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家系図を作ろうと思います。

はじめまして。
瀬戸内海に面した小さな街で普通に働いて、ごくごく普通に生きている37歳、くぼりーぬと申します。
日記代わりにnoteを始めました。
日記なのに、はじめまして。って挨拶してるのは…ご愛敬。ご容赦願います。

さて、「家系図を作ろうと思います。」についてお話します。

先週、なんとなーくラジオアプリradikoをダウンロードしました。
特に理由もなく、何故か何となく。そういう時ってありません?
しかし、アプリをダウンロードして「はて、何を聴くの?」とw
そりゃ何故か何となくダウンロードしたもんだから。
母と姉が好きで聴いていた福山雅治さんの『福のラジオ』を久しぶりに聞いてみることにしました。
そこで家族の話をするコーナーがあり、リスナーさんからの投稿を福山さんが読みました。そのリスナーさんは、おじいさんがご存命の時は戦時中の事を詳しく話すことは無かったけど、軍歴証明書を取り寄せてみると激戦の中を生き抜いた人だったと分かったそうです。

私にも戦死した母方の大伯父がいます。同居していた父方の祖父も戦争経験者です。
祖父の話は父経由でなんとなく聞いていますが、記憶が薄く…(反省。今となっては猛省です。)改めて父に聞くのもアリなんですが、せっかく知ったので私も軍歴証明書なるものを取得してみたいと思いました。
『軍歴証明書の取り方』を検索して読んでみると、終戦時に本籍があったところへ請求しないといけないことが分かりました。
終戦時の本籍…はて?父方は福岡県、母方は岡山県だろう。とは思いましたが、確証がないので戸籍謄本を取ってみることにしました。

「せっかく戸籍謄本を取るなら、家系図作ってみようかな。」
なーんて、ちょっとワクワクした気持ちが湧いてきたので、興味本位で家系図を作ることにしました。

自分の戸籍抄本は取得したことがあったので、今回は父の戸籍謄本を取得してみました。
地元の市役所に行き、請求者は私。筆頭者は父。と記入し、戸籍謄本と除籍も含めて1通ずつ請求しました。
そうすると、ベテラン職員らしき人が窓口に出てきて「お父様の戸籍で○○市にあるものを全てお出ししたら良いですか?」と聞かれたので、正直に「家系図が作りたくて戸籍を取り寄せています。分かる範囲のものが欲しいです」とお話ししました。
父は高専卒業後、広島県の会社に就職して出てきた人なので、それほど新しい情報を得ることはできませんでした。

「家系図ということなので、次にお母様側から戸籍をたどってみては?」と教えてくださったので、請求者は私。筆頭者は母方の祖父。で除籍謄本を取り寄せてもらいました。
「お母様の方は地元の方なので、明治まで遡ります。ただ、1通750円かかります。例えば、全てお出ししたときに10枚になれば当然7,500円かかりますが…どうされますか?」
と聞かれました。この機を逃すともう二度とやらないだろうと思ったので
(さっきの猛省はどこに行った?w)
こちらの市役所で出せるものを全てお願いしました。
ただ、財布の中が心もとない。「お金準備してきます。」と銀行に走らせていただきました。えーてぃーえむー!

結果はビビったほどにはならず、5,000円で済みました。

一番古くは、江戸時代・嘉永4年(1851年)生まれの荒次郎さん。
お名前だけは、墓標にある方なので存じ上げておりました。
うちの母とお墓参りに行くと、いつも順番に名前を読み上げて「皆様お集まりください。はい、私と家族は元気です。」と言うのがお約束です。そのおかげで、ご先祖様のお名前は記憶していました。

受付でさらっと見方を教えてもらった時には、「あら!荒次郎おじいちゃん!」ぐらいのテンションでした。しかし、家に帰ってから改めて見返してみると…37年間、全く知らなかった家族の歴史がそこにはありました。
私はなんと平和に、幸せに育ててもらったのだろう。
今まで私はなんと我がままに生きてきたのだろう。
情けない。有難い。情けない。有難い。有難い。
そんな感情がこみ上げてきて、近くにいる家族に、亡くなった家族にも、とにかく「ありがとう」と言いたくなりました。

普通に生きてる。なんて無いんだな。

詳細は次回以降に。
それでは、今日はここまで。また。

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