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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【7】Oh...東大門、トンデムンよ...

 仁川空港に14時半に着陸し、あっちやらこっちやらアソコの裏側とか色々と巡っていて遅くなった「ソウル中心市街」入り…

 いろいろあって7年ぶりの渡韓初日の東大門到着が22時過ぎという…

 コロナ禍前だと22時を過ぎた東大門ファッションビルエリア/DDP周辺なんかは「これから買い物して夜中まで遊ぶぞ~!」な観光客がそぞろ歩いていたのに、本当に「ほとんど居ない」のですね…

こんなにもヒトが居ないのかと愕然

 DDPのUFO建築も寂しく月に照らされて…

 コロナ禍で観光客が途絶え、東大門のファッションビルは苦境と聞いてはいましたが実際に見るとやはり寂しいもので、でもやっぱり夜の東大門の賑わいが懐かしい…ということで卸売専業エリアに足が向きます。

DDPのUFOの裏側へ

 近年ソウル市は中近世の城郭都市だった時代に注目し残存建築物の保存や遺構の調査・掘り起こしを進めていますが、ここも城郭があった場所であり調査のうえ「都市のシンボル」的なデフォルメを加えて再建が行われていました。

清渓川部分の「五間水橋」イメージを加えて城郭を再建

 1395年に建造され1800年代末期の都市近代化までソウル/漢陽のまちを取り囲んでいた城郭と現代の高層ビルにザハ建築、すごい光景だな……と暫し見入ってしまっていました。さあ、先に進もう。いまの賑わいへ!

 ああ、よかった……ちゃんと「賑わい」はある……と、ちょっと嬉しくなったり。人影はまだ少ないけど(卸売エリアは韓国各地からバイヤーが集まり深夜に買い付ける)ちゃんと「モノ」が多数置かれてる!この袋を持って、未明にバイヤーが各地に帰ってその日の売り物とするのですよね。

「市場」は、ちゃんと生きていた!

 卸売市場としての賑わいが生きていたことに浮かれてたけど、いやそんなことしてる場合じゃないもう22時半!はやくホテルにチェックインしないと…(23時着で予約しているとはいえ)

清渓川は今夜も穏やか

 路地歩き好きとして、そして京城軌道を追い求める者として、やはりここは歩いておきたかった東大門外の靴市場通り。今回は改めて見ておきたかったものがあるのです。

 청계상가、漢字で清渓商街。今は卸売市場内の古びた雑居ビルで内部は各商店の倉庫や手作業の場となっているようですが、ここの元の姿は朝鮮戦争の災禍から復興するソウル「明るさ」の一端となる、映画劇場だったのです。

 清渓劇場の開館は1959年4月18日、先章まで痕跡を追いかけていた京城軌道が営業していた時代で、ここはそのターミナルの東大門駅のすぐ横だったのです。

1953年の東大門周辺・右下が市内電車の車庫で門の上が京城軌道東大門駅
中央上の白く写っている場所の先に、清渓劇場が建ちました。

 こういうときは、そう、地籍です!

 ありますねぇ철の文字が…。地籍図左上の東大門駅跡およびその先の拡がっていた用地は用途転用されていますが、図の右側に鉄道用地のままの区画が幾つか残っています。これと先ほどの航空写真から概ねの位置関係が掴めます。

 この電車が走っていたのを、清渓劇場/商街の建物は見ていたんだなぁ…

営業当時の京城軌道東大門駅
いまの清渓商街ビル
いまの京城軌道東大門駅跡・右のビルがホームと駅ビルの跡に建ったホテル

 ああ、また感慨に耽ってしまった。いよいよ22時半を過ぎて刻限間近、もうちょっと耽りたいけど、そういうわけにもいかぬ…と振り切り、ようやくホテルへと向かいました。

実家のような鍾路5街の定宿

 さてサクっと食事して、テレビ見て…つづきは↓

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