僕のプログラミング人生の第1章 大学
大学1年
通学での電車間、往復で約2時間弱、「やさしいJava」と「やさしいC++」をひたすら読んでいました。
それでも大学1年の終わり頃にやっとこさ基礎的な部分がちょっとだけ理解できる程度でした。
この頃は勉強法とかも全くわからず、かなり非効率なことをしていたなと
今では思います。
それくらいのレベルだったので、
特待生継続の条件として、成績の上位1割に入ることが条件だったんですが、
ギリギリ上位1割にはいれず、2年になって奨学金を借りるようになりました。
正直、だいぶ気持ちが落ちました。
「だいぶがんばったのに!」
そもそもデザインやプログラミングなどの技術系の科目が大半だったので、
最初から絵がうまい人や、
高校からプログラミングやってるような人たちと同じ土俵に立ってること自体がハンデありすぎてつらかったです。
そして、この頃から、ゲームプログラマになりたい欲がだんだんと薄れ始めてきました。
ゲームプログラマはブラックという情報が結構な頻度で出回っていたからです。
そんな感じで大学2年は、全然意欲が湧かず、結果、半分以上授業に出てませんでした。
1年のとき60単位とったのに、2年のときには12単位しかとっていなかったです。
そのまま3年になり、単位的にやばい!てなったので、もはや単位のためだけに学校行ってました。
(ここからもうヤケクソですよね。)
大学2年から4年まで、ほんと人生無駄にしたなって思います。
(あ、大学3年になって始めたリサイクルショップのバイトは楽しかったです。今でもたまに会いたくなるくらいに楽しい仲間たちでした。)
大学4年になると、周りはほとんど就活ムードになります。
だけども、僕は全く就活をしていませんでした。
就活しなかった理由としては、
「こんな目的意識ない人誰もいらないだろう」
「もし受かったとしてもどうせブラック企業だろう」
くらいに思っていたからです。
就職課からはとりあえずなんか受けとけみたいな無責任なこと言われてましたがほぼ無視してました。
たぶん就職課のブラックリスト的なものに載っていたと思います。
その頃には大学のことも全く信用していなかったので、
自分で「個人スキルで何とか生きていける道を探そう」ってざっくり考えてました。
そんなこんなで大学は無事卒業し、
リサイクルショップを週5で働くようになり、
ザ・フリーター生活が始まりました。
楽しかったですが、
このままずっとってわけにもいかないのはわかっていたので、
自分なりに次のステージへ進むための道を探し始めることにしました。
そして探している過程で、「7つの習慣」という本に出会いました。
(今でも僕の人生のバイブルです。)
ここから人生が一気に加速します。
「プログラミングせっかく学んだのに活かせないのはもったいないな」と、
「プログラミングを他に活かせる場はないものか」と、いろいろ自分なりに調べたところ、
「Webプログラミング」なるものを見つけました。
「これなら一人でも作れそうだし、個人スキルでもやっていけるかも」
それからすぐに、フリーター生活の合間に独学で「Webプログラミング」を学ぶため、
当時、まだ出来て間もない「侍エンジニア塾」というオンラインプログラミングスクールの6ヶ月コースを受けることを決心しました。
ここで、初めて「Ruby on Rails」と出会ったのです。
・・・続く。
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