フェイスブックは神の国になる!? ソーシャルネットワークとコミュニティの違いについて考える。
皆さん、こんにちは。久保家です。
久保家のリビングにはホワイトボードがありまして、毎朝、そこに夫が考えたことを描いて、朝ごはんを食べながら夫婦でディスカッションをしているのですが、その内容をコンテンツとしてまとめてみようというのが、今回の試みです。
先日、大丸神戸店の近くにある「書庫バー」で石川直樹さんの「極北へ」のセミナーがありましたので、妻と一緒に参加しました。夫は恥ずかしながらお名前すら知らなかったのですが、二十歳の頃からマッキンリー(現デナリ)に登ったり、極北のアラスカやグリーンランドを訪れたり、世界中を駆け巡っている写真家の方です。
石川さんの話で印象に残ったのは、グリーンランドではスノーモービルがあっても、犬ぞりを使うという話です。スノーモービルのような機械は壊れたらそれで終わり、犬はがんばってくれる。確かに、パワーが分散化されている犬ぞりはリスクヘッジが利くし、なにより一生懸命がんばってくれる犬の姿は頼もしい。テクノロジーを過信している夫には、ガツンとくるお話でした。
さて、本日のテーマは「ソーシャルネットワークとコミュニティの違い」についてです。夫はいま「さよなら、インターネット」という本を読んでいます。2018年5月25にEUで施行された「GDPR(一般データ保護規則)」に関する本なのですが、解説の若林恵さんという名前が目に入り、思わずニヤリとしてポチってしまいました(笑)本日は、その本の中でハッと気づいたことを紹介したいと思います。
○ホモフィリーとエコチェンバー
この本で、「ソーシャルネットワークは、ホモフィリーの力を重視する。フェイスブックは、無数の同類のグループにフレームワークを提供する。しかし、それはコミュニティではない。」という文が出てくるのですね。
ソーシャルネットワークは、ホモフィリーの力を重視する。
ホモフィリーとは、人は同じような属性を持つ人と群れるという「羽毛の鳥」というシンプルな考えに由来しているそうです。「類は友を呼ぶ」という格言にあるように、同じ価値観や興味の対象が同じものを持つ人たちは、気が合いやすく、つながりやすいということです。
ホモフィリー研究から明らかにされているのは、人はそのつながった相手から影響を受けやすいということです。情報や信念などが、同質性に基づく閉じたシステムの内部でコミュニケーションされ反復されると、増幅、強化されます。この残響作用が「エコーチェンバー」です。そのメッセージは確実に同類の人々の心理に作用します。これがフェイクニュースやロシアがフェイスブックを用いて行ったとされる選挙誘導広告の手法というわけです。
人間は、つながった相手からの影響を受けやすい。
なるほど、夫もフェイスブックで実体験がありますが、友人が婚約したときなどにブワッと最大瞬間風速があがるのは、エコーチェンバーだったのですね。
○フェイスブックはコミュニティではない
マーク・ザッカーバーグさんのお気に入りのセリフは、「フェイスブック・コミュニティ」らしいです。でも、フェイスブックはコミュニティではないと、筆者の武邑さんはバッサリ斬ります(笑)
「フェイスブックの多くは集合だが、それはコミュニティではない。
それはソーシャルネットワークであり、コミュニティとはまったく異なるものだ。
ソーシャルネットワークは、人々の既存の個人的な関係によって結ばれている。」
なるほど、コミュニティとソーシャルネットワークは違うのですね。
「一方、コミュニティは複雑な社会システムだ。なぜなら、彼らは異なる人生の人々から
構成され、個人的なつながりをまったく持たない。いい例は地域のコミュニティである。」
確かに地域コミュニティは個人的なつながりではないですね。コミュニティにも、地縁・血縁・宗教・家族など様々なコミュニティがあると思いますが、個人同士がつながっているとは限らない。どうやら、この辺りが伝統的なコミュニティをもつ文化と新しいデジタルネットワークでつながる文化が衝突するポイントのようです。
○ソーシャルネットワークは神の国!?
ソーシャルネットワークとは、どんなネットワークなのでしょうか?
夫が思うに、それは「べき法則」が働く「スケールフリーネットワーク」だと思います。説明がちょっとややこしくなりますので、図を見ながらお話します。
参考:https://syodokukai.exblog.jp/20771928/
まず、左の図をご覧ください。都市をつなぐ高速道路のネットワークです。これは、ランダムネットワークと呼ばれるものです。大半の都市が、ほぼ同数のリンクをもち、莫大なリンクが集中する都市は存在しません。確率に支配されるようなランダム・無秩序な事象は正規分布に従うとされています。統計学でよく出てくる釣り鐘型のグラフですね。
一方、そこから秩序が生まれますと(秩序の創発、相転移)、「ベキ法則」に従うようになると言われています。「金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏になる」で有名な「ベキ法則」ですね。パレートの法則(2:8の法則)とも言われます。ベキ法則は、正規分布とは違って、以下のような特徴を持ちます。
1.どこにもピークがなく、なめらかに減少する。
2.分布のすそ野は正規分布よりも広い。
3.ごく少数のきわめて大きい事象と無数の小さい事象が共存する状態を表す。
アルバート・ラズロ・バラバシさんという偉い学者先生が、このベキ法則に従う分布を「スケールフリー・ネットワーク」と名付けました。現実のネットワークは、全く無秩序な状態ではなく、相転移を起こしたような状態であり、ベキ法則に従うことが多いとされます。なぜ、相転移でベキ法則が出現するかは、1971年にケネス・ウィルソンによる「繰り込み群」理論で証明されているそうです。
右の図を見てください。航空便が非常に多く集まる空港(ハブ空港)がいくつか存在していますね。ここで重要なポイントは、秩序が生まれるためには「成長」と「優先的選択」という2つの特徴が必要になるということです。その2つの特徴があるネットワークは、ベキ法則に従ってスケールフリーネットワークになる。大多数の頂点はごく少ない数の枝しか持ちませんが、一部のごく少数の頂点は莫大な多さの頂点を持つようになります。例えば、インターネットの場合、大多数のWEBページは少数のリンクしか持ちませんが、Googleのような莫大なリンクを持つページが現れてくるわけです。
ソーシャルネットワークも「成長」と「優先的選択」の特徴がある限り、べき法則に従ってハブとなる人物が現れます。カリスマと呼ばれる人やインフルエンサーと呼ばれる人達です。しかし、一人の人間が処理できる情報量は限られていますので、夫は将来的には人工知能がハブの中心になるのではないかと考えています。つまり、フェイスブックは人工知能を神として人間がつながる、神の国になるのではないかと思うのです。
○つながっているのか、いないのか
かつて、世界は「6次の隔たり」でつながっているスモールワールドであるというお話を聞いたことがありますが、フェイスブックユーザーの平均分離度は3.57らしいです。数値で見れば世界は狭く、すべてはつながっているように見えます。
しかし、本当につながっているのでしょうか。夫には何かしっくりこないものがあります。もやもやしていたら、本の中で次のような言葉を見つけました。
「わたしたちが自身のデジタルアイデンティティを所有せず、制御できないデータに分散され、
細分化されているということである。」
なるほど、データはつながっているかもしれませんが、情報がつながっていないのです。情報とデータは違います。データに構造が与えられ、一貫性のある形で編成、解釈または伝達されると、それが情報に昇華されます。コンピュータには「データ」が必要ですが、人間には意味と文脈が与えれた「情報」が必要になるのです。
半分のパンは、パンがまったくないよりは良いでしょう。しかし、ソロモン王が知っていたように、半分の子供は何の意味もなしません。同じことは、半分の哲学、半分のアイデンティティ、半分のコミュニティにも言うことができます。それらがデジタル化され、分割されてしまうと、それは意味をなくしてしまうのです。
夫はテクノロジーを推進する側の人間ですが、それはテクノロジーが人間を補完してくれるものであると思うからです。分断されたコミュニティの代わりに、ソーシャルネットワークで人間をつなげることはできません。部分の集合が全体になるのは、量的な問題だけです。データを使って考えるのは、人工知能に任せておけばいい。人間は、人間にしかできないことに集中する時代になったと思うのです。
いかがだったでしょうか。皆さん(妻)はどう思われますか。
○本日のおすすめ本
新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く
アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳)
単行本: 368ページ
出版社: NHK出版 (2002/12/26)
さよなら、インターネット――GDPRはネットとデータをどう変えるのか
武邑 光裕 (著), 若林 恵 (その他)
単行本(ソフトカバー): 248ページ
出版社: ダイヤモンド社 (2018/6/21)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?