キングオブコント2024


お笑いがものすごく好きだ。

学生時代、相方募集のネット掲示板でトリオを組んでコントを作っていたくらい好きだ。
吉本興業の採用試験を受けたことがあるくらい好きだ。
大喜利みたいな筆記試験でめちゃくちゃワクワクしながら回答したのを覚えている。

結局のところ度胸も才能もなく、一般社会人お笑いファンに落ち着いた。

私はこのnoteを好きに使うと決めた。
鉄を熱いうちに打つべく、今年のキングオブコントについて書く。
放送終了後、アチアチのままThreadsに解き放ったキモ自語りコピペではあるが読んでくれると嬉しい。

今年もいい大会だった。
いい大会じゃない賞レースなんて存在しない。
結果は結果。いまさら変えられるものではないのだから、優勝おめでとう!と開手を打つだけでいい。

しかし、今回は特にSNSが荒れた印象がある。
中でも審査員へのネガティブワードが目についた。
私自身も自分の感性とは違う採点・順位ではあったため、少し思うところがあった。

コントは漫才と比べて作品性が高い分、点数をつけることがなんとなく作者にとって賛も否も重みのあるものに感じてしまいやすく、その世界観を否定したくないと思うからこそ審査員側の点差があまりバラけないのかなと思う。

漫才も作品と言ってしまえばそれまでだが、審査員がロジカル的なコント構築論は置いといて、見た映画をFilmarksで記録するように、自分のものさしと感性だけで審査をしたら順位は変わったんだろうか。

結果を残したコント師の審査と世間の評価に乖離があって、お笑いって誰のための娯楽なんだろうと少し思ってしまった。

お笑いは芸人のためだけでもお笑いファンのためだけでもなく、もっと庶民のための娯楽になってほしい。
自分の面白いを追求し表現するのが芸人で、それを享受し魅了されるのがファンである形は変わらないが、その芸人の感性はもっと多くのものさしで測られるべきだと感じる。

お笑いは閉じコンしてても意味がない。
大阪に漫才という文化が根付いているように、コントも大きな娯楽・文化として根付く日がきてほしい。

その点に置いては、M-1敗者復活戦にかつて採用されていた“国民投票”は理に適っていたのかもしれない。
「あの時のM-1、僕は・私はこの人に投票した」という事実は、劇場には足を運ばないけれどテレビのお笑いは見るライトな視聴者層にとって結果がどんなものであれ、この事実を持ってお笑い賞レースという大きなエンタメに加担したという当事者意識が生まれる。

審査する立場になって初めて自分の笑いの感性と向き合って正義とものさしを振りかざし、あーでもないこーでもないと自己のコミュニティ間で話題になることで“庶民のための娯楽”として成立すると思っている。

偉い人・理解できる人へ向けてのエンタメではなく、「みんなが面白い」と感じるそれがここでの正義にあたるが、そうなるとコント師の世界観というのは真っ先に煽りを受けてしまう。難しい。

コントにおいてニンだなんだと言われてしまったら、cacaoのように芸歴の若いコント師はKOCでどうするべきなのか。
誠に勝手ながら、まだ若いからまた来年頑張ってねと遠回しに言われてるような気持ちになり、同世代だからなんとなく刺さる。
KOCはどうして芸歴制限を設けないんだろうか。
そして演出家や作家など賞レースとは関係のない視点からコントを審査する人も必要ではないのか。
それぞれの世界観はあれど、コント師の視点だけしかないのは薄ら疑問であった。
構成だとか展開だとかそういうことではなく、視聴者は面白かったらなんでもいいのだ。

同情票と言えば聞こえが悪いが、ラストイヤーだとか悲願だとかそういうのがあまり好きではない。
賞レースにおいてネタを見ているその時間だけが庶民にとってのお笑いだからだ。
明言はしないものの、ネタ以外の背景に加点・減点要素があるような雰囲気は納得しがたい。

M-1グランプリ2023で令和ロマンが優勝したことで漫才のフェーズが変わった、新世代みたいな感想を目にすることは少なくなかった。

その点、コントはどうなんだろう。
歴史が変わるほどのコントってなんなんだろう。

ザ・ドリフターズがコントの歴史で大きい存在というのは再放送や総集編しか見たことがない年齢の私でも分かる。
ごっつ、笑う犬、ワンナイ、レッドシアター、ピカル
素晴らしいコント番組はいくつもあるが、賞レースにおいてコントの歴史が変わったと感じたことがない。

全てが斬新である前提だからなのか?芸歴?設定?
演劇が存在する以上、コントはお笑いに属するのではなく究極のコメディという派生になってしまうのか?


いつか歴史が変わるコントを見たい。

冗長になってしまったが、キングオブコントは今年一番のコント師を決める大会であって、一番面白いコントを決めるテレビショーではない。
オリジナリティも大衆性もどちらも必要という賞レースの矛盾につまづいてモヤモヤしていた。
私達はテレビを見ているのだから、テレビコントが面白かった、それだけなのだ。
劇場では、人それぞれの感性でお笑いを評価していい。
自分の“面白い”を信じて、その感性を誇るべきである。

結局のところ私は、お笑い評論家みたいなことがしたいのではなく、このモヤモヤを文章にすることで昇華して、また明日から純粋にお笑いを楽しみたいだけである。

ラブレターズ、優勝おめでとうございます。


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