ぼくの中のインナーチャイルドと出会った瞬間
こんにちは。断モラハラ32日目の久保だいすけです。
息子がこの9月から進学した高校で新しくできた友達に誘われて始めたバレーボールの最初の試合でした。
今朝は初めて週末に行われる試合につき、ずっと楽しみにしていました。
そんな息子の試合観戦前に女子バレー部の試合を見ている時に、思いがけず自分の中のインナーチャイルドと出会った瞬間について書きます。
実は悩めんで決めた進学先
この9月から、上の息子はぼくの母校に高校進学しました。約30年前に過ごしたキャンパスは、施設や設備が拡充されたものの、大きく建物の構造や配置は変わっておらず、特に高校の体育館はほぼあの頃のままでした。
実はこの進学を決めるにあたっては、2年にもわたって父子で歩んだ長い道のりがあります。
事情により1年前の編入を目指していたのですが、息子の実力とは関係のないところで編入を逃していました。そして中学卒業時に晴れて今月から進学しました。
今年こそ受かりたいと強い希望を持っていた息子の意思を確認し、父として息子の希望を叶えるべく、やれることは全てやりました。卒業生のステータスを駆使して、入学課のDirectorとも2年かけて関係を構築し、ことあるごとに状況をアップデート。仕事柄、現代の高校生や高校教育が興味を抱く領域と近いため、授業の臨時ゲストとして何度も登壇したり、週末にはイベントのお手伝いもしました。もちろん大した額ではありませんが、数年ぶりに寄付もしました。こうやって春に晴れて合格通知が届きました。
滑り止めと第二希望へも合格していた中での第一希望からの合格にみんなが喜んでいたのですが、実は息子はその頃に少し気が変わりつつあり、第二希望へ進学したいと。パパとママは第一希望に行ってほしいと思っているのはわかっているが、、、としばらく時間をかけて息子の意見を聞き、父としての考えをできるだけ押し付けない形で話し、最後は最後はそれを受けて息子が自分の意思で予定通り第一希望に進学することに決めていました。
と言いつつ、本人が納得しての進学先という形になっていますが、どこかで説得してしまったのか?本当に正しい判断だったのか?息子の意思を汲み取ってあげられなかったのか、といった罪悪感や不安を感じていたのは事実です。
学校が始まって三週間
新学年が始まってから三週間。彼は新しい友達もでき、その友達に誘われて秋学期はバレーボール部のトライアウトを受け、見事に2軍ですが合格しました。新しい学校、新しい友達、そして新しい挑戦をする息子に頼もしさを感じることで、ぼくの中の不安も少しずつ解消されていきました。
そして今日は初めて週末に開催されるホームゲームということもあり、朝から試合観戦に母校を訪れていました。
学校に到着するなり、息子はチームメートの友達を見つけて、スタンドから自分の試合前に行われている女子バレーボール部の試合を観戦。ぼくも同じスタンドの少し離れたところで観戦していました。
変わらない体育館、変わった応援コール
高校の体育館はあの頃のまま。天井や壁は補強工事や塗り替えられた後があり、スタンドも前に比べて頑丈にキレイになっていました。でも体育館の匂いや雰囲気はあの頃のまま。
変わっていたのは、いけいけ〇〇(チーム名)と叫ぶ応援コールと、ぼく自身がすごく学校に帰属意識を持って、人を応援するというよりも、チームや学校全体を気が付いたら盛り上げるように応援していました。
すると、どこからともなく、あの急に目頭が熱くなって、涙が溢れ出てくるような感覚が。
え?うそ?なんで?ここで泣いたらいけない!と焦りながら目にゴミが入っていたいふりをしながら、一生懸命目をこすって涙をこらえますが、その頃には大粒の涙が何滴かぽつりぽつりと鼻を伝ってこぼれ落ちていました。
なぜ?感動?
ちがう。
悲しい?興奮?
ちがう。
自問自答を繰り返しましたが、どれでもありませんでした。
そこで大きくいけるぞいける!と声をかける自軍の監督と、それに応えるように気合いを入れるために声を張る選手の姿が目に入りました。
次に、ちょうど体育館に入ってきた他の生徒が、横を通り過ぎた先生に〇〇先生、こんにちは!と挨拶する声。
男子バレーボール部の2部コーチが今日もやるぞ!とハッパをかける声。それに呼応して、やるぞ!と気合いを入れる選手。
意識をコート上に戻すと、ミスをすれば全員で励まし合い、点を取っても全員で喜ぶ。ベンチも監督もスタンドもどこか空気が一体となる。
もしかしてあの時の忘れ物かなあ?
そんな思いが心を駆け抜けた瞬間、それまで収まりつつあった涙が、再び込み上げてきました。
そう。あの頃の自分になかった光景がそこにはありました。
あの頃の自分が求めていた関係がそこにはありました。
小学校からその学校に通っていたぼくは、なぜか高校に進学した頃には、コミュニケーションの取り方がわからなくなっていました。(初めて言語化するので、うまく表現できないですが)
小学時代から一緒の友人とも、どこか上手くいかない部分が増えてきてすれ違うことも多く、高校最後の年、卒業数ヶ月前に友人と思っていたグループから弾き出されるように仲間はずれにされました。なぜ?と対峙した時も、結局お前とは一緒にいたくないのがわからない?という言葉だけでした。
好きな先生とはもっと話したかったのですが、どう話しかけて良いかわかりませんでした。
サッカー部にずっといたぼくは、国語の先生だった2部のコーチ、物理の先生だった1部のコーチ、いずれも授業や部活の中でも、必要最小限のコミュニケーションだけ。どこか受け身で待ちの姿勢ばかりで、殻を破って話に行くことができずにいました。
進学相談の担当カウンセラーと必須の面談では、頑張って思っていることを話してみたのですが、どこか親身になってもらえないと感じてしまい、その後の面談も最小限に。
家庭では、母からのモラハラに耐え、心がボロボロになりながらも、そんなこと起きているとは言えない。助けを求められませんでした。
辛くて、助けて欲しくて、でも殻を破れず。
助けて欲しかった。
誰かに聞いてもらいたかった。
辛かった。
この同じ環境で、ぼくが求めていた関係を持っている今の生徒たちの姿を見たことで、あの頃の自分が時空を超えて癒されにきてくれたような感覚でした。
あの頃は辛かったとか、そんな話はその後の人生の中でカミングアウトしたことはありました。でも最近は、少しあの頃の話をすることが辛かったり、もしかすると自分の息子が同じ環境に身を置くことがわかっていたことで、どこか緊張感が再び蘇ってきたのかもしれません。
今日、ぼくは初めてあの頃の状況を言語化するのではなく、どうされたかったか、どのようなニーズがあったのかを初めて言語化しました。
あの頃のぼくは、誰かから助けを求めていた。でも自分の殻を破れず、どこかで助けてもらい待ちになっていて、辛くて寂しかった。苦しかった。
ここで過ごした自分が、約30年の時を超えて、癒されにきてくれた・そんな気がしました。
まとめ・気づき
ぼくの中のインナーチャイルドがこの頃の自分だったのか、それだけなのか、また本当にこれで癒されたのかはわかりません。
でも明らかに、ぼくの中のぼくが強く抱きしめられにきて、もしかするとあの気持ちをようやく言語化できたことで、ぼくは少しでも抱きしめてあげ、癒してあげられていればいいなと思っています。
同時に、もしぼくが自分の過去の不安を、そのキャンパスという環境に置く息子に投影することがあったら、それは間違っているという言葉も明確に降りてきました。息子は息子、ぼくはぼく。彼は自分の後悔とか、不安や呪縛のような縛りを押し付け、そこからあたかもぼくが助け出すということは幻想であって、全くもって彼に寄り添っていないことに気づきました。
彼は彼で人生を送っています。偶然同じ高校で青春を過ごしているだけで、息子とぼくは異なる線上を歩んでいるのです。だからその境界線はしっかりと意識しないといけないということに改めて気付かされました。
また、ふと無意気にあるエピソードや場所で涙が溢れ出てきた感覚は、別の時にもありました。その時の話は、また別の機会に折を見て、向き合ってみたいと思います。
どのように妻と接点を持つか。どうやって家族が過ごすのかがとても不安な三連休初日は、妻との別行動から始まり、偶然インナーチャイルドに出会うことができました。
まだ三連休は2日ありますが、何が待ち受けているか、少し不安がありながらも、これだけ心が揺れ動き、おそらく消耗も激しかった午前中を過ごしたので、余裕や余白を意識しながら残る午後は過ごしたいと思います。
妻ちゃん、今日もありがとう。