文章の書き方

3年前から、地元の短期大学で非常勤講師を担当している。今期も大詰めで、あと1回の講義で丸3年を終了する。テーマは「日本語表現」。企業内での人事教育や、制作に関する研修はサラリーマン時代には何年もやっていたけれど、若い学生に対するそれは、かなり勝手が違い、最初の年は、授業のあった日は、何もできなくなるぐらいに疲れていた。

18歳前後、短大に入って、これから遊んだりバイトしたりという生活を夢見ている彼女たちに、「国語」のような学問を教えようと最初は考えていたけれど、あまり響かない感じがありありとわかる。それが疲れていた原因だ。

「教養」のカリキュラムは前提として「受けておけばいいんでしょ?」と思われやすいものでもあり、生徒の意気込みは低くなりやすい。しかも、文章の良さとか、上達という観点のずっと前に、文章を書くことに自信がなく、実際に書くことが苦手という生徒が多いうえ、「文章能力の上達=自分の人間性を高める」という概念もあまりない状態では、まるで砂漠に水を撒くようなものだった。

授業内容を、生徒たちにフィットさせる研究のために、世の中に出ている「文章の書き方」の本を10冊以上は買って読んだ。「ビジネスマナー」や「就活」に関する本も含めれば50冊近くになるけれど、ぼくの疑問に答えるものはあまりなかった。

どの本も、すでに文章を書こうとしている人を対象としており、「上手な文章や、間違わない文章を書く」ことに重点を置かれたもので、表現自体に不安を持っている人に向けたものは、当時はみつからなかった。実際の生徒は、過去に何があったのかは知らないけど「作文」に恐怖感を持っている人が半分ぐらいはいると感じていた。

「当時は」と書いたのは、2018年に、コピーライターの梅田悟司さんによる著書『気持を言葉にできる魔法のノート』が出版され、それがぼくが探していた、若い人たちの不安に応える内容だったからだ。その本もかなり参考にして、今期の授業には加味したけれど、それ以前は自分で方法を生み出すしかなかった。

結果として、「作文が怖い」若者たちに、少しでも「書く」ことを好きになってもらう、という授業を目指すことにした。従来の国語的な教え方の定説であった「上手な文章や、間違わない文章を書く」という教え方をやめ、まずは楽しんでもらいたい。考え方をそちらにシフトし始めると、授業で感じていた「フィットしてないな」という感覚は減っていった。

同時に、目的をはっきりと言い切るようにした。これが大きかったと思う。表現のうまい人は社会生活において「人から好かれる・評価される」という説明を最初に言い切った。それは事実だと思う。

どの分野でもそうだけど、ただ上達を促しても、本人がその分野に向上心を持っていなければ響かない。そもそも「表現力が低いとどう困るの?」「表現が上手くなるとどうなるの?」を考える時間がなければ、自発的な向上心は生まれない。

目的の大切さ。それを言い切って共有する大切さ。それを認識できたのは、その後のぼく自身の様々な行動の糧になった。とてもありがたい事だと思う。

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