カフェと生きる身体でありたい。
生き方を考える、私にとって、過度な負荷のない落ち着いた日々が、どうすれば実現できるのかについて。
私は、カフェと生きる身体でありたい。
生きづらいと感じている現実から距離をとって逃れ、余裕を持たせてから、社会を外側から眺めてみて、落ち着いてどう挑むのかを考え始める。
常にカフェと共にあるような、そんな毎日を過ごしたい。
カフェとは、開かれた囲いである。
ある程度閉じていることによる「ここにいてもいいんだ」と思える安心感、落ち着いて一息ついている人々の独特な間合い、距離感。
そうしたものが連れてくる居心地の良さに囲まれていたい。
居心地の良さは、息が自ずと抜けていくような感覚を連れてくる。
カフェとは、露天風呂のような世界なのかもしれない。
波打つ水面に足を置くかのように、光のゆらめくカップに口をつけるのが、今までいた世界から囲われた世界に入る儀式に思えてくる。
もしかしたら、重たい扉を開けた瞬間から、その世界の一部になっているのかもしれない。
どちらにしても、息を抜ける場所を保つことが大切だと思うのだ。
だから私は、カフェと生きる身体でありたい。
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