人は皆生きづらい

人生とは苦難の連続である。
しかしながら私は人より生きづらい人間ではないかとずっと思っていた。まず私はASD傾向強めのADHDである。その上レズビアンでもあり性的マイノリティ(少数派)だ。これだけでもだいぶ人とは違う。
日本で生きていくには横一列並んで歩くことが求められてくる。だが私はいつも列から外れてしまう。良かれと思ってしたことが相手を傷つけてしまっていたり、作業も人より遅く覚えるのに時間がかかり要領も悪い。恋愛対象も女性が好きな女性と幅が狭い。何の因果でこんな人間に生まれたのかと思うことも多々ある。マジョリティ(多数派)な人間として生まれたかったものだ。ずっとそう思ってきた。そう、あの日までは。


 7月12日。ある衝撃的なニュースが飛び込んできた。そう、タレントのりゅうちぇる氏の自死だ。私はそのニュースを知った時に、ああ…また沢山辛辣な言葉が飛び交うぞ、嫌だなぁ。と思った。そしてその予想は的中した。辛辣な言葉については胸が苦しくなるので割愛するが、私が最も今回驚いたのは〝誹謗中傷と批判は違う〟という言葉に多くの賛同があったことだ。


 正論パンチ。という言葉を知っているだろうか。読んで字の如く正論で相手を傷付けることだ。私はこの正論パンチがとても嫌いだ。何故ならば、言ってる本人は正義のヒーロー気取りで脳内の麻薬的な伝達物質にやられている。相手の為を思って言ってるつもりだろうが、勿論相手は傷付くものである。そして厄介なことに伝達物資にやられている本人はそのことに気が付いていない。


 ネット民の言い分では
誹謗中傷=死ね、キモいetcの言葉。
批判=正論パンチのようだ。
りゅうちぇる氏の行いについての批判は、言っても良いよね?だって間違ってるもんね?それで死ぬなんて思わないもんね?と思っているらしい。
しかし本当にそうだろうか。私は違うと思う。今回のりゅうちぇる氏の自死が誹謗中傷や批判によるものかは分からないが、少なくとも彼にこの正論パンチが届いていたら彼は深く傷つくだろう。自分の生き方、人生を否定されることは辛く苦しいものである。正論が正論であるが故に。


 この危険な正論パンチを支持する人間が沢山いる。そう思っただけで私は酷く眩暈がした。正論パンチがマジョリティ(多数派)なのだ。まぁ声が大きいだけでマジョリティでは無い可能性もあるが。これだけ多くの人が正義の武器を持ち、正論パンチで武器を持たない弱者を攻撃する。こんな世の中誰もが生きにくいだろう。


 私は切実に願う。「タバコを電車で吸ってた時代があったんだよ。」と親に言われて驚いたように今の子供達が親になった時、その子供に「正論なら人を批判して傷付けて良いって思ってる人が多かった時代があったんだよ。」と伝えれる日が来ることを。

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