ミュージカル「マチルダ」と『マチルダは小さな大天才』
神奈川大学外国語学部英語英文学科です。学科の先生によるコラムマガジン「Professors’ Showcase」。今回は、英語圏児童文学が専門の鈴木宏枝先生による<ミュージカル「マチルダ」と『マチルダは小さな大天才』>です!
※一部、内容のネタバレを含みます。
ミュージカル「マチルダ」
2023年3月25日に、渋谷の東急シアターオーブで「マチルダ」が開幕した。2010年にデニス・ケリー脚本、ティム・ミンチン作詞作曲でロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが製作し、2012年にローレンス・オリヴィエ賞を七部門で受賞、2013年にブロードウェイに進出し、トニー賞で五冠を取ったミュージカルの、日本オリジナルキャストによる初演である。
2015年9月に学会でイギリスに行ったとき、評判の良かった本家Matildaをウェストエンドで観た。観客席には物語をよく知る子どもが多く、開演前はそちこちで上演を待ちかねる声が聞こえ、演技の最中はマチルダに肩入れし、物語運びの中で笑ったり叫んだり、素直なリアクションをしていた。舞台の完成度の高さとともによく覚えている。
日本版開幕にあたり、ミス・トランチブル役の大貫勇輔氏による<ミュージカル「マチルダ」スペシャルイベント トークショー&原作お渡し会>(4月1日/ブックファースト新宿)に呼んでいただいたご縁があって、イベントに先立つ3月26日に「マチルダ」を観劇した。
日本版も本家と同様に、子どもの俳優さんを含むキャストたちの卓越した演技力とダンスや歌唱力の迫力、ミス・トランチブルへの怒りとその解消のプロセス、にぎやかしい舞台の中で逆に胸を打つ“When I Grow Up”のブランコの場面など、一幕目もニ幕目も時間があっという間に感じられる素晴らしい舞台だった。
2015年の観劇では、終盤、ワームウッド氏がロシアマフィアに脅される場面で、部下たちが「やっちまっていいですかい」とボスに聞き、ボスの言う"Matilda”の"da”と、ロシア語で"Yes"を表す"da"が掛かっていて、マチル"da”でワームウッド氏がボコボコにされそうになるという言葉遊びがあった。今回は、国際事情を反映してロシアがブルガリアに変更されていたが、ブルガリア語でも"Yes"は"Da”なので、そこが分かると、緊迫した場面が急に可笑しくなる。
『マチルダは小さな大天才』
「マチルダ」の原作は、イギリスでよく知られるロアルド・ダール(1916-1990)の『マチルダは小さな大天才』(1988)で、実写映画のほかラジオドラマやアニメにもなってきた人気の作品である。
主人公は5歳の少女マチルダで、インチキ中古車販売業を営む父親と子どもに無関心の母親、両親の言いなりの兄のいるワームウッド家で、虐待といえるような状態で育ってきた。物心つく頃から自然に字も計算も覚えた賢いマチルダは、放置されている間に図書館という天国を見つけ、児童書から始まり、ディケンズ、ハーディ、シェイクスピア、ブロンテ姉妹と英文学の傑作まで読みふける。しかし両親は、マチルダを疎んじて「かさぶた」と呼び、「おまえの本好きにはうんざりしているんだ」(p.54)と図書館の本をびりびりに引き裂き、テレビを見ろと吠える。なんてクレイジー。
さらに、入学したクランチェム・ホール小学校は、校長のミス・トランチブルが「規律」と暴力で支配する恐怖の場で、誰も彼女にさからえない。スペルや計算を間違えたりいたずらをしたりすると、ひどい悪口でののしられ、内側にクギが打ってある狭い戸棚に閉じ込められるとか、おさげをつかんで振り回されるとか、おそろしい罰が待ち受けている。こんなひどい小学校で、マチルダはしかし、ミス・ハニーという23歳の優しい先生に出会い、知がもたらす喜びを語り合えるようになる。ミス・トランチブルに虐げられつつ、児童たちに学ぶ楽しさを一生懸命教えてきたミス・ハニーの背景をマチルダが知り、あまりの理不尽に「怒り」が沸点を超えたときに物語は急展開し、思いがけない結末を迎える。
『マチルダは小さな大天才』は、勧善懲悪かつダールらしいユーモアが満載なので、子ども読者の圧倒的な人気を誇る。マチルダの体の中に異常な熱い怒りを生むほどに、ミス・トランチブルはこわいしひどい。トランチブルという名前じたい、「警棒」を表す“truncheon”と「雄牛」を表す“bull”の言葉の組み合わせで、お行儀がよくおとなしく完璧に勉強をこなす子どもしか求めない、怪力の校長をよく表しているといえるだろう。ダールのユーモアは権力へのおちょくりにあり、権力を持つ側がおそろしければおそろしいほど、それをひっくり返す痛快さが生まれる。だから、ミス・トランチブルは圧倒的な迫力で子どもたちを怖がらせる。
ダールの思い出
理不尽でおそろしい教師像は、ダールの少年期の経験から理解できるかもしれない。彼は、最初に通ったランダフ大聖堂学校で鞭をふるわれ、憤慨したお母さんによって、寄宿学校のセント・ピーターズ校に転校させられた。残念なことに、セント・ピーターズ校は輪をかけて体罰の横行する学校で、先生たちが権威主義であるだけでなく、ガタイのいい寮母も、規則で子どもたちを支配していた。自伝や伝記では、些細なことで鞭打ちをくらった痛みや大人の顔色をうかがって(その裏をかいていたずらをしたり好きなことをしたりした)日常が回顧されている。強烈なミス・トランチブルは、ダールの記憶の中の教師や寮母のブレンドであり、「エキセントリックで血に飢えたスタッグハウンド(大型猟犬)の仲間のよう」(『少年』p.116)なその巨体は、非力な子どもから見たときの「大きさ」をそのまま視覚化している。
ダールは、他方で、セント・ピーターズ校での唯一のいい思い出として、ミセス・オコナーという女性を懐かしんでいる。彼女は、土曜日の午後に先生たちがパブに行く時間、子どもたちのお目付け役として雇われていた女性で、豊かな知識と子どもたちへの愛情を持ってイギリス文学の傑作を紹介し、子どもたちをお話の世界に誘ってくれた。
子どもたちに分かりやすく楽しく教えようとするミス・ハニーや、最初に注意深く本を選び、マチルダに手渡していった司書のミセス・フェルプスには、このミセス・オコナーの面影が見え隠れする。ミセス・オコナーが学校システムのアウトサイダーだったことも、ミス・トランチブルの王国とミス・ハニーの関係を示唆する。
原作とミュージカルの違い
ミュージカル「マチルダ」は、『マチルダは小さな大天才』のプロットを踏襲しつつ、ディテールをかなり変更している。家でマチルダが疎んじられているのは、母親が望まない出産だったから、また、父親は男の子にしか興味がないから、と理由付けされている。特に少女であるマチルダを「ぼうず」と呼びつづけてアイデンティティをなかなか認めない点は、現代的な性自認の問題も絡めているかもしれない。母親の趣味はビンゴではなく社交ダンスで、奇妙なダンスパートナーが登場する。
司書のミセス・フェルプスの役割はぐっと大きくなり、マチルダに本を手渡すだけでなく、彼女の中から物語、つまり、ミス・ハニーの過去も引き出す役割を担う。原作ではミス・ハニーの父親は医者で、母親とは2歳のときに死別しているのだが、ミュージカルでは夫婦が曲芸師として登場し、母親は無理なアクロバットの挙句にお産で亡くなっている。ミス・ハニーの母親と伯母の姉妹関係は、ヴィラン(悪役)の過去や心的背景を想像するという現代的な解読にもつながるかもしれず、トークショーでの大貫氏も、ミス・トランチブルの解釈についてはトリプルキャストのそれぞれが異なるイメージを持っていると述べられていた。
特に大きな変更は、原作がマチルダとミス・ハニーの個人的な虐待とトラウマからの解放を中心にしている一方で、ミュージカルは抑圧された者たちのレジスタンスとして再構成されている点である。終盤、原作の子どもたちは特に互いに関わりあっていないところ、ミュージカルでは、マチルダが「でっかい太ったいじめっ子!」と反撃ののろしを上げると級友たちの中から権力に立ち向かう強さが沸き上がる機運になる。脅しに対して、catの綴りをわざと間違えた少年は英雄になる。皆で「ぎちぎち」に閉じ込められる恐怖を超えた連帯には感動しかない。
「正しさ」の衝突---ミス・トランチブル好みの一元的な秩序を目指すか、一人ひとりの子どもの多様性を認めあい、勉強ができないことも食いしん坊もいたずらも含めた子ども時代をことほぐか---は、ダール本来の批評精神を増幅させるものでもあるだろう。「そんなの正しくない」というマチルダの叫びに、大人も子どもも呼応するとき、ミュージカル「マチルダ」は、抑圧されてきた複数の者たちが反逆し、よりよく生きる権利を取り戻す物語に変容する。原作では、2人が抱き合う静かなラストシーンであるところ、ミュージカルでは2人の側転(名場面!)で締めくくられる。軽やかな動きにより、その先の穏やかで満たされた生活と周りの有機的な人間関係まで想像でき、立体的な舞台を観る醍醐味が感じられる。
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今週末、ゼミの課外活動で学生たちともう一度観劇する。マチルダはクワトロキャスト、ミス・トランチブルはトリプルキャスト、ミス・ハニーとワームウッド夫妻はダブルキャストだ。組み合わせという点でも、またまた楽しめそうである。
ミュージカル「マチルダ」https://matilda2023.jp/
3月25日~5月6日 東京・東急シアターオーブ
5月28日~6月4日 大阪・梅田芸術劇場
記:鈴木宏枝
実際に観劇した学生の感想はこちら!