた学生さんの、大学受験日だそうで・・・。なんだか、自分の家の恥をさらすようですが、選択することについて書いてみたくなりました。明日も試験なのよね?しっかりご飯食べて、しっかり寝て、明日も試験に挑んでくださいませ。

あなたが選択したことに光が射しますように、祈っています。

それでは、次回は2月6日にお会いしましょう!

くぼたじぶん研究所
くぼた あけみ
キャリアコンサルタント
シニア産業カウンセラー

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