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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【19】京畿道大探検-消えた郡・今の地理
いつまで経っても終わらない6月の訪韓記ですが、いちばんの目的地の訪問を終え、このあとはソウルに戻る道中録に…
日本統治終了後の混乱によって「跡形もなく消えた河港都市」を実際に訪れ、その「跡形もない様子」を実際に見て、気持ちの余韻が残る中…
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この時点で時刻は16時過ぎ、帰りの交通は1.3km先のバス停を17時半頃に出る積城ゆきマウルバスか、ここを18時に出る漣川全谷ゆきの路線バスしかない。そろそろ、1.3kmのウォーキングに動き出さねば…。
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このとき6月には珍しい「暴炎警報」が出ていた炎天下、帽子で日除けしつつ「誰もいない」道を歩き出します。ときどき軍用車とすれ違いながら。そして…
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横断幕が掲げられています。翻訳すると「民統線以北地域 無断立入 山菜取り 無許可川魚漁は違法です」と。そうなのです、ここは民間人の立入が近年まで規制されていた場所。緩和されたので歩けていますが、すぐそこに「民間人統制線」が敷かれ、軍事的緊張が解けていない北側との緩衝ゾーンとして立入禁止のエリアが、拡がっているのです。
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そんな道から時折見える、臨津江の流れ。この水辺にも、降りていけないのですね…
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ふと山側を見ると、なにか見えます。
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答えがありました。高浪浦の街跡の山手にある新羅の最後の王の陵墓(慶順王陵)に付帯するもので、今の慶州を拠点とする新羅の王族に於いて(後継国となる)高麗の首都だった開城に封じられたまま崩御し慶州への帰郷も許されず臨津江を望む丘に王陵を築かれてしまったので、その家系で今に続く人たちが祭祀を行う場、ということだそう。こういうものも、あるのですね…。歩いていたからこそ見つけられた。歴史と今が結びつくポイント。そんなこんなで頻繁に足が止まりながらも進んでゆきます。
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ああ、この「すぐ先」が軍事的緊張地帯とは思えないなぁ…というような田園を眺めながら進んでゆきます。農業用水の一時貯留・ポンプ施設がありましたがこれはちょっと日本のポンプ小屋とは風情が違うなぁ…と写真を撮っていましたが、たぶんこの場に軍人が通りかかっていたらスパイ容疑で捕まっていたのかも…と、今から思えば怖いコトしたなぁ自分よ。と、そうこうしていたら何とか無事にマウルバスのバス停がある辻に着きました。
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ここにバス停…があるはずなのですが田舎のバスでは時折ある「なんの標識もないバス停」のようで、恐らくこのシュポ(スーパーの韓国訛り・なんでも屋的なものを指す)が目印なのでしょう。バスが来るまで縁側を借りて待ちま…
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あまりの暑さに「飲み物を…」と吸い込まれ、気が付けば…
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縁側でビール開けるアジョッシになってしまった()
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ほんのり冷えたビールの向こうに、ニンニクの皮を剥くアジュモニ。剥いて剥いて片付けて、シュポの中へと。まだ暑い中、お疲れ様でした。なんとなく、ここまでの「心の隅の引っ掛かり」が、少し和らいだような…
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ビールを呑み終えた頃、ちょうどバスがやってきました。このバスに揺られて次の「消えた」場所へ…
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小さなバスに揺られて15分、やって来たのはちいさなマチ。
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積城の街は元は「積城郡の中心市街」だったのが日本統治下の1914年に行政区画整理で郡の全域が漣川郡に併合され「郡」が消え、そして日本敗戦後の分断統治を経ての朝鮮戦争で連合軍の英軍と中国の義勇軍との激戦地となり元々のマチだった積城の街は更地になり、再建するにも山林が近い場所は防衛上好ましくないので1910年代に「新場(セヂャン・新しい市場の意)」とされていて1930年代でも特段に市街化した様子に描かれていなかった川沿いに「復興市街」が築かれた、ということのようで…
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…と、これは後付けの知識、6月に訪問し9月になるまで知らなかった歴史。それを踏まえて、当時の感覚を振り返ってみます…(また心に棘が)
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この日は5日市の立つ日で、夕方18時前でもまだ臨時市場の風情は残り、さすが「元郡都」と思っていたのですが…
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いま改めて歴史を知って写真を見ると、やっぱり街が「わかい」感があるのですよね…。いま「知った」うえで見たら、ですが…
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ここは高浪浦とともに朝鮮戦争で一旦は消え去った街が、場所を若干変えて「復活」したということなのですね…。郡の中心だったとはいえ取り立てて大きなマチでもなかった積城は場所を変えてでも復活し、そして「場所がいちばん重要」だった臨津江の河港都市だった高浪浦は、機能喪失で消えたままになった、と…
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ここ積城のまち、歩いてて気になったのが「こんなローカルエリアの小さな市街地なのにロッテリアもバスキンロビンス(サーティーワン)もカフェ付きパリバケットもあり「えらく都会的なメンツだな」と違和感があったのですが、なるほど高浪浦の博物館と同じく「このエリアに駐留する軍人・兵役従事者」のためのサービス拠点なのなだ、と…
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なんと言うか、日本ではほとんど感じられない「境界線の緊張」と「軍の存在感」を、改めて感じるなどした「僅かな滞在」でした。
(つづきはコチラに)