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休日

12月21日久しぶりの公休。
前日の20日も21時には仕事が終わり帰れた。21時に仕事が終わった事を嫁ちゃんに伝えると晩ごはんにうどんか餃子ならあるけど〜との事。

まぁその二択なら餃子だな。ご飯も欲しいな〜

ごはんと入力していると嫁ちゃんからご飯炊いとく!?と。通じとるやんけ!

22時過ぎに家に着くと録画された鬼滅の刃をみんなで観ていた。とりあえず風呂に入りたかったけど、浴室には洗濯物が干してあり乾燥中。シャワーも浴びれんやないか!まだ風呂入ってないんや〜と言うと「2人とも見入ってたから〜」と。

中に干しているものを退けてもらいシャワーを浴びる。仕事の汗やら何やらを洗い流す。そうや!水菜とシャウエッセンがあったから炒飯を作ろう。餃子には炒飯よね。

出るとまだみんなで鬼滅の刃を観ていた。嫁ちゃんは正確にはスマホで漫画だが。キッチンに行くと洗い物が山積みに・・・どこで作ろかな〜と考えていると嫁ちゃんが現れ食器を洗いだす。

「何これ!?何するん??」と冷蔵庫から出した食材に対して言う。炒飯作ろうと思って・・・と返すと「餃子は?」と。なんのこっちゃ!?

「先に作ったら良いの?炒飯作った後に作ったら良いの?私には作って要らん?」

抱っこ抱っこ言ってきた下の子を抱っこしながら、炒飯作った流れで作れるな〜とか考えていたら急に「もうええわ!」とお湯も入ってない風呂に子どもたちを入れる!とテレビを消した。

疲れ果ててる時にホント疲れる。これ。

まぁお腹がチョー空いてるので炒飯と餃子を作り食べる。食べ終えて少しすると子どもたちが風呂から上がってきたので着替えさせ、歯磨きをし鬼滅の刃の続きを流す。その間に使った食器を片付け、ゴミをまとめて捨てる。

よし!寝れる。と布団に入ると泣き喚いた2人が布団に入ってくる。再びテレビを消された様子。

子どもたちよ!世の中はいつも理不尽との戦いなんだぞ!

そのまま気を失うように就寝。朝上の子の幼稚園に下の子と送りに行った帰り、休みの安堵感からあの認知症の人達の日常が崩れていく様。急変していく様を考えてしまった。

19日に初の犠牲者が出た。その患者は受け持ちの患者で、重症化する少し前までバルーン(膀胱留置カテーテル・尿道から膀胱まで管を通して体外に尿を排出させたものを貯めておくもの)
を首から下げて歩いていたのに。酸素をどれだけいってもSPO2は上昇せず、家族の意思が挿管等の積極治療はしないという事なので転院も無し。COVID-19の治療薬は投与するも急変時は何もしないのである。

昔のおじいちゃんなので少し男尊女卑はあるものの、援助の後にはいつも「いつもありがとうな」と言う人で、1度その人が使っている車椅子を違う人に使おうとして襲いかかられた事もあった。

夜勤していた6時にモニターがフラットになっており、医師に生体反応無しとの診断で死亡確認された。COVID-19に感染しているため、抜管せずシーツで包み、葬儀屋の持ってくる特殊な袋に入れて納棺した。

働いている時は忙しすぎてあまり考える事がなかったんだと思う。今のこの状況が日常の延長線上にある事を。車の中で何故か急に涙がボロボロと溢れてきて、身体にだけでなく精神的にも負荷がかかっていたんだなぁと。

他病棟から応援スタッフが来てくれて、業務はだいぶ安定してきた。18日に熱発した人(この人の代わりに夜勤をした)も検査の結果陰性。少し明るい兆しが見えてきた気がする。

あともうひと踏ん張りなのか、まだまだ先は長いのか。陰性患者は残り6人、総患者数51人(12月20日時点)。

子どもたちで充電出来たから〜明日からまたガッツリ働けるぜ〜

昨日締だった時間外勤務の表が凄いことになっていて笑けたね。人って意外に頑丈に出来てるんやね。

ただ1つ懸念が。

この事態で働きに来ていないスタッフがひとりいる。この事態が収束した時に今までと同じように働けるのか。もしかしたら彼女の言葉はその時、誰にも届かなくなっているかもしれない、

サポート頂けるとモチベーションになります。どんどんサポートしたくなるように精進します