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20230728 「歳とりたくないね~」と話すこと
今日は会社の研修に1日消費する日であった。
研修の内容は、ざっくりいうと
「さまざまな生きづらさを感じている人」
に対して、いかに配慮して双方ここちよく共生していくのかということ。
とても実りある、有意義な研修だった。講師の方の話し方もわかりやすく、さすがはプロと感じた。
この研修はこれからの自分の生活に生かされていくだろうと感じた。
ひとにやさしく生きていくぞ! 困っている人全助けマン参上!!
よい心がけを表明したところで、研修のさなかに感じたうす暗いことを書きたい。
題名の通り、、、
「歳とりたくないね~」
と言った参加者の話。
その参加者は入社同期で、部署も同じ同僚である。
人当たりもよくて、仕事への取り組み方も真摯で、みんなに好かれていることは見ていてわかる。
その同僚は高齢者の視界を体験するゴーグルをつけて歩くやつのあと、席にもどり私に上記の感想を放ったのであった。
正直どきりとした。私もそう思っていたけど言っちゃだめだと思っていたから。
それに、普段から思いやりのある彼女がそう言うなんて。
なぜ言っちゃいけないと思っていたのかは言語化が難しいけど、それでも言うとすれば
「なんでも困難な日常を生きる高齢者に共感し今後の対応に生かすための研修の最中なのに、対極に位置する加齢への拒否感を表明してしまう」
ということかな?
本音では自分だって加齢に伴う身体能力の低下や認知能力の変化は避けたい。
しかし、絶対に避けられない。みんなが通る困難だからこそ、困っている人は山ほどいて、その人たちが生きやすいように少しばかりの配慮を。
そういう場だったのだから。
その同僚自身も受験のストレスから難聴になったことがあるらしく、その時のつらさは
「(自信があった)聴力をなくして、自分に自信がなくなった。」
と言っていた。
聴力を失うのだから、そのくらいの落ち込みも当然と感じる。
真摯に共感した結果の「これは大変すぎるな、、、」という感想が、いろいろ端折られて「歳とりたくない」と表出したのかな?
私も建前では、聴力が衰えても、視力が衰えても、万人が変わらず素晴らしいのだと言いたい。
建前というか、事実他人にはそう思っている。
しかし、いざ自分がとなると「絶対嫌」なのだ。言わないけど。
この感覚の残酷さ、今度ゆっくり頭を整理して書きたい。
晩御飯はカップ麺。プロテインも飲んだ。
寝る。