異国での汽車旅。【欧州の風になって】
異国での汽車旅、引き続き、書いてみようかなと…
2014年5月の訪韓は、恒例となっている「まちあるき」だけでなく、列車の旅を愉しむこともテーマとし、敢えて釜山イン・アウトでソウルまで列車で往復するプランに。往路は日本の夜行列車を彷彿とさせる懐かしい汽車旅でしたが、復路は「外国をしっかり楽しむ」ための行程としていました。
まあ「しっかり楽しむ」とか言いながらも、帰国の途にはつきたくないもので、宿の窓からこんな景色を見て…
吸い込まれるように、この街の中へ…。
正気を取り戻したのは9時半、えっと、列車の出発、10時過ぎやったっけ…やばい!
後ろ髪を引かれつつも地下鉄に飛び乗り、駅へと駆け込みます。
ふぅ、間に合った…。
しかしソウル駅は、いつ来ても旅情を感じます。駅の作り、停まる列車、どことなく欧州の風が吹くような。
旅情あふれる駅ですが、もう時間がありません。ささっと写真を撮って車内へ。なにが旅情や(苦笑)。
韓国縦断南下の汽車旅、まずは「欧州の疾風」TGVを導入した韓国高速鉄道KTXでスタートです。シートのミントグリーンや車両中央向きの方向固定座席にフランスを感じつつ、列車はしばらく在来線を進みます。向かい合わせ座席の折り畳みテーブルに、欧州を強く感じます。
ふと車窓に目をやれば、日本のような通勤電車との並走。フランスの中から日本を感じる、不思議な一瞬。
フランスの風に乗った私は、韓国の地を、南へ、南へ。並んでいたレールが消え、トンネルから出れば高速専用線区間。列車は加速を続け、時速300キロで田園と高層アパートの中を突き進みます。
時折現れる高層アパートには韓国らしさを感じるものの、田んぼが続く景色は日本と変わらないなぁと、ぼんやり見ていた車窓。改めて考えてみたら、日本と変わらないはずです、ええ。そもそも水田を用いた水稲栽培は、日本が統治している時代に日本式水田を持ち込んだものなのですから。朝鮮王朝時代、朝鮮半島や大陸では陸稲(畑に籾を直播きして水を張らずに生育させる)が主流で、今見られる景色とは全く違った様相だったはず。いま見えているのは、朝鮮半島の上に覆いかぶさった「日本」なのかも、知れません…。
そんな勝手な感傷を埋めてゆく土砂、その上に建つ団地。半島の台地は、改めて、韓国に塗り替えられていくのでしょう…。
ふと現れた、緑と水辺。岩がちな山肌、ゆったり流れる川、広い道。韓国らしい光景だなぁ…と当時は心和ませていましたが、いま改めて見ると放棄されたらしき橋脚が川岸に。これは新橋に架け替えたが故のものなのか、朝鮮戦争での破壊を物語るのか。近現代史をある程度知ったうえで韓国を見ると、時折ほんとうに「生臭い」までの歴史を、その場に感じたりするのです。
ふいに遠くに見える建物が増え、列車は在来線に合流し大田駅に停車します。
大田は、鉄道の街。
その昔、ここには街どころか目ぼしい集落もない田園地帯で、大きな田畑を意味する固有語のハンバッ(한밭)と曖昧に呼ばれていたところ。そこに日本が権利を持ち敷設する鉄道が通ることになり駅ができ、한밭に「大田」と漢字を当てたのが今の大田市のはじまり。その後大田駅は鉄道分岐駅として、また運転業務上の主要駅として大きくなり鉄道従事者が住み着き、都市となっていったのでした。
駅が基になって出来た街なので、いまも駅前は賑やか。大田市を代表する商店街も、その名は「中央鉄道市場」。この他にも雑多な卸売市場もあり、楽しい街になっています。
大田駅は各線の乗り換えや列車の停車時間があったためホームに「駅そば」ならぬ「駅カルグクス(韓国式の麺)」があり、名物だったそうです。
そんな大田の街を、このときは列車で素通り。往年の汽車旅のようにホームに降り立ってみたいと思うも、KTXは数分も停まらず発車します。早くて便利で快適になった現代の汽車旅は、少し味気なくもあり…。
そして列車は山あいの田園に。遠くに折り重なる、ゆったりとした山稜が印象的な車窓。日本でも見かけるような、そうでいて、ちょっと違う、稜線。
穏やかな景色を見ていると、いつしか眠ってしまいました。気が付けば大邱の街。こんど停まる駅で、乗り換えです。
大邱の街は、旧石器時代から人が棲む場所で今は人口250万人を超える韓国第三の大都市圏。かなり大きく歴史もある街で韓国最大の漢方(韓方)薬市場が今もあり、大規模な果物市場もあったなど朝鮮半島南部の物流の拠点だった街なんだそうです。あぁ、街を歩いてみたい…。
このときは残念ながら大邱では十数分で次の列車に乗り換え。駅のホームから、列車を眺めるのみ…。
韓国有数の歴史ある街にやって来る、ドイツの機関車にフランス風の電車。なかなか、面白いものです。そうこうしているうちに、乗り換えるべき列車がやって来るのですが、その車窓は、改めて。