つくることの立ち位置-宵山ゼミレポート-
こんにちは!京都大学平田研究室です。「北大路ハウス」にて行われたイベントについてnoteにてレポートをしていきます!今回は7月16日の「宵山ゼミ」について。少し間が空いてしまいましたが、簡単なまとめとして書かせていただきます。
執筆者は修士1回のただしょーが担当いたします!
【宵山ゼミ】祇園祭山鉾巡行前夜・宵山に、建築を学ぶ学生が、普段いる桂の山(京大桂キャンパス)を抜け出し街に繰り出して行うゼミ。建築だけでなく表現に関わる方を招いてレクチャーしてもらう。前任の岸先生の研究室時代からつづき一昨年度より平田研究室が引き継ぐ。平田研究室の活動についても発表し、最後に全体を通してディスカッションも行う。
これまでの「宵山ゼミ」は一般の場所を借りて行なっていましたが、今年からは「北大路ハウス」にて開催となりました。
今回のゲストは、キュレーターの徳田佳世、アーティスト/陶芸家の桑田卓郎さんさんでした。それぞれのレクチャーと当研究室からの発表、全体ディスカッションについてまとめていきたいと思います!
【目次】・建築の責任 –徳田佳世さんのおはなし–・動物的につくる –桑田卓郎さんのおはなし–・New Luxury House –平田研究室スタジオ課題–・北大路プロジェクト第2期 –複数の秩序で成り立つ建築−・全体ディスカッション
・建築の責任–徳田佳世さんのおはなし–
まずはキュレーターとしてご活躍されている徳田佳世さんのおはなし。これまで手掛けてきたプロジェクトを解説してくださり、中でも建築家・西沢立衛さんとの豊島美術館を中心としたプロジェクトのお話が印象的でした。
徳田さんはレクチャーで、建築をつくることの責任について語ります。
「元あったものを改変すること、自然を壊す場合もあるし、町の中で親しまれていたものを失うかもしれない。建築を作ることは、大きなお金も動くし、場所に大きな変動を与えるものでもあり、そういった責任と切り離せない行為だ」
このことはもちろん念頭におくべきことなのですが、新国立競技場のザハ・ハディド案が「建築家は周りの街のことも考えずに好き勝手に高いものをつくろうとする」という印象を結果として与えてしまったように、建築の作家性への不信感が高まる現代、キュレーターでありプロジェクトを俯瞰する視点を持つ方からの言葉として聞くと、これから我々が建築を思考するときにさらに重要視されてくることなのではないか、元ある場所のポテンシャルが建築と呼応すること、その場所に対して発見的であることが、重要になってくるのではないかと思いました。
・動物的につくる–桑田卓郎さんのおはなし–
続いては、アーティスト/陶芸家として活躍される桑田卓郎さんのおはなし。ご自身の3つの作風をテーマ『点滴/石爆/梅花皮』にそって作品を紹介。最後に普段考えていること、製作・生活の中での気付きについて話しました。
桑田さんの作品は独創的で一見陶器としては変わった形や色使いにも感じます。しかし、信楽焼の伝統的なつくりかたの中に発見されていったものでした。
「変わったことをしたいわけではない。伝統という流れの中で偶発的に出てくるもの自分の中で解釈し直す。」
と、言っていたのが印象的でした。
現代は科学技術の発展もあって、日常の中で当たり前と思うことが多くなっている、原点に気づきにくくなっている時代。だからこそ、ものをつくる人は動物的で、鋭い感覚を持って生きるのもいいんじゃないかと、穏やかな口調で語っていたのが印象的でした。
日常の生活の中でも、外国では掃除をするときはモップがけで視線が高い。日本では雑巾がけをするため視点が低く、床やそこに置かれているものに対して日常の中に発見が多い。日本人ならではの、動物的感性がそういうところに眠っているのではないかと思えました。
桑田さんは、つくることに対してとても自由で、それでいて材料や微細な作り・技法にはとても真摯で、作品だけでなく、その姿勢にもとても惹かれました。
・New Luxury House –平田研究室スタジオ課題–
平田研究室の4回生3人(伊藤健、川瀬智久、長谷川峻)よりスタジオ課題の発表を行いました。今年の課題は「New Luxury House」。平田先生は「9hours Project」を通して、カプセルという小さな単位が周辺の都市の特徴といかに掛け合わされるか、ということに新しい都市生活の価値感を見出そうとしました。今回の課題では、設計者それぞれの思う『贅沢』を再定義した住宅を設計しました。
それぞれが定義した『贅沢』は、
伊藤健 ― 熟成
つくる過程において、閉ざされた工事現場ではなく、時間をかけて公園として愛されていく。植物が根を張り、絡み合い、そして大地が立ち上がる。
川瀬智久 ― 蘇生
近代の合理主義とは逆に、一度『死んだ』建築を生き返らせる非合理という贅沢。新素材とそれを変形させる自然の大きな力が、人の住む空間を作り出す。
長谷川峻 ― 延伸
「Luxury」と聞いて、まず思いつくのが広い豪邸だろう。同じ一万平米でも2m×5kmの土地の方が、広い家で完結した生活を営むより、まち全体で『遊牧』的に暮らすことができる。
それぞれの描く秩序に基づいて設計された建築は自由で力強かったです!卒業設計にも期待ですね!!
・複数の秩序で成り立つ建築–北大路プロジェクト第二期–
当研究室が主体となって集団で設計する「北大路プロジェクト第二期」についても、修士2回関川より発表しました。
案を析出する段階から、平田研究室、住人、プロジェクトコアメンバーと集まって議論し、スタディを重ねることで、一見全く異なるかたちの3つの案をできました。しかし、それぞれの案を支持する意見が同等にあり、また、お互いの要素を補完し合い、より強い案としてつくれる可能性が出てきました。
そこで「ワークショップ」という集団で考える場を立ち上げることで「複数の秩序が成り立つ建築」を集団で考えるという今回の試みに挑戦しています。我々としても見たことないような魅力と可能性を秘めた建築が建ち上がる予感がしています。
詳しい設計プロセスとワークショップの内容は平田研究室ホームページに掲載していますので是非ご覧ください!こちらも僕が編集してるので見ていただけたらとてもうれしいです(笑)
・全体ディスカッション
ここからは平田先生も参加し、今日のレクチャーをふまえ、会場の方からゲストへの質問と全体ディスカッションを行いました。
質問の中でも、素材の石が爆ぜることや、内からひび割れること、いわば、素材という「他者」をどこまで許容するか、という桑田さんへの質問が印象的でした。
答えは、「いい意味で適当。」でした。
窯の中ではある一定以上は何が起こるかわからない、そこがおもしろいし、もしかしたら考えの及ばなかったおもしろいことが起こるかもしれない。
平田先生もエスキスでよくおっしゃるのが、模型という「他者」が思考を三次元化し、深化させる、そのとき使う素材の感じ、たまたまできた絶妙な形に発見があるということです。
徳田さんもそれに合わせ、これまでプロジェクトの中で多くの失敗をしてきた話をしてくださいました。失敗で足を止めるくらいなら、その失敗の中で気づきがある方が良い。失敗の経験で多くの人やものを動かす裁量が身につく、そのプロセスの中に喜びを見いだせる。
お三方とも、職種は違えどつくることに対する姿勢はどこか共通しているものが多いのかもしれないと感じました。
北大路プロジェクトにも意見もらいました。
我々はただこの場所をつくる者としてあるのでなく、使う者、運営する者、住む者としてそれぞれが立場を横断しながら視点を複数持って、集団で設計しています。
普段、一人で作品を作られる桑田さんは、そういうつくり方は刺激的でおもしろい。自分も方法が見つかったらやってみてもおもしろいかもとのこと
徳田さんからも的確なご指摘をいただけました。
「この場所にいつまでも住み込むというつくられ方には見えない。仮住まいという作られ方の印象が強い。また”京都らしさ”というものは生活の細部にある美意識に宿る。ディテールを精査していけばいいと思う。」
改めてこのプロジェクトの課題に気付かされたと同時に、つかうこと、住まうことにもっと寄り添い、一つ一つの要素に強みを持たせれば、全体としてまだらな様相を持ったものが出来上がるのではないかと期待が高まりました。
簡単なまとめになりますが、今回の宵山ゼミを通して、つくることに対して、徳田さんのキュレーターという視点でプロジェクトを俯瞰する立場の重要性と、桑田さんのように伝統の中で発見的なこと自分の中に取り込むことのおもしろさというものを再認識できた気がします。
また最後には、懇親会も会場で行い、ゲストの方々に本棚のアタッチメントの裏にサインをいただき記念撮影!
桑田さん、徳田さん、貴重なおはなし本当にありがとうございました!
【執筆者】ただしょー(平田研M1):多田翔哉(ただしょうや)今年から平田研に加入。二郎系の接種のし過ぎで、宵山ゼミで着た浴衣姿が関取にしか見えなかったのが最近の悩み。研究室広報担当を務めてるのでTwitter、ホームページとみていただけると嬉しいです!