記号主義とコネクショニズム。第一次から第三次までのAIブームの流れを学ぶ。
本日のテーマは、「第一次から第三次までのAIブームの流れ」です。
いま三宅陽一郎さんの「人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇」を読んでいます。ゲームの人工知能に搭載することを目的として東洋哲学をモデリングしているので、実践的で実におもしろいですね。
三宅さんは、ゲームに活用する人工知能技術の開発に取り組んでおられるわけですが、ゲームのキャラクターというのは、仮想空間ではありますが、身体を持っています。その身体を通じて得られた情報が、統合されて記憶になり、意思が決定されて、運動が形成されていくわけです。いまの人工知能の研究は、人間の脳の研究に重点があるわけですが、脳と身体を循環するシステムに注目して、関係性という観点から研究をされている点がユニークです。
この本の中に「第一次から第三次までのAIブームの流れ」をまとめた図がありました。これがシンプルにまとまって実にわかりやすい。専門家が見れば、ツッコミどころはあるのでしょうけど、夫は正確に間違うよりは、大まかに正しい方向に進むべきだと思うタイプですので、この本で足りるわけです。
正確に間違うよりは、大まかに正しい方向に進むべきです。
○第一次のAIブーム(考えるのが速い人工知能)
人工知能(AI)の発祥は、1956年に米東部で10人の研究者によって行われたダートマス会議です。それまで研究していた開発者が、2ヶ月間に渡る会議(ブレストだったらしい)で、人類史上初めて「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉を使ったとされています。
このときに提案書の要約が下記の通りです。「機械」という言葉がずらずら並びますね。最初は機械に関する研究だったのです。
1.機械に人間の知能を移す。
2.機械に自ら学習させる。
3.機械が自ら改修できる。
4.機械が概念を操作できる。
5.機械が言葉を理解して使用できる。
1960年代になると、第一次AIブームが起こります。当時は、人工知能という分野自体が誕生したばかりで、コンピュータも大型のものしかありませんでした。19世紀の後半に人間の脳はニューロンというもので出来ているという学説ができて、20世紀前半にはニューロンの電気的性質が解明されていましたので、人間の脳をモデルに1950年にニューラルネットが発明されました。このニューラルネットという新しい分野で専門家を中心にブームが起こります。
ニューラルネットというのは、数学的なモデルでニューロンをつなげたものです。何ができるのかというと、データを分類することができます。例えば、健康ニューラルネットというものを考えてみましょう。インプットのデータとして身長・体重・年齢を入れると、アウトプットとして「あなたは健康です」とか「ちょっと注意です」という結果が出てきます。学習データから、ニューロンをつなげているネットワークの重みをうまく調整して、適切なアウトプットが出るようにするのです。
ニューラルネットによる人工知能の流れは、「コネクショニズム」と呼びます。最近は、このコネクショニズムが注目を浴びていますが、本来の人工知能は、シンボルによる人工知能、すなわち「記号主義」が王道です。この時代には、三段論法に代表される「推論・探索ベース」の人工知能が動いていました。まさに論理の結晶のような機械ですね。この時代の人工知能は「考えるのが速い人工知能」でした。
人工知能のモデルには、「記号主義」と「コネクシこョニズム」がある。
記号主義は、最初からシンボルに分けて考える。
コネクショニズムは、よくわからないものを分ける。
発想は良かったのですが、この時代にはコンピュータも高価で、データも少なかったので、ニューラルネットは成果を出せませんでした。そして、冬の時代が訪れます。
○第二次のAIブーム(ものしりな人工知能)
長い冬の時代を経て、パソコンが普及し始めた1980代に第二次AIブームが起こります。この時代は人工知能は「ものしりな人工知能」です。エキスパートシステムと呼ばれていかにも賢そうな人工知能が登場します。たくさんの知識を人工知能に与えて、推論すれば知能ができると考えたわけです。
記号主義からは、ルールを集めて知能を作ろうという「ルールベースの人工知能」が出てきます。コネクショニズムからは、アウトプットからインプットに遡る「逆伝播法」という方法が出てきます。いかにして人工知能にうまく学習させるかという話になり、人工知能のチューニング職人が登場します。肝心なところが「職人芸」になるところは、IT業界の特徴ですね(笑)
肝心なところが職人芸になる。
日本でも通産省が570億円の予算を組んで、「第5世代コンピュータプロジェクト」を立ち上げました。本気で人工知能にチャレンジしたのですね。しかし、当時はインターネットもなく、知識が足りませんでした。推論も専門的な機能のみで失敗しました。エリートのシステムは破綻したのです。
東京大学で人工知能の研究している松尾豊さんが、その失敗の原因をズバッと指摘しています。人工知能が長年抱えてきた問題には、フレーム問題だったり、シンボルグラウンディング問題だったり、たくさんの問題があるように見えるのですが、根本的な問題は1つに絞られます。
今までの人工知能というのは、すべて「人間」が現実世界を一生懸命観察して、どこが重要かというのを見抜いてモデルを作っていたんですね。いったんモデルを作ることができると、その後の処理はいくらでも自動化できました。
ところが、モデルを作る行為そのものは、一向に自動化できなかったわけです。どんな場合でも、人間が世界を一生懸命観察して「ここらへんが重要だ」というのをズバッと見抜く必要がありました。肝心要の部分が「職人芸」になっていたわけです。
いままでは人間がモデルを作っていた。
例えば、ネコと犬とオオカミの写真があるとしますね。これを分類するのがニューラルネットです。そこで、分類するためのルールを「人間」が作ります。猫は目が丸いので、目が丸ければ「猫」と判定すればよさそうだ。目が細長くて耳が垂れていると「犬」で、耳が尖っていると「オオカミ」になる。うんうん、うまく分けれるぞ、と思っていたら、ハスキー犬の写真がやってきた(笑)
引用:https://logmi.jp/155365
オオカミと犬をわけるルールを明示的に作ってくださいと言われても、困ってしますわけです。「よくわからないけど、なんとなくオオカミっぽい」ということしか言えないわけです。要するに、目が丸いとか、耳が垂れているとか、こういうものを「特徴量」と言いますけれど、こういう特徴量を人間が定義している限りは、この画像認識の問題は絶対に解けなかったのです。
人間はなぜか画像認識がうまくできる。
そして、またもや人工知能に冬の時代が訪れます。
○第三次のAIブーム(データから学習する人工知能)
2010年頃になると、インターネットが普及して、インターネットで蓄積されたデータを学習させて知能を作ろうという流れが生まれました。「データから学習する人工知能」の登場です。記号主義からは、データベースによる人工知能が出てきました。
データから学習する人工知能が生まれた。
そして、ここで技術的なブレークスルーが生まれます。人工知能が長年抱えてきた問題を解決する「ディープラーニング」の登場です。なにができるのかというと、「認識」「運動の習熟」「言語の意味理解」です。
「認識」というのは、画像認識ですね。先程のハスキー犬の例にあるように、今までコンピュータが苦手だった画像認識ができるようになります。「運動の習熟」というのは、ロボット、機械が練習して上達することができるようになることです。これは製造業に革新を起こしそうですね。最後に、「言語の意味理解」というのは、言葉の意味を本当にコンピューターがわかるようになるということです。これには、もう少し時間がかかりそうです。
まず、認識の話ですが、非常に有名なのがGoogleの「猫」という研究です。これは2012年にインターネットから取ってきた画像をたくさん入力して、ニューラルネットワークの人工知能に学習させると、猫に該当するような、ニューロンが「自然に」出てくるということです。これはつまり、猫の「猫らしさ」というのが、画像をたくさん見せるだけで学習されているということです。
猫の写真を見て、猫とわかるだけ。確かにその通りなのですが、重要な点は、人工知能が「自ら学ぶ」という点にあるのですね。自分で情報を入力して、認識して、学習することができるようになった。学習するとは、分けることです。2012年にディープラーニングが登場してから、さまざまなアルゴリズムの改良がなされまして、いまでは人間の画像認識を上回るようになりました。要するに、いまは人間より人工知能のほうが「目利き」なのです。
学習するだけでは、人工知能は賢いだけの役立たずですが、これに「運動の習熟」が加わることで、産業界から一気に注目を浴びるようになりました。例えば、犬に「お手」を教える時は、犬がお手をするとエサをあげますね。何回もやっていると、犬がお手をするようになります。このエサが報酬、報酬が与えられると、その前にやった行動を強化するという仕組みで上達すると言われています。ですので、「強化学習」と言われています。
報酬を与えることで、その前にやった行動を強化する(強化学習)。
ディープラーニングに強化学習を組み合わせると、運動の習熟が可能になります。例えば、AlphaGoを作ったDeepMindという会社が2013年にゲームをプレイする人工知能を作りました。ブロック崩しのゲームに強化学習を使ったのですね。最初は下手なのですけど、試行錯誤してだんだん上達していくわけです。スコアを報酬としていますので、スコアが上がるとその前にやった行動を強化する仕組みで上達していきます。そして、人間のハイスコアよりも上手になったわけです。戦略性があるゲームや、思考を必要とするゲームは下手なのですけど、反射神経、運動神経だけでいいゲームは人間よりうまくなったのです。
「認識」「運動」「言語」という順番で進んでいくわけですけれども、「認識」「運動」は、だいぶできるようになってきています。あとは「言語」ですね。ちょっとお話が長くなりましたので、言語の部分は割愛します。詳しくは松尾さんのWEBページをご覧ください。
ニューラルネットというのは、分類器でした。学習するとは、分けることです。それは、世界を分節化する精神の作用、すなわち知になります。人工知能は、ニューラルネットによる知能と世界の分節化、それは東洋哲学の視点から見ると、偏見に陥ることでもあります。ディープラーニングは、人間の偏見を教えようとしているわけです。それを良しとするか、悪いとするか。これから人工知能をどうするかは、テクノロジーの問題ではなく、哲学の問題になるわけです。
学習するとは分けること。
夫は秩序を形成することが生命の本質だと思っていますので、それを加速する人工知能の推進派ですが、いまの西洋哲学から生まれた数学的なコンピュータアーキテクチャでは、いずれどこかで行き詰まるのかなと思っています。そのときの二段階ロケットとして、東洋哲学を学んでいきたいと思っています。
数学なくしてはあまりに脆い。
哲学なくしてはあまりに蒙い。
いかがだったでしょうか。皆さん(妻)はどう思われますか。
○本日のおすすめ本
人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇
三宅陽一郎 (著)
単行本: 384ページ
出版社: ビー・エヌ・エヌ新社 (2018/4/20)