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目の前の辛い気持ちに隠れいていた、妻がくれた大きないたわり

こんばんは。モラハラを手放すと決めて62日目の久保だいすけです。

先週の土曜日に、どうしても自分の感情の昂りが抑えられず、朝から妻の前で大泣きしました。「インナーチャイルドが暴れているんだね」と妻から優しく背中をさすってもらいながら、久しぶりに妻の優しさに触れました。

それとは対照的に今週は三連休。ちょうど息子もテスト明けで試合もなく、娘も習い事を一つ辞めたところなので、土曜日は久しぶりにまるまる空いていました。そうなると、どうしよう?となるのが最近の悩みです。

加害後、最も辛いのが週末

今日は何しようか?
どこ行こうか?

あれ見に行く?
最近〇〇に行きたいと思ってたんだ
〇〇をランチに食べに行かない?

そんななんでもないような会話が、今はもう二人にはありません。
これまで一緒に通っていた娘の習い事も、週末まとめての買い出しもありません。妻は決して二人で一緒に過ごそうとしません。

それが夫婦ではなく、子供の父と母でいることなのだと週末が来る度に痛感させられます。

もう一つ妻が言った言葉ある

「家族なんだから頼っていいんだよ」

妻は先週ぼくが泣き崩れて、泣きながらインナーチャイルドが涙の原因であることを明かしたあの日、確かにこう言いました。ぼくには、何故かそれが受け取れきれませんでした。

少し期待した自分もいます。そうか、ぼく達はまだ家族であり夫婦なんだ!と。同時に、期待してはいけないこともわかっています。

正確には家族なのだからと言っただけで、夫婦だとは言っていません。実際に家族という事業の共同経営者を演じている、という言葉の方が正しいと思います。

だからこそ期待してはいけない。でもそれよりも期待してはいけない理由があります。

それは特に自分の加害の思考・システムが完全に消えた保証はないからです。むしろ今回の三連休中は、どこか悪い発想ばかりでうまくいきません。妻も体調が万全ではないためか、すごく攻撃的な口調・表情になったりして、自分の中でブレーキを何回お踏んでいるのを実感しています。

このままでは何も変わらない(変わっていない)。まさにGADHA代表の中川さんの著書にもでてくる人と生き切るためのロードマップの通り、いつでも孤独に人はなれる(堕ちれる)感覚がいまとてもあります。

「孤独になることば、人と生きることば」中川瑛・著(扶桑社)
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むしろ少しぼくは加害の信念に戻っているのでは?と怖くなってきて、その恐怖心から妻が設けてくれた1年という猶予期間後の別れや離婚が頭をよぎるどころか占有しており、悪い発想しか出来ません。

ここから向かう先を定めるのは自分

目標に向かっている時、試練が訪れることがあるのは稀ではありません。今の自分の置かれている状況は、単に上の図でいうところの次のステップに向かおうとしているのかも知れません。

そんな中で、先週火曜日から加害者変容プログラムの入門編に参加してきました。詳細はまた別途書きますが、早速いくつもの課題が出ているので、それもしっかり実践しながら、変容に向かって行きたいと思います。

妻がくれた大きないたわり、明日への糧に生き抜くため

初回の授業で、自己紹介と現在置かれている状況を紹介した際に、司会の講師より「1年待ってもらえているのはありがたいことですね」というフィードバックをいただいた。

確かに、その一年をくれた意図や目的、さらにはその1年の間に変化を見せないといけないということばかりにぼくは目がいっていた。けれども、何よりもぼくは妻がくれた想いに感謝するべきだし、それをそのまま受け取るべきだったと反省。

「いたわり」には暖かく接したり大事に扱ったりすることという意味もあるらしくまさに妻がくれたのは、最後のいたわりの気持ちだったのではと思う。そんな妻がくれた大きないたわりに応え、まずは一日ずつ一歩ずつ、明日への糧にし、真っ直ぐ生きていく。そんな大変ありがたいことが、1年待ってもらえることには込められているのだと気づきました。

家族?夫婦?共同経営者?

結局、いまは過渡期。ぼくが変容を遂げられるか否か。夫としても、父としても、変化が見せられるのか。そんな過渡期です。

その過渡期に夫婦だとか家族だとか、その形やタイトルにこだわるよりも、しっかり自分の中にある思考や思想、信念やシステムに向き合っていくことが大切ですよね。

もちろんこれを打ちながらぼくは自分を言い聞かせています。
でもそうやってでもぼくは這い上がらないといけない。

まだ今は外因的な動機によりぼくは変容を求めていて、本来の自分のために、自分がより良い人間関係を築き生きやすくするためにという目的ではないです。でも変容の過程の中で、より内的な動機に変わってきて、本当自分としての変容を渇望できるようになれればいいと思っています。

そんな機会を無理矢理にでもくれた妻には本当に感謝すべきだし、いまだに感謝し足りないと思っています。

まずは今日時点でのありったけの感謝を持って、妻ちゃん、ありがとう。


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