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サノフィのプラルエント®販売に対するアムジェンの損害賠償請求を東京地裁が棄却

アムジェンにより提起された特許権侵害差止請求事件で、サノフィ株式会社が販売していた抗PCSK9抗体を含む医薬品プラルエント®が差し止められ(知財高判令和元年10月30日、平成31年(ネ)第10014号)、プラルエント®は販売停止になりました。アムジェンが、プラルエント®販売による特許権侵害に基づく損害賠償を請求したのが本事件です。
東京地裁は、アムジェンの特許は、サポート要件及び実施可能要件違反により無効であると判断し、アムジェンの損害賠償請求は棄却されました(東京地判令和5年9月28日、令和2年(ワ)第8642号)。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/404/093404_hanrei.pdf

(経 緯)
*サノフィ社(被告の親会社)がアムジェンの抗PCSK9抗体特許(特許第5705288号及び特許第5906333号、「本件特許」)の無効審判を請求しましたが、審決取消訴訟(知財高判平成30年12月27日、平成29年(行ケ)第10225号、第10226号、「別件審決取消訴訟」)を経て請求棄却が確定しました。
*アムジェンにより提起された特許権侵害差止請求事件(知財高判令和元年10月30日、平成31年(ネ)第10014号、「前訴」)で、サノフィ株式会社が販売していたプラルエント®の差止判決が確定しました。
*海外でプラルエント®を共同開発したリジェネロンにより請求された無効審判請求を棄却する審決を取り消す判決(知財高判令和5年1月26日、令和3年(行ケ)第10093号、第10094号、「リジェネロンの審決取消訴訟」)が昨年9月14日に確定し、本件特許は無効審判係属中です。
(リジェネロンの審決取消訴訟については、
「アムジェンの抗PCSK9抗体特許はサポート要件違反と知財高裁が判断」をご参照ください。https://note.com/kubota_law/n/n85f59b5c5fe0

(本件特許)
本件特許は、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和(注:妨害、遮断など)することができる」という特性と、「PCSK9との結合に関して特定の抗体(21B12抗体又は31H4抗体、『参照抗体』)と競合する」という特性の両方を兼ね備えたモノクローナル抗体及びそれを含む医薬組成物の特許であり、アミノ酸配列による抗体の構造特定はありません。
LDLRはLDLに結合して対象中のLDLの量を減少させますが、PCSK9がLDLR と結合して利用可能なLDLRの量を減少させると、対象中のLDLの量が増加します。本件発明の抗体は、PCSK9とLDLRの結合を阻害することにより、利用可能なLDLRの量を増加させ、対象中のLDLの量を低下させることにより、血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏します。
 
(裁判所の判断)
結晶構造上、PCSK9に結合するLDLRのEGFaドメインの5オングストローム以内に存在するPCSK9のアミノ酸残基(「コア残基」)(注:PCSK9上のLDLRとの結合部位のアミノ酸残基を意味します)は15個あり、裁判所は、15個のPCSK9のコア残基の大部分を認識する結合中和抗体を、「EGFaミミック抗体」(注:LDLRのEGFaドメインのPCSK9への結合を模倣する抗体)と認定しました。
そして、EGFaミミック抗体は、クレーム記載の参照抗体が結合するPCSK9のコア残基と同一又は重複する部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、LDLRタンパク質部位を直接封鎖して、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害等するため、本件発明に含まれると判断しました。
 
次いで、参照抗体である21B12抗体及び31H4抗体は、それぞれ、15個のコア残基のうちの6個又は3個のアミノ酸残基を認識するにすぎず、結合部位対照表に記載された実施例抗体も、最大でも8個のアミノ酸残基を認識するにとどまるから、いずれも、EGFaミミック抗体ではなく、本件明細書にはEGFaミミック抗体が取得できたことが記載されているとはいえないと判断しました。
専門家鑑定書に基づき、明細書記載の抗体の作製過程を経たとしても、免疫化されたマウスの中でPCSK9のどの位置に結合する抗体が得られるかは「運に支配される」ものであり、特定の位置に結合する抗体を作製する方法が出願時における技術常識であったと認めるに足りる証拠はないとし、本件発明に含まれるEGFaミミック抗体を当業者が作製できるように記載されているということも、明細書の発明の詳細な説明に記載されているということもできないと判断しました。
また、本件特許発明者の1人が、本件出願日の約4年後(2012年)の電子メール(「本件メール」)で、EGFaミミック抗体を取得できていないことを自認し、EGFaミミック抗体を見つけることは一筋縄ではいかないだろうと述べていることも挙げ、EGFaミミック抗体は、本件明細書の記載及び出願当時の技術常識によっては、作成できないものと判断しました。
以上より、本件特許は、サポート要件及び実施可能要件に違反し、無効にされるべきものと判断されました。
原告は、本件発明の課題解決において、PCSK9のコア残基の「大部分のアミノ酸を認識」という技術事項には技術的意義が認められないと主張しました。しかし、論理的にみて、EGFaミミック抗体はPCSK9とLDLRの結合中和活性においてより有利であると考えられることや、本件メールや原告が2012年に作成した資料(「概念的なエピトープスペース」という図が含まれており、21B12抗体と31H4抗体を示す楕円形の中間にEGFaミミック抗体が結合する部位を示す意味で用いたと理解される「見つからないエピトープ」との記載がある。「本件プレゼンテーション資料」)によると、原告もEGFaミミック抗体を探求していたとみられることからも、十分な技術的意義があると判断されました。
原告は、EGFaミミック抗体である被告の抗体アリロクマブは、本件明細書に完全に依拠して作成されたものであり、EGFaミミック抗体が本件明細書の記載から取得できないとはいえないと主張しましたが、原告が本件出願日から4年後でもEGFaミミック抗体を取得できていないことを自認し、EGFaミミック抗体を見つけることは一筋縄ではいかないだろうと述べていることや、本件明細書公開前のリジェネロンの第1基礎出願においてアリロクマブが記載されていることから、本件明細書に依拠して作成されたと言えないとして、退けました。
 
原告の主張する訂正の再抗弁に対しては、再訂正の内容が本件発明からEGFaミミック抗体を除外するものとはいえず、訂正の再抗弁は成り立たないと判断しました。
 
原告は、サノフィ社がサポート要件違反及び実施可能要件違反などを理由に、特許無効審判を請求した結果、別件審決取消訴訟を経て不成立審決が確定しており、被告が本訴でサポート要件違反及び実施可能要件違反の無効理由を主張することは、信義則に反して許されないと主張しました。それに対し、前訴や別件審決取消訴訟では提出されなかった本件メールや本件プレゼンテーション資料に主に依拠しており、信義則に反して許されないとまでは言えないと判断しました。
 
以上より、原告の請求は棄却されました。
 
(コメント)
リジェネロンの審決取消訴訟判決では、「『EGFaミミック抗体』に係る点は首肯するに値するものを含み、サポート要件が満たされているとする被告の主張に疑義を生じさせるものと考えるが、この点に関する判断をするまでもなく、・・・サポート要件に適合するものとは認められないから、更なる判断を加えることは差し控えることとする。」とされ、EGFaミミック抗体に関する判断が示されませんでした。しかし、本事件では、EGFaミミック抗体に焦点を当てた判決が出されました。
リジェネロンの審決取消訴訟では、サポート要件違反の理由として、参照抗体がPCSK9と結合する部位と異なる部位に結合し、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖するのではなく立体障害をもたらしてPCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害等する抗体が含まれることが指摘されていました。そこで、アムジェンは、訂正の再抗弁として、参照抗体と重複したPCSK9上のエピトープに結合し、結合部位を直接封鎖して結合を直接中和する抗体への再訂正により、無効理由を解消できることを主張しました。
しかし、本判決では、本件特許にEGFaミミック抗体が含まれているため、サポート要件及び実施可能要件を満たさないと判断されました。被告製品に含まれるアリロクマブはEGFaミミック抗体であることから、本判決によると、被告製品を技術的範囲に含む有効な特許に訂正することは、不可能なようです。
 
プラルエント®の差止を認めた前訴判決では、サポート要件及び実施可能要件を満たすと判断しました。
前訴判決で、被告は、本件発明全範囲について当業者が実施可能であることが必要であると主張しましたが、裁判所は、本件発明全範囲について実施可能であるかは判断せず、被告の、本件明細書に記載された方法を最初から繰り返してもEGFaミミック抗体を含むあらゆる抗体が得られるとはいえないとの主張に対しても、「LDLRが認識するPCSK9上のアミノ酸の大部分を認識する特定の抗体(EGFaミミック)が発明の詳細な説明の記載から実施可能に記載されているかどうかは、実施可能要件とは関係しない」と判示し、実施可能要件を満たすと判断しました。
そして、前訴判決は、サポート要件についても、当業者が、本件明細書の記載から、クレーム記載のモノクローナル抗体を得ることができるため、新規の抗体である本件発明のモノクローナル抗体が提供され、これを使用した本件発明の医薬組成物によって、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療するとの課題を解決できることを認識できるから、サポート要件に適合すると判断しています。
このように、本件発明全範囲について、サポートされていること、及び、実施可能であることを求めたか否かにより、本判決と前訴判決の判断に違いが出たものと思われます。
また、前訴で、サポート要件の充足性について、「『参照抗体と競合する』というパラメータ要件を充足する抗体であれば、『PCSK9とLDLRとの結合を中和することができる』という所望の効果が達成できると当業者が認識できるように本件各明細書が記載されているといえるか否かが判断基準となる」と被告が主張しましたが、採用されませんでした。一方、リジェネロンの審決取消訴訟では、本件発明の技術的意義は、参照抗体と競合する抗体であれば、競合抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体としての機能的特性を有することを特定した点にあると認定し、これに基づきサポート要件充足性を判断したことが、前訴とリジェネロンの審決取消訴訟におけるサポート要件充足性判断の違いに影響していると思われます。
 
(文責:矢野 恵美子)
 

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