何をしても無意味なんじゃないか。/思ったことを書いていく。
相変わらず憂鬱で、沈んだり流れたりした気持ちで日々を過ごしている。
やりたいことがわからない、というよりも、楽しいが見出せないような感覚がある。
何をしても無意味なんじゃないか、と。
何かを目指そうとしても、先駆者がいて、より熱量を持った人がいて、中途半端に私がやったところでなんの価値があるのだろうと、そんなように思ったりする。
でも同時に、そういった考えは「形に囚われている」だけなのかも、と思ったりもする。
形に囚われている。
何かをする、となると完成品のハードルを設けたり、周りで取り組んでいる人々の成果や指標や価値観を取り込んで、そのレベルにいかねばならないんだと、縛ってしまう。
無意識に型にはめようとしているような状態。
より良い状態を目指すことは、良いことだと思うけれど、その過程で今の自分自身を否定していることがあって、多分そこに問題があるのだろうと思う。
やってみることが無意味に感じるのは、他者と比べての自己否定が原因なのかなぁ。
やってみることに対しての評価が、自身の満足感とか、興味、好奇心って場所ではなく、社会から見たときのクオリティ、完成度の部分にある感じ?
その認識というか、思考を切り替えることができたら、ただやってみて、楽しい。そんな純粋な気持ちになれるのだろうか。
何が言いたいのかわかんないな、書いてて、もうよくわかんなくなってきた。
そうしてすぐ、何を誰にどう伝えたいのか考えなくちゃ。伝わる文章にしなくちゃ。と考えて込んでしまって、出せなくなってしまう。
出すことが目的だっけ?って。
これを書き始めた時に、思ったことをただ書こう、そしてとりあえずだそう。と決めて始めた。
だから、わからなくても、書き切って出そうと思う。
最近はやる前に調べすぎな気がする。
調べすぎるから、いろんな人のが目に入って、解説とかを聞きすぎて、微妙に知識だけ持っていて、始める前に嫌になっている。
どうしたらいいのかなぁ。
思ったことをただ書くってのも難しい。
画像は、DAWNING CROWさんの絵柄を真似て、みかんに描いたもの。
おすすめ品。 「マグカップ」 飲み物を飲むとき、どれで飲んでも同じだと思っていませんか。 カップって、厚みとか飲み口の形とかで、感じる味わいが変わってくるんです。 ワイングラスなんか典型ですよね。 私は、物によって味が変わるという言い訳を使い、マグカップを増やしています。