僕はきっとこの温度を忘れることはないだろう。
『僕はきっとこの温度を忘れることはないだろう。』
小学生編 -4
「ほんと、クラスのみんな夜ヒットとかの話ばっかでやってらんないよなぁ〜」
「一応、確率論的に言えばそう定義せざるを得ませんね。(マタヒコくん、一体どの口が言っているのですか。)」
「やっぱ、吉岡しか話わかるヤツいないからな。なぁ、今日こんな天気だしさ、また兄ちゃんのMTV録ったビデオ観ようぜ。」
(これも後に判った事だが、彼の家は海外で番組を録画したVHSをお父さんがお土産で持って帰って来ているのだった。それは道理で情報が早い訳だ。)
「ふむ。ちょっと今日はセンターパークに寄って行きませんか? 少し話がありまして。ジュースおごりますよ。」
吉岡はそう言って、PUMAの靴先で水たまりにチョンと模様を誕生させた。
「え。なに言ってんだよ…帰り道の買い食いはイケナイんだぜ…そんなの女子達に見つかったら帰りの会でなに言われるかわかったもんじゃないよ、、」
「まぁ今日くらい良いじゃないですか。
・・それにもう私には関係なくなる事ですから。」
ファンタオレンジはいつもこんな味だった。
指から伝わる瓶の冷たさが梅雨の雨上がりに心地よかった。
僕はきっとこの温度を忘れることはないだろう。
遊ぶ子供もろくに見かけない小さな公園。
塗装のはげた遊具もパッとしないが、僕らは何をするでもなくよく足を運んだ。
適当にランドセルを放り投げ(吉岡はきちんとブロック塀の上に置いている)、
ふたりで並んでブランコに座った。
少し濡れていたが小学生男子とはそういう事は気にしない生き物だ。
(吉岡はていねいにハンカチで拭いている)
「で、なんだよ話って。」
(どうせアインシュタインの弟子のレオポルト・インフェルトの論文が後の超ひも理論とM理論に多大なる影響を及ぼしたとかライバルのニールス・ボーアがあの日、)
「…んですよ。」
「え、超ひも?」
「私、アメリカに留学するんですよ。」
僕らのあたまの遙か上を、とんびが飛んでいた。
その遠い鳴き声が、静かな住宅街にひびいた。
(アメリカ…Living In America… Born in the U.S.A…)
「色々、勉強したいんですよ。海外で。」
「う。ウソだろ…」
「9月から新学期なので、来月いっぱいで日本を発ちます。」
「き、聞いてねぇよ…! だって、もっと、もっとたくさん音楽一緒に聴いて…聴いて、、」
ブランコから飛び降り僕は真っ直ぐ走り出していた。
馬鹿だった、ずっと前から何でもいいから約束しておけばよかったんだ。
(・・横断歩道とか通学路とかカンケーねえし、、)
そんなのものは何一つなかった。その時の自分に、音楽を一緒にやろうとかそういう発想なんてあるわけもなかった。
(・・もう汗なんだかなみだだか全然わかんないし、、)
あのリビングで最高にカッコイイ音楽をずっとこの先も一緒に聴いていられるものだと思っていた。
ファンタオレンジはいつもこんな味だった。
手ににぎったままの瓶はもうすっかりぬるくなっていた。
僕はきっとこの温度を忘れることはないだろう。
ーつづくー