2,気づいてから
そうかもしれないと気づいてからの私の変化。
色々調べれば調べるほど、やっぱり私は発達障害なのだという思いは強くなり、ほぼ間違いないと考えるようになった。それはとても辛い現実で、家で泣いた。
今まで人とのコミュニケーションが苦手くらいにしか思っていなかった。中学生になった頃から、あれは失敗だったよなーとか、なんであんなことを言ってしまったんだろうって後悔することが多かった。こう書くと、誰でもそんなこといっぱいあるよと思われるかもしれないけど、どのエピソードもADHDの特徴をもろに発揮したようなエピソード。そして、実は私が認識しているエピソードなんてほんの一部なんじゃ、、、周りの人は、もうあの人ってちょっとアレだよね...みたいに思うほど、私はコニュニケーションや振る舞いが周りとずれまくっているのではないか。そうだとしたら、それに気付かずに30年近くいたなんて辛すぎる。恥ずかしいし、情けないしで身の引き裂かれる思いだ。
小学生の頃は周りとずれているという概念もなく、親友なんかもいて楽しくやってた。おそらく、そのふるまいが人を戸惑わせたり、時には無神経さで人を傷つけていたりしてたと思う。
中学からいきなり人とのコミュニケーションが超難関に感じ始め(受験したので知っている人が誰もいない環境に飛び込む)そこから、生き辛さの扉が徐々に開き始める。友達と会話ができない。ただ、その時その時で仲の良い子はいたりもした。極端に波長があっていつも一緒にいる友達がいるときもあった。そこに救われて、なんとか重苦しい6年間も過ごすこともできた。ただ、基本的には人とのつながりを太く持てないことにずっと悩みながら過ごしていたので、今でも夢に見る。学園祭のとき、だれとも一緒に回ることができなくて、一人でいることに本当に孤独と恐怖を感じるという夢を何度も。
大学生活は楽しかった。いわゆる大学デビューした私。おしゃれとかガールズトークとかとても楽しかった。中高の時代から環境が一変して、まさに生まれ変わったような気がしていた。
その当時の発達障害を感じる事象といえば、手続きや履修関係のこと。そういったことが本当によくわからず、またよく考えず、常に置いてきぼりギリギリのところで周りの人に助けられつつ、生活していた気がする。遅刻もした。中高の科目と違い、多角的にもとごとを考える講義なんて、まさにちんぷんかんぷん。思考というよりも板書を暗記的に覚えるという生産性のない勉強の仕方をしていたように思う。おかげで、大学で得た知識なんて今はどこえやら。なんにも残っていない。因みに、ある程度のコミュニケーションを取りながら友人の和を広げられたのは、多分経験値でこういう話のときはこんなリアクションをとり、こう返すと会話になるという経験を地道に積み上げられたからだと思う。大学というところに、なんだかバカでかい期待を持っていた私は、「楽しみたい」の一心で勢い任せの生活を送っていたからなせた技だと分析している。
なんだか、発達障害だからこうだったんだと考えつつも、いや、それはただ私がだらしないだけでしょと考えたりもする。発達障害を認めることが「逃げ」みたいなよくわからない後ろめたさが存在する。
ただ、今最も頭から離れない思考は「私が気づいてないだけで、常に周りとはずれた発言や振る舞いがダダ漏れだったんじゃないか」ということ。その考えが浮かぶ度に恐怖に襲われる。
要はこれが、発達障害なんじゃないかと思い始めてからの変化の一つ。今までの人生、周りの人達からどう見られていたかが大幅に自分の認識と解離しており、私は実は変人だったのではないかと考えてしまうこと。
数日で思考はぐっと変わっていく。まだまだ書いていきたい。
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