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【感情労働とZ世代】「もうイッてるってばぁ!」と「もう射精してるってばぁ」の間の超えられない壁について

ツイ廃が朝起きてまず手慰みにスマホでTwitterを起動するように、帰宅してPCを立ち上げるとまず手慰みにお気に入りバーからFANZAへ遷移する紳士のみなさんも多いかと思います。

私は寡聞にして『もう射精してるってばぁ』(以下『射精』)シリーズを知らなかったのですが、最近その名を目にして、気になったので元ネタを確認すると『もうイッてるってばぁ!』(以下『イッてる』)シリーズは2018年6月頃に立ち上げられており、現在に至るまで制作が続けられているようです。一方『射精』シリーズは、後を追った2018年12月頃の作品が初出で、その後2020年4月の作品を最後に制作が途絶えているようです。

『イッてる』シリーズと感情労働

2022年6月7日に配信予定の『イッてる』シリーズ最新作品の概要には、以下のように謳われています。

敏感スレンダー美少女・花狩まいをイッてるのに続行ピストン&追撃オーガズムでイキ狂わせる中出し性交!イチャラブSEX(ニセ企画)の撮影中に男優が突如暴走ピストン!「ゆっくりシて!もうイッてるってばぁ!」容赦ない子宮口ガン突きに連続アクメ!ノンストップ追撃ピストンで痙攣絶頂中の子宮に精子をぶち込み妊娠確定!息を忘れて脳バグイキ膣痙攣が止まらない!敏感マンコへの追撃は撮影終了後も終わらずに…。

太字引用者

ここで注目したいのは、主演女優に対し強引に挿入を繰り返すことによる暴力的支配への欲望の表出もさることながら、「イチャラブSEX(ニセ企画)の撮影中」と誤認させながら、そうした暴力へと転換することに精神的支配への欲望が充足させられる余地を生んでいることです。

すなわち、『イッてる』シリーズにおいては、他者の意思・感情を無視・軽視しながら、自己の意思・快楽を追求するというコンセプトが刺さっていると解すことができるのではないでしょうか。では、それは誰に刺さっているのか。

それは「感情労働に従事している現代人」ではないかと思います。感情労働とは、アメリカの社会学者であるA・R・ホックシールドが提唱した概念で、「企業の顧客である消費者に対して、心理的にポジティブな働きかけをして報酬を得ていく労働」というように定義されます。例えば笑顔で接遇を求められる受付嬢や、看護師や保育士などのケア労働などが代表的です。そこでは、その職業がまとっている一定のイメージに、従事者の感情を沿わせる圧力が存在することが前提とされています。

もともと感情労働は、肉体労働や頭脳労働に匹敵する労働の大分類とされていましたが、最近では多くの企業がコールセンターにおけるクレーム対応を外注するように、感情労働部分を本来業務から切り出して、コストとして把握する意識がますます浸透してきているようにも感じます。そして、肉体労働や頭脳労働に従事することが適わなかった層が、望むと望まざるとに関わらず、感情労働部門へと吸収・回収されてしまっています

この点、『官僚制のユートピア』D・グレーバー/酒井隆史訳(2015-2017)には以下のような記述があります。

恣意的決定を可能にし、かくして、相対的に平等主義的な社会的諸関係に特有の討議、説明、再交渉を回避する暴力の力能こそが、あきらかに、その犠牲者の眼に、暴力を基盤にして形成される手続きを、愚かしい、ないし、筋の通らぬものと見せてしまう原因である。
私たちの多数は、他者がなにを考えているか、あるいは感じているのか、声のトーンや身体言語(ボディ・ランゲージ)を観察しただけで、表面的な感覚はつかむことができる。ひとの直接の意図や動機をなんとなくつかむのはたいていそうむずかしくはないが、このような表面上のレベルを超えて深く把握したいときにには、ときに多大なる努力を必要とする。実際、社会生活の日常的関心事の多数が、他者の動機や感覚を解読する努力から成り立っている。それをここでは「解釈労働(interpretative labor)」と呼んでみよう。

前掲書P94-95 太字引用者

ここではすべてが諸力の均衡にかかっているということだ。二者が相対的に平等である暴力の競合に関与している場合ーたとえば、対立する軍隊を率いる将軍のようなー、かれらがたがいの頭の中身を調べようと努力するのは当然である。そうする必要がもはやなくなるとしたら、それは一方の側が物理的危害を与える能力において圧倒的に有利なときのみである。
(中略)それが意味しているのは、暴力のもっとも固有の効果、すなわち、「解釈労働」の必要を除去する力能がもっとも顕著なものになるのは、暴力それ自体がもっともみえにくいようなとき、めざましい物理的暴力行為の起きる可能性としてはもっとも低いときであるということである。
(中略)「構造的暴力」とは、まさにこうした事態である。

同P97

感情労働に無理矢理従事させられることとは、こうした権力勾配の下側に置かれ、「解釈労働」を強いられることを意味します。「解釈労働」は暴力が現前している局面よりもむしろ、現代の複雑化した社会において「構造的」に発揮され、不可視化されている局面においてこそ顕在化するのだとグレーバーは論じます。

感情労働者/解釈労働者たる人々にとって、そのようにして日常的に他者意思を忖度させられていることは、自尊感情を大きく傷つけることは想像に難くありません。『イッてる』シリーズはフィクションの中で権力勾配を逆転させ、他者の感情を従属させ、「構造」の中で引き受けさせられていた解釈労働を目の前の相手へと転嫁することを希求する、感情労働者たちの悲しみを表象しているのです。

『射精』シリーズと寡欲なZ世代

パロディ作品とは、元ネタと同じ主張を含みこんでいるものでは決してありません。むしろ元ネタの価値観を批判したり、元ネタの確立したミームを活用して、新たな主張を普及するための駆体とすることが意図されていることが大半です。では、『イッてる』のミームを活用しながら『射精』は何を表現しようとしているのでしょうか。

それは『イッてる』に見られたような他者意思・感情を踏みつけた先にある自己意思・感情の切ない追求ではなく、むしろ自己意思の放擲ではないかと思います。『寡欲都市TOKYO』原田曜平(2022)では次のように分析されています。

「穏やかな気分、ゆったりした住環境で人生を送りたい」。これは疲弊したアメリカのミレニアル世代・Z世代の若者たちを象徴する「チルい」という言葉で表現されており、ここ数年、日本の若者たちにも浸透した言葉になっています。
「チルい」はもともと英語のラッパー立ちのスラングである「chill out(落ち着く、くつろぐ)」から来た言葉で、「まったりする」くらいの意味です。「週末何してた?」「ネフリでチルってた(ネットフリックスを見ながらまったりしていた)」というやり取りが示すように、今、日本の大学生同士の会話の中でも頻繁に使われるようになっています。
(中略)「チルい」は日本だけでなく、世界中のミレニアル世代・Z世代にとって、いま最も重要なキーワードになっています。

前掲書P121

私が若者に「チルい」的な気運を感じ始めたのは2013年頃です。当時私は「さとり世代」という言葉で若者たちの気分を言い表しました。
出世欲や物欲がない。恋愛に興味がなく、旅行にも行かない。大きな夢を抱かず、身の丈に合った地味な生活消費を心がける若者たちのことです。
彼らは休日に自宅で「まったり」過ごしていることが多く、ハロウィンや成人式などのごく特定の非日常のシーンにおいてのみ皆ではじけます。
こうしたライフスタイルが「チル」です。
(中略)「ネフリでチルる」のはスマホでできることなので、指以外には何も動かす必要がありません。

同P122

アメリカのミレニアル世代・Z世代が人生でもっとも大事にしているのは、他人を蹴落としてまで手に入れるお金や、他人と比較して優越感に浸る肩書きといった社会的ステイタスでは必ずしもなくなりつつあります。欲しいのは「穏やかな気分、ゆったりした住環境で過ごす人生」。これは”楽(ラク)さ”や”居心地の良さ”の体現であり、「チルい」そのものではないでしょうか。

同P124

若者たちの間では既に「チルい」過ごし方が確立されつつあり、そこには指以外のなにものをも動かさずに快楽への耽溺を志向する生活観が透けています。『射精』シリーズがターゲットにしているのは、最もコスパ良く身体的快楽を供給してくれる機構を求めるZ世代の、そうした性質が徐々に浸潤し伝染してきたおっさんたち世代であるようにに感じます。(どうですかね???)

このことは『射精』シリーズが『イッてる』シリーズと違い、末尾にエクスクラメーションマーク(!マーク)を用いていないことにも現れていると思います。あえてマークを付すならば、『もう射精してるってばぁ・・・』とでも表現すべき耽溺がそこには秘められています。

「性の悦びおじさん」への共感

なお蛇足ですが、『イッてる』シリーズの発表される2018年の少し前、2016年頃は「性の悦びおじさん」が人気を博した時期でもありました。おじさん本人が童貞かどうかは措くとして、彼の叫ぶカップルたちへの怨嗟(ルサンチマン)を、人々は見下し・蔑視を含んだ冷笑というよりもむしろ、”共感”を以て受け止めたのではないかとも思えます。

実際に厚生労働省の調査では、生涯経験人数0人の層が増加しているという結果も出ており、経験者/非経験者("未"経験者ではなく)の階層分断が進んでいるという見方もできると思います。

そうした視点からは、これまで論じたように『イッてる』の隆盛が「快楽追求が感情労働によって抑圧されている」ことというよりも、「手触りの他者人格への想像力が経験の欠如によって掘り崩されている」ことの表れかもしれないという、客体として消費される女性側からの非難はあり得るとも思え、なかなか端的には断じられない複層的な要素を含みこんでいると感じます。

最後に、この記事は以下の三宅香帆さんの記事からインスピレーションを受けました。ありがとうございました。

・AKBの一般人が傷つきながらも頑張っていく感と自己責任の風潮
・乃木坂の和気あいあい感と行き過ぎ自己責任の疲れ
ここまでのパートはわかりみ深い、これを書きたかったんやろし橋下奈々未推しの筆者の情熱が高かった時期なんやろな(笑

一方で欅・日向パートの世間との結びつけはもう一つやね。
・欅坂の同調圧力への嫌悪感と副業転職ブームと安倍トランプ?
・日向坂の楽観的ハッピー感と傷付けない優しい炭治郎?

Z世代の傾向を記述するにあたって、M-1グランプリにおいてぺこぱがウケたことや、tiktokが流行していることなどの分析があればもっと理解しやすいのではないか。

とはいえ、AKB・坂道追いかけ勢としては、日向坂で卒オタできてよかったやんって感想。私も同じ立ち位置。

AKB・坂道追いかけ勢の先輩と話し、感情労働とZ世代について掘っておこうと思ったわけ

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