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辛い時こそ笑顔で
ついに引退ブログを書く日がやってきました。大トリを務めます66番キャプテンの前島翠です。拙い文章ではありますが、精一杯言葉を紡いでいくのでお付き合いください!
突然ですが私には大切にしている言葉があります。それは、タイトルにある「辛い時こそ笑顔で」です。この言葉は中学時代にフィジカルをしていた時コーチから言われたもので、そこから私の座右の銘になりました。
みんなで笑いながらフィジカルをしてたのが懐かしいな~。周りから見ればただの怖い集団ですね(笑)。私はこの言葉を胸にこれまでサッカーをしてきました。
話が変わって、ここからは肝心の大学サッカーについて振り返っていきます。3、4年生が濃くなると思うので飽きずに読み進めてもらえると嬉しいです!
1年生は県リーグ所属で人数が少なく、たくさん試合に出れるという恵まれた環境でした。時には10人しかいなくて私は経験のないSBをやったり、とにかく走り回ったりなどフレッシュという言葉がぴったりでした。カンカレに絡むことはできなかったけど、のびのびとサッカーができた1年間です。
2年生は、6月に関東リーグへ所属を上げてもらうことができ、新たな相手と強度の中で成長する1年間を過ごしました。
インカレで得点を取るという経験もして、大好きな先輩、同期たちが駆け寄ってくれたのが記憶に残っています。これが私の大学サッカーにおける一番輝いていた瞬間です。その反面、気持ちが落ちていくきっかけとなる瞬間があったのも2年生でした。
3年生は、私のサッカーに対する気持ちを大きく変えた出来事がありました。全く良い出来事ではなく、ある日突然ボールの蹴り方が分からなくなるというものです。本当に恐怖でした。パス練はできるのに、ゲームでボールを持つと足元に置いてあるだけでどうすればいいか判断できなくなる。
2年生の後半から気持ちが落ち始め、3年生のシーズン初めあたりで何もかも上手くいかなくなりました。味方からパスが来ても失い、人からの視線も気になって、みんなの目が見れなかったです。
私はこの状況から抜け出すことができたわけではなく、最後までボールが蹴れなくなるあの感覚を恐れてサッカーをしていた気がします。
スタッフの方が話を聞いてくれたこともあり、自分を見つめ直すことができて、私の中で少し考えが変わっていきました。
この頃から、自分に対して高すぎる理想を持つのではなく、自分の結果よりもチームが勝てれば良いという考えになっていきます。
この考えは、良く言えばチームのために、悪く言えば自分自身への向上心や感情に蓋をすること。これが正解だったのかは分からないけど、少なくとも私にとっては、この考えが救いでした。
3年生は苦しいシーズンでしたが、チームはインカレに出場し、同期のおかげで楽しかった瞬間もたくさんありました。
いよいよ4年生についてです。キャプテンとしてのラストシーズンは不安と悩みが絶えることはなく、同期とチームについて話さない日はないくらい色んな話をしました。
このシーズンは、結果で見ると皇后杯本戦に行くことはできたものの、インカレに出場できず、入れ替え戦になり、なんとか1部残留することができたという苦しいものでした。
試合の出場機会が減っていき、チームや4年生、そして自分自身の課題が山積みでした。シーズン前に描いていたものとはかけ離れていて、どうしてこうなるのかと自分や周りに矢印を向けてしまうこともありました。
4年生の意地やキャプテンとしての責任があるのに試合に絡めず何をしているんだろうと感じる、どうにかしようと練習で声をかける、試合をするたびにカンカレ、インカレへのプレッシャーが増していく。
インカレに出れるかどうかが決まる試合前、入れ替え戦前、正直すごく怖かったです。大好きな同期と頑張ってきたから、歴史を壊した代だと思われたくなかった。SNSでは結果しか伝わらないから、自然とダメな代だったんだと周りは判断するかもしれない。そういう全てが嫌で怖かったです。だから声を出し続けました。恐怖を気にしないために。
こんなに濃くて長い1年間は今までになく、振り返るとすごい経験をしているなと思います。
自分よりもチームに目を向け続けた1年間。だから成長もなく試合に出られなかったんだと言われればそこまでですが、私にはチームのために動くことが幸せでした。私の価値はここにあるのだと思うことができました。
中学の時に「周りにアンテナを張ること」を学んでから、常に自分がすべきことは何かを考えてきましたが、この1年間は特に奔走したと思います。
だからこそ結果がついてこなかったことが悔しい。
2024年2月24日に役職決めをしてキャプテンになってから、ここまで私はキャプテンらしいことをやれたか自信がありません。でも、引退を迎えるにあたって同期から「みどりがキャプテンで良かった」と言ってもらえることがありました。私はその言葉だけで、私たちがやってきたことは間違いじゃなかったのだと自分に言うことができます。
最後の1年間が私たちの4年間の全てだと私は思っているのですが、結果はどうであれこの1年間、そして4年間を自分で否定したくないし、誰にも否定されたくない。否定されるなら全力で怒れる。そう思えることが経験から得た全てだと思います。
ここで私のサッカー人生は終わりますが、後悔はありません。それくらい楽しさも苦しさもサッカーで味わいました。
最後にタイトルの言葉に戻ろうと思います。ここまで読んでくださった方には分かるかもしれませんが、私は「辛い時こそ笑顔で」を体現することはできていません。どちらかというと辛い時に辛い顔が出やすいタイプです(笑)。気持ちが落ち始めると一気に急降下する人間。じゃあなぜこの言葉をタイトルにしたんだという話ですが、私がサッカー人生をここまでやり遂げたのはこの言葉があったからです。正直、この言葉は無理難題だと思います。でも、辛い時に下を向き続けることはなく、必ずどこかのタイミングで顔を少し上げてきたから今があります。私の宝物です。
以上が私の大学サッカー人生でした!楽しさと苦しさ5:5!これからも「辛い時こそ笑顔で」を胸に人生を歩んでいきます!
同期のみんなへ。とにかくありがとう。13人から私たちは始まり、全員に出会えて本当に良かった。私はいつも同期に恵まれているなと思います。みんなと気持ちを共有して一緒に怒って泣いて悔しがって笑ってぶつかって話し合って、ここまで前に進んでこれて良かった。面倒くさい私を支えてくれて本当にありがとう。みんなが大好きだから、このチームが大好きだし、4年間が宝物になりました。
麻希と理子へ。一緒にチームを支えてくれてありがとう。2人とも仕事が早くて、何度も助けてもらいました!遊びに行くと最後はカフェでチームについて話していることが当たり前で、いつの間にか夜なんてこともよくあったね。私たちは突き抜けられたのかな。それは自分では判断できないけど、2人がいたからここまで頑張れた。ありがとう。
後輩のみんなへ。この1年間での経験を活かして、この先の神奈川大学を背負っていってください!神奈川大学女子サッカー部という名前は自分たちが思っているよりも歴史や伝統があって、プレシャーも大きくなると思うけどずっと応援してる!笑顔で話してくれるみんなが可愛くて仕方がなかったよ!
スタッフの皆さんへ。自分の時間を犠牲にしてチームのために、勝利のために私たちを支えてくださり、本当にありがとうございました。やっかいな学年だったかもしれませんが最後まで大変お世話になりました。私が社会人になった時に周りに無い経験をここでしていることは私の大きなアドバンテージで、ここまで成長できたのも皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。
お父さん、お母さんへ。これを見ているのかは分からないけど、小学5年生からこれまでサッカーを続けさせてくれたこと、たくさん試合を見に来てくれたこと、私のサッカーが人生の楽しみだと言ってくれたこと、他にも書ききれないくらいですが本当にありがとうございます。外で頑張ると家では一言も喋らない気分屋な私でしたが、いつも変わらずにいてくれてありがとう。生まれた時から反抗期な私も社会人になるので、たくさん恩返しさせてください!明日部屋片づけます。
ここに書くことができなかったこれまで関わってくださった全ての方々、本当にありがとうございました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。引退ブログでは私たち10人それぞれの思いや経験が書かれていたと思います。サッカーを続ける人、ここで終わりにする人で分かれますが、私たちが神奈川大学女子サッカー部で4年間闘うことができたのは、支えてくださる皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。これからも応援のほどよろしくお願いいたします!!
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前島翠(まえじまみどり)
駒林SCローザ→AC等々力→暁星国際高等学校→神奈川大学