フロント3人が「くぼしたうめ」な理由No,3〜萩の月からセーラームーンになった日〜
こちらの続きになりますが、今回はNo,2のフラグを回収する場面が何度か来るので是非そちらを読んでから戻ってきて頂ければと思います。今回は久保史緒里フォーカスの後編です。主に休養明けの快進撃を見ていこうと思います。
①萩の月
突然ですが皆さんは宮城・仙台旅しおりというYouTubeを見たことがありますか?ご覧になったことがないという方がいたらリンクを貼っておくので是非観てください
https://www.youtube.com/channel/UC0d5UYCA9EdTCmNdqkR-d4A
久保史緒里のほっぺはその丸さから萩の月と言われることが多々あります。はぎつき何個分かはその時々で違いますが、はぎつき3個分のほっぺを抱えたアンダー時代の久保は「私のために、誰かのために」という曲をアンダラでダブル伊藤と披露して以降、歌上手いポジを確実にしました。元々プリンシパルでも歌声が綺麗と話題になっていましたが、アンダー時代に芯の強い(ミュージカル風の)声になったと思います。そして、SO!や真夏の全ツ、夜明けでは表現力の強化ができたのかと考えられます。特にSO!では「ここにいない誰かのために、今何が出来るのだろう。みんなが思えたらいい」というまるで相方の山下に向けたメッセージのような歌詞を任せられました。振り付け師のSeishiroさんに毎回事細かに質問していたらしく「ありのままに伝える」ことの大切さを学んだと久保史緒里自身話していたほど表現することの重要性を学んでいたそうです。
②変身段階
そんな発展途上な萩の月1.5個分久保史緒里は全ツ明けに彼女含め5人のメンバーが舞台セーラームーンをやることになり、それの東京公演、上海公演の前後に3・4期ライブや乃木坂の上海ライブがあるという常人では耐えられない過酷スケジュールとなっていました。特に久保は3・4期ライブでは中心メンバーとして舞台では主演として仕事をこなさなければいけなかったので、相当厳しい状況だったと思います。ですが彼女が①で培ってきた力に加えて3・4期ライブではリハ中のメンバーの様子を見て自ら「このままじゃダメだ!」と発言し、後輩を触発するなど昔では考えられない久保の先輩としての人を動かす力が備わりました。その結果ライブでは日常や不眠症、私のために誰かのためにで絶対的な歌唱力表現力を見せつけセラミュでも過密日程の中頼もしい先輩として伊藤(純)と最後までやりきりました
③セーラームーンになった日
①と②での彼女の成長を見て人気は日に日に高まり、その頑張りも評価され25thの期別曲で「単独で」センターを務めるなど絶好調な久保史緒里。そんな彼女の快進撃の象徴と言えるのが
7/18日の音楽の日
だろうと思います。その日の久保はその歌の1時間半前に突然ミュージカル女優としても名を馳せていた尊敬する先輩でもある生田絵梨花様の代役として出演を依頼され失敗が許されない生歌というプロでもミスをするような最悪な条件で、2chの住人の乃木坂を知らない人ですら「赤い彗星」と称えさせ、訃報で悲しむ人達の心を動かす程の素晴らしい歌声を堂々披露しました。歌う前は多方面で「久保史緒里で出来るのか?」とか、「生田が出来ないんじゃ坂道も恥かくぞ」なんてこっぴどく言われていたが、全員がくるりと手のひらを返す様は推しメンとして凄く清々しい気持ちにもなりました。確実に言えることはこの日の乃木坂の大ピンチを救ったのは久保史緒里だろうとということです。でも、そんな活躍も①、②での彼女の行動や実力から考えれば当然のような気がします。見た目は萩の月だが、赤い服を見にまとい、その日はセーラームーンとして表に出た。ただ、それだけだと思います。
①〜③までしっかり読んで頂ければ分かるかと思いますがNo,2でも書いた国民的ヒット曲に必要なセンターの条件に現状最も近いのが久保史緒里だったということを。ただ彼女には経験値や年齢面、環境面でまだまだ冒険する必要は無いと考慮してフロントに並べたのではと考えています。
推しメンという補正がかかってたしまい随分と長くなりました。次はうめについてフォーカスしていきます。最後まで読んで頂きありがとうございました。また書きますね。