どうする家康
NHKの大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ佳境に入ってきました。
そういえば大河ドラマをきちんと全部視聴したのは、近年では「西郷どん」くらいでしょうか。これは個人的に好きだったから。「麒麟がくる」も1/3くらいで挫折、「鎌倉殿の13人」も1/5くらいで離脱してしまいました。意外と日曜日の20時ってTV見れてないんですよね。
「どうする家康」を見ている理由としては、単純に今年は家康の研究をしたかったから。関ヶ原の戦い、大阪冬・夏の陣を経て、1603年に征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開いてから420年が経ちました。
今年の干支は「癸卯(みずのと・う)」であり、干支は古来、未来を探るための手段として使われてきました。干支は中国の古い思想である「陰陽五行思想」を礎にした60年周期で循環する暦で、それぞれに意味を持っているそうです。
今年は1603年から数えて7度目の60周年期。つまりこのタイミングで、なんらかの気づきや発見があるものとして勝手に家康を意識して過ごしてきたわけです。
先日も静岡出張のついでに、久能山東照宮へ足を伸ばしてきました。滞在時間はわずかでしたが、家康の気持ちになったつもりで物思いに耽ることができました。まだまだ自分なりの答えは出ていませんが、歴史に思いを馳せたいと思います。
しかし、関ヶ原の戦いの際の家康って59歳だったんですね。意外と若い。その後、大阪冬の陣、夏の陣では70歳を超えての戦いでした。ようやく実現した天下統一を経て、その生涯を終えました。テレビではその戦いの日々を経て、戦のない世の中を作るという思いを表現されていましたが果たしてどうだったのでしょうか。ただし、織田や豊臣を反面教師として自身の身のこなしを意識したのは事実かもしれません。