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守りたいものを守れるように

自分で言うのもなんだが、子供の頃からいわゆる"優等生"だった。親や先生に言われたことはその通りするし、宿題もちゃんとやるし、勉強もそこそこできる。協調性はいい方だと思うし、周りからは優しいねと言われる。ちょっと思い通りにならないことがあっても、どこかの炭治郎じゃないけど、長男だから我慢できた。

自分のしたいことをあまり主張せず、周りの空気を読み、目の前のひとの顔色をうかがい、なるべく波風立てないように立ち振る舞うことができる。それで困ることはさほどなかったし、結果的に物事がいい方向に向かうこともあった。特に不都合なく生きてこれた。



年齢を重ねるにつれ、自分が主体で物事が動いていると感じることが増えた。就職活動、将来設計、恋愛関係。周りがなんなくこなしている(ようにみえる)ことがとても難しく感じた。その軸に自分を置くことがなかなかできなかった。

「君はどうしたいの?」
困った。自分のしたいことは二の次三の次にして、周りを見て自分がした方がいいと思ったことをやってきたので、いざ自分に主導権を委ねられたことがほとんどなかった。それは楽でもあったが、一種の逃げでもあったのかもしれない。責任を軽くすることができるから。



「守りたいものを守れるようになること」を人生の目標にしている。それが人でもモノでも場所でもいい。そのためにはその人(モノ、場所)にそれなりの責任を持たないといけない。きっかけは自分の外だが、結果的に自分のしたいことをしたいと思えている。「守る」ためにはいろいろなものが必要で、それを手にするために日々の生活を送り、ちょっと気が乗らないこともやってみたりする。それでいいんだ、そのためでいいんだと最近は思えている。