【お話】ふたつの森がありました #8
ライオンの長は、語る
あれは、わしが長の座についたばかりの頃だった。
ライラは自分の不注意で生まれたばかりの子どもを死なせてしまった。錯乱して飲まず食わず、どんどん衰弱していった。
だれもライラを救うことができず、わしは仕方なくライラをノウンに預けることにしたのだ。
ちょうどそんな頃、ノウンはお前を拾ったらしい。
奇妙な偶然だな。ライラはお前を自分の子だと思い込んだ。
乳を飲ませるために、食事をとり水を飲んだ。
そしてお前を必死で育てた。
ノウンは自分が様子をみているから、わしらには近寄らないようにと言った。いまはライラには子供の代わりが必要だと。混乱させるようなことは言ってはいけないのだ、と。
落ち着いて、真実を受け入れられるようになる日が、必ず来るから、と。
どれくらい経った頃だったか、ライラが村に逃げ戻ってきた。
恐怖に震えて、助けてくれとそればかり繰り返した。
なにがあったのかノウンに聞きに行こうとしたところに、お前が現れた。
お前の体はすでにおとなのライオンよりも大きかった。漆黒の毛並みに、燃えるようにぎらついた赤い瞳。耳のちかくまで大きく裂けた口。誰もみたことがない異形な姿をした獣だった。
そして、お前はおそろしく強かった。
母を取られまいと必死だったのだから、なおのことだ。
だが、わしは長としてライラを、この村を守らなければと必死になった。
あとにも先にも、あんな死闘は経験したことがない。
お前の爪がわしの右目を引き裂いたとき、ライラが叫んだ…。
「来ないで!!! 化け物!!!」
その瞬間、…お前は母を失ったのだ。
片目をなくしたわしの痛みよりも、そのときのお前の痛みは計り知れないと、いまは思う。
長はうなだれ、長い沈黙が続いた。
ずっと黙っていたピーノが、ヒューの背中からはばたいて長の肩にとまった。
そして、歌い始めた。
『涙はどこから』 ピーノのうた
時が流れる 風が流れる 星が流れる ルルル
おもての森から 影の森へ
だれもその先はしらないけれど
時が流れても 風が流れても 星が流れても どこかで
あなたを おもうとき こみあげる涙は
どこから くるのだろう
誰もしらない 深い泉から この涙はくるのだろう
そして雲になって きっと雨になって また泉に流れていく
時が流れても 風が流れても 星が流れても どこかで
ライラの涙
それまでうなだれていたライラが、顔をあげてヒューをみた。
「ヒュー」
ヒューはその声をきいて、びくっと肩を震わせた。
「思い出したわ、どうして忘れていたのかしら…」
ライラは無意識にヒューのほうへ一歩踏み出した。ヒューはそれを見て、後ずさった。
「悲しくて、さびしくて、どこにも居場所がなくて…真っ暗な闇の中でなにも見えなくなっていたときに、小さくてあたたかな何かが、わたしの胸で啼いたの。声にならないような声で、ひゅーひゅー啼いた。その漆黒のからだを抱きしめたら、私とその子の体から同じリズムで音が聞こえた。その音を聞いていると暗闇も怖くないような気がした…」
ライラの瞳から、涙がこぼれた。
「ひゅーひゅー啼くから、ヒューと呼んだ…」
顔をくしゃくしゃにして、ライラは泣いた。
「どうして忘れることが出来たのかしら、あんなに大切だったのに。
どうして、あんなひどいことを…私は言ってしまったの…どうして!」
再び、ライラはうなだれて、地面に頭をこすりつけるようにして、ごめんなさいと繰り返した。
やがて、ヒューは一歩だけライラに近づいた。
「…思い出してくれて、ありがとう」
静かな声でそういうと、ヒューはピーノのほうを見た。
ピーノは長の肩の上でその視線を受け止めた。
「やっとわかったよ、ピーノ」
「え?」
「初めてお前の歌を聴いたときに、なぜか懐かしく思えた。ほら、あの子守歌さ…」
ヒューは、ライラのほうに視線をうつして続けた。
「似ていたんだ…このひとが、俺にしてくれたことと。それは歌ではなかったけど、でも、とても似ている。だから、あんなにも懐かしかったんだ。そして、あたたかかったんだ」
ライラは顔をあげてヒューをみた。
そしてその瞳からまた涙がこぼれおちた。
「…覚えていてくれて、ありがとう…」
ピーノは、ライラのすぐそばにおりていって、歌いだす。
いちばん初めに歌った、いちばん好きな子守歌を。
=すこしずつ、暗転。そしてスポットライトは、もらい泣きをしているライオンたちにあたる=
「だれだよ、ヒューがピーノを使って、おもての森を支配する気らしい、なんて言い出したやつは」
「お、俺じゃねえよ! 俺はこいつに聞いたんだ」
「俺も誰かが話してるのを聞いただけだよ!」
「なんだ…ただの噂話だったのかよ」
ざわめきが、ちいさくなっていく…。