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【エッセイなのか、ポエムなのか】      どれだけの冬を、土の中で越せるのか

注 直近の感情の変動にて、思ったことをつらつらと書き起こしていきます。
何もためになりそうなことなどありませんが、ご了承ください。

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花が咲く、蝉が鳴く、花火が上がる、満月が光る。

僕らはその瞬間に心を動かされる。どれだけ、そのための土台となる毎日があったのかも知らずに。

愛でている花がいつ咲くのか、と心待ちに毎日献身的な、愛を。

きっと、待ち望んだ景色というのは一瞬で過ぎ去ってしまうものだ。

相対性理論ではない、単純に僕らがこの世界に生み出した『時間』という概念の中でも、実質待ち望む期間の方が長い。

当たり前だ、不幸がないと、僕らは幸せを幸せと感じられない。

報われない時間が、僕らの一瞬しかない輝きをより、遠くへと。

地面がずっと続いていて、木が代を継いで未来に続く。

青空が、いつまでも続けばいいと思った。曇り空や雨なんて、無くなればいい。

だが、『青空の日の光に憧れられるのは、曇天があるからだ』

燻りが、より鮮やかな青空を、どこまでも続くように思える虹を連れてくる。

刹那的だ、あまりにも、儚い。

そう長くは続かないだろう。だが、それでもいいと思う。

いつまでも続いて欲しいというのは、勝手だ。エゴだ。

大人になって、体の痛みが遅れてやってくるようになる。

大きすぎる衝撃は、すぐに実感できるものではない。

瞬間的には、心ここに在らずとなってしまうか。そんなことは構わない。

その感情だけ、永遠に続くものだ。いきていく中で、寄り添い持ち合わせることができるものだ。

共に進むことは出来ないけれど、この想いがあれば救われる人がたくさんいる。

そしてまたいつか、どこかから同じ空色を掲げて現れる人がいるんだ。

どれもぱっとでの花火なんかではない。突如鳴き出した蝉なんかじゃない。

七日間のために、何倍もの想いを犠牲にして、土の中で育んできたのだ。

どれだけ望んだところで、寒空に触れることはないけれど。

次の空には飛べないけど、あまりにも美しくて、心奪われる。

さあ、自分はどうだ。

こんなところで足踏みをしている場合ではないのだろうな。


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