Nebula 感想

 上田麗奈さんのNebulaを手に入れました。

 事前情報に違わず物凄いアルバムだったので、感想を残したいと思います。マジで凄いので、未聴で様子見をしているならばこれを読む前にサブスクなり現物を買うなりして聴いてほしいです。お勧めは「CD買ってサブスクで聴く」です。

 コード進行みたいな音楽論とか制作陣のこととかは詳しくないので、フィーリングの感想中心です。

1.うつくしいひと

作詞・作曲・編曲:rionos

 「夏」というコンセプトと合致した、明るくきれいなオープニング曲。

 ラジオ(たしか、こむちゃっとカウントダウン)で曲ごとに色があるという話が出ており、うえしゃま曰くこの曲は「緑」とのこと。また、挫折というテーマを描く上で起点となっているもの、つまり、まだ暗い面や陰の部分がない状態をイメージしていると語っていた。 

 イントロのピアノ1音目から「あ、優しい。」と安らげる心地よさがある。うえしゃまの歌い方も非常に柔らかく穏やかであり、まさに聖母のようである。

 曲調は明るい一方、歌詞は暗いというか、後ろ向きな面がある。
 美しいものを讃える一方で、自分はそこに至れないことに気づいてしまったことの悲しさ。「うつくしいひと」になれると思ってた無垢な自分と別れていくのが、この先から始まる”挫折”の第一歩といところなのだろうか。

2.白昼夢

作詞・作曲:ChouCho 編曲:村山☆潤

 1曲目から急転直下で突き落としてくるような曲。
 続けて聴くと、1曲目の冒頭では柔らかい響きだったピアノが一転して不穏さを醸し出す道具へと変化することに驚く。不協和音の怖さである。

 うえしゃまがこの曲をオーダーした際の指定が「地獄」ということで、挫折の「底」はまさにここなのだろう。「目蓋こじ開けて見つめる現実」「空想で語る言の葉の理想は もう聞きたくないんだよ」と、1曲目で示された理想をかなり直截的な言葉で否定しているのが印象的である。

 ChouChoさんフィルタのお陰でどこか優しさも残っており、なにより世界に対する「愛」も感じられるのだが、それが同時に激しい自己嫌悪にも転じてたりもする。

3.Poème en prose

作曲・編曲:TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND

 上田麗奈のアルバムではお馴染みのインスト曲にして、このアルバムの問題作の1つ。

 Empathyやライブでもインスト曲は場面展開の表現として使われていたが、これも2曲目と4曲目を接続する役割を持っている。うえしゃま曰く「緑から赤へ変化していく」ということだったが、確かに穏やかな色調からサイレンのような警告色へ変わるような雰囲気がある。

 構成としては、アルバム内の様々な「音」をサンプリングしてカットアップしたものになっている。途中、うえしゃまの叫び声まで入っており、最初に聴いた時は「怖い」とすら感じてしまった。穏やかだったものが攻撃的なものへと変質する様子が1つの曲の中で表現されており、ブリッジでありながら単体でも聴きごたえのある曲になっている。

 タイトルはフランス語で「散文詩」という意味。曲中に散りばめられた歌の断片は確かに散文的と言えるだろう。実は筆者は最初にアルバムを聴いた時にこの曲も「歌詞がある曲」の1つだと思っていたりしていたのだが、それも散文的な言葉の並びの効果かもしれない。

 サイレンのような音と共に加速度的に緊張感が増していき、限界まで張り詰められた糸がついに弾けたところで曲は終わり。息つく暇もなく次の曲へ繋がっていく。

4.scapesheep

作詞・作曲・編曲:TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND

 2曲続けてTECHONOBOYS曲。前で変わった雰囲気をそのまま引き継ぐような暗く低いところから始まるが、思ったよりテンポは速い。バスドラのようなズンズン来る音が心臓の鼓動のように聞こえる。

 うえしゃまの歌い方もバリエーション豊か。歌うというよりはしゃべるに近い部分が多く、特に歌詞で「」に囲まれてる部分はほぼ台詞のような声の作り方をしてる。心の奥にたまった澱を喉から絞り出すような言葉たち。感情の吐露をこえて嗚咽に近いものがある。後半になってくると嫌悪感が露になる感じもよい。普通に歌うときには使わないであろう心の動きがふんだんに取り込まれている。

 前の曲からの流れを強く引き継ぐ曲ながら、単体で聴いても印象に残る曲でもあり、この曲がアルバム中で一番好きというDJがいたのも頷ける。江口拓也も賞賛した「shit」など、上田麗奈に冷たくあしらわれたい願望のある人間にはたまらないだろう。

5.アリアドネ

作詞・作曲:山田かすみ 編曲:Saku

 アルバム中で最も異質な曲。異質というか、もはや異常。ラジオで初出しされたときから「この曲はヤバい」と思っていたが、流れで聴くとさらにヤバくなる。

 まずもって一音目の発声からおかしい。明るく楽しそうな「フリ」をしていることがすぐ分かる。前曲が「陰」に振っていたとことで現れる、無理やりな「陽」。この急激なギャップが躁鬱の切り替えを思わせ、不安定な恐怖感を煽ってくる。歌に続いてくるストリングの演奏もグリスタンド(指板を指で抑えたままスライドさせる技法。音がうにょんと上がったり下がったりする)を多用しており、奇妙さと不安さを助長させている。

 楽曲全体のイメージは歌詞にも出てくる「仮面」であろう。不安定な暗い感情を覆い隠すために装われた、怪しく楽しげな雰囲気。「子供だまし」と自嘲する通りまったく隠しきれてない拙さのある偽装だが、それゆえの切実さというのも感じられる。

 ちなみにこの曲は歌詞カードにも大きな仕掛けがある。ぜひアルバムを買って実物を見てほしいのだが、歌詞が「歪んで」いるのである。この曲と次の曲がアルバムの中でも特に尋常じゃない精神状態にあることの現れなのであろう。曲とのインパクトもあいまって、初見時はひらいた瞬間「うわぁ」と声が出てしまった。

 「アリアドネ」はギリシャ神話に出てくる女性。英雄テセウスが迷宮に潜むミノタウロスを倒す際、道に迷わないよう糸玉を与えたという逸話があるのだが、おそらくその辺は関係ない(はず、もしかしたらもっと深い隠喩があるのかもしれないが浅学過ぎてわからん)。歌詞中に出てくるアラクネーとあわせて、語感の良さがハマっている気がする。

6.デスコロール

作詞:良原リエ 作曲・編曲:Babi

 前曲から一転、落ち着いた曲。歌詞カードは相変わらず歪んでいるが、アリアドネで踊りすぎて疲れてしまったのだろうか。

 ゆっくりと、一言一言を絞り出すような歌い方が印象的。遅めのテンポは止まりそうというか、途中で一時停止してまた始まったりする。水の音がサンプリングされていたり幻想的な雰囲気があったりと、アルバムジャケットやポスター等のイメージ(オフィーリアのようなあれ)に最も近い曲に思える。

 ラジオでの解説によると、この曲は完全に「落ちた」状態。自暴自棄や自己嫌悪を通り越して何もかもを投げ出したような精神状態にあるらしい。疲れ切っていながら今までより少し楽になったような感じがあるのは、投げ出したゆえの安堵というとだろう。アルバムではここから少し心が持ち上がると「プランクトン」につながる流れになるが、うえしゃま的には日によってはデスコロールから浮かばずに終わる日もあるとのこと。

7.プランクトン

作詞:上田麗奈 作曲・編曲:広川恵一 (MONACA)

 このアルバム唯一のうえしゃま作詞曲。デスコロールまでの躁鬱を抜け、やっと明るい兆しが見えた感じがする。

 海の中をたゆたうような横揺れのリズム感が心地よい。口ずさみやすいメロディーとエレクトーンが印象的なお洒落な編曲は、さすが広川氏というところか。自分が曲先行でこれを渡されたら、雰囲気を崩すのが怖すぎて歌詞をつけられないと思う。

 タイトルの「プランクトン」のメタファーが歌詞全体にきいてるのも印象的である。波や潮の流れに逆らえない無力感、己のちっぽけさと海の広大さの対比、それでも生きていく賢明さ。様々な面がこの一語に凝縮されており、文芸力の高さを感じさせられる。

8.anemone

作詞:Annabel (siraph) 作曲・編曲:蓮尾理之 (siraph)

 アルバムリード曲。MV見たりして腐るほど聞いたはずなのだが、改めて流れの中に置くとさらに理解が深まった。

 無くしたもの、欠けたもの、不完全な「私」という存在。そういったものへのわだかまりを捨てて前へ進むという決意が歌詞や曲の展開から聞き取れる。AメロBメロからサビに入るところで音量的にも音幅的にも広がるところや、サビの後半で横揺れが縦ノリに変化する感じなど、ここまでとは違う前向きさや強さを感じられる箇所も多い。

9.わたしのままで

作詞:Annabel (siraph) 作曲・編曲:照井順政 (siraph)

 今回のアルバムで一番難しかった曲。anemoneが単体でも訴求力のあるリード曲だったのに対し、こちらは流れで聞いて初めて意味を持つ曲という感じがした。

 次のwallが舞台におけるカーテンコールのような曲であるため、この曲はアルバム全体の実質的なラスト。しかし、挫折から始まった物語の締めくくりにあたるためか、だいぶ内省的になっている。華々しさとは縁遠いが、そこがうえしゃまらしさとも言えるだろう。

 『わたしのままで』という曲名からは自己肯定的なメッセージを感じるが、歌詞の内容はその前段階である自己受容、自分が自分であることを受け入れることを歌っている。
 この点は些細なようで重要だろう。このポジション取りがアルバム全体のコンセプトを明確に決めているからだ。
 「自己肯定」というのは他者への意思表示であり、そこには強いメッセージ性がある。そこに至らずあくまで「自己受容」とすることで、内向きに話が完結しており、このアルバムが挫折を経て立ち上がる「わたし」の物語であることが明確になっている。

 もしこの曲がよりメッセージ性ある曲になるならばタイトルは「きみのままで」「あなたのままで」となるのだろうが、そうした外向きのメッセージにしないことは上田麗奈のアーティスト性と密接に関係しているように思う。
 あくまで内省的に、あくまで自己表現として。大仰なことを言わない自分語りだからこそ声優アーティストのなかでも唯一無二の存在感を持てているのだなと改めて感じられる曲である。

10.wall

作詞・作曲・編曲:コトリンゴ

 遂に訪れたアルバムのラスト。うえしゃまの「カーテンコール」という表現が実に相応しい、祝祭感のある1曲になっている。

 頭からキーフレーズの「Jump over the wall」が置かれており掴みが強い。このフレーズは歌詞こそ英語で書かれているがうえしゃまの歌い方はカタカナ英語のような発音になっており、wallの前のタメも相まって非常に癖になる。Aメロで音数も減り少し落とした感じになるのだが、頭サビのお陰でそれがサビに向かう助走であることが明確になっており、構成的にも上手く機能している。

 歌詞の方もラストに相応しく、自分を鼓舞し壁を超えていく前向きな言葉に満ちている。

Nebula全体について

 聴けば聴くほど味が出るアルバム。前回のEmpathyが素晴らしいアルバムだった分期待のハードルは高かったはずなのだが、聞き終わるころにはそんなの忘れて絶賛していた。頭からおしりまで聞いて、次に1曲ずつ取り出して聞き込んで、さらにもう1度全部を通して聞いてと、1枚でかなり楽しんでしまった。

 前作であるEmpathyと比較すると、より内省的に、うえしゃま自身のことが語られているように思う。Empathyでは連続する1曲ずつの陰と陽のコントラストがかなり明確であり、1人で入れ替わり立ち代わり様々なキャラを演じながら物語を進めていくという雰囲気があった。対してNebulaは挫折から復活というシンプル流れを丁寧に詳細に語るような構成となっている。楽曲の多彩さは2作とも変わらないが、より自分自身について語ることに積極的になったうえしゃまの変化の顕れがこのアルバムなのかもしれない。

 とにもかくにも、表現の幅も楽曲の種類もさらに増したことが感じられるアルバム。こうなってくると次は「ライブで見たいな」という欲が湧いてくるのが自然なところ。1stライブが既存曲すべてを再構成した素晴らしいセトリだったのでここも相当にハードルが高いのだが、まあうえしゃまとチーム上田麗奈なら「Jump over the wall」してくれるだろう。

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