7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【18】京畿道大探検-消えた「まち」に立つ
長々と続けております訪韓記ですが、いよいよ佳境ということで…
イムジンの流れを見て色々と想いながらバスに揺られ、今回いちばん気になっていた場所へ…
朝鮮王朝時代~日本統治時代の鉄道の広域整備までは黄海の広域海運連絡の中継拠点でもあり、大いに栄えた「街」があった場所が僅か数年で「原野」になったということを偶然に知ることになった高浪浦が、もうすぐ…
臨津江の流れを見られる場所をkakaoのロードビューで探していて偶然に見つけ、この冬枯れの侘しさがすごく風情あるものに感じて「なんかいい感じ…行ってみたいなぁ…」と思い、妄想を膨らませたりしていました。そう、この地の歴史を知るまでは…
こんな軽口(今から思えば)を叩いていたのですが、そもそもここは旅の「経路途上」ではなく目的地となる場所であり「下級両班どころかガッツリ権益関係のある主要拠点」だった、のですよね…。行ってみたいなぁ~から色々と調べて、その歴史を知って…
…何度もやってきた「今の見た目で軽々しくネタにしてからその背景を知り、その軽率な前言動にいたたまれなくなる」典型的なパターンで、この「いたたまれなさ」をちゃんと現地を見て心に刻み、そしてモヤモヤを昇華したかったのです…
そんなこんなを思いながら、やってきた高浪浦の「まちの跡」。乗ってきたバスが、折り返してゆきます。そのバスを見送って改めて見る、百貨店まであった「街」の、跡…
バスが折り返したのは写真中央左の木々のある場所。ここが黄海につながる河川港へ降りる道で、この道の近くに、百貨店の免税店があったと…
百貨店・免税店まであった国際都市のメインストリートの、いま。ひたすらに何もなく、振り返れば鉄条網…
民間人の出入りが自由になったとはいえ、今も軍事的緊張地区に隣接する場所。そこかしこに鉄条網そして立入禁止の警告。それは、イムジンの流れにも…
この坂道は、まさしく「岸辺の船着場」に降りる道。この先に帆舟が着き、風が吹けばここを荷や人が忙しく行き交っていたのが今は鉄条網で遮られ、そして今、この扉を通るのは軍用・工事車のみ。
高浪浦の街は黄海から遡れる限界の場所で、流域が広く半島を東側エリアにまで達する臨津江の内陸水運と黄海を経た海運そして漢江を経た首都への物流の「積み替え港」として栄え、鉄道開通で最盛期の勢いはなくなったものの干満差での潮の勢いに乗ればかなりの輸送が図れたことから外航と内陸物流の中継地としての機能は残り、1930年代でも長湍郡最大の市街地でありバス路線も集積し百貨店が免税店まで置いていたと…
こんなに賑わった高浪浦の街、日本統治終了後の暫定統治で流域の状況も変わり更に朝鮮戦争の勃発で戦禍に巻き込まれて荒廃、そして休戦後もこの地は民間人統制区域となり、結果「なにも無くなってしまった」と…
跡形もなく消えた高浪浦の街、その跡地に作られた「高浪浦口歴史公園」の歴史文化展示館の中に僅かに残った写真から当時の建物などを「再現」展示されています。
受付から中に入るとこんな形で「再現街」が用意されています。
若干チープさは感じますが一応は文献や写真そして元住民のヒアリングなどで個々の商店の風情は再現しているそうな(とはいえ現代の事情でのアレンジはありますね…
和信百貨店も、ありました。
そして当時の臨津江を行き来した帆舟の再現模型も。
実模型やらVRやら色々と展示の工夫はあるのですが、なにせここはアクセスが便利とは言い難い場所なのに(韓国の博物館系はどこも手厚いとはいえ)何でこんなに色々と充実してるのかと不思議に思ったのですが、なるほど…
地域の「特性」なのですね…。軍事的緊張地区間近な場所なので兵役で配属された若い兵士もいる場所で、その彼らへの娯楽そして韓国史の教育施設でも、あるのですね…(なるほど無料エリアに「朝鮮戦争における韓国軍のいさましき戦い+漣川郡と軍の関係」体験エリアがガッツリ用意されてるのはそういうことね、と…)
なんだか色々と状況を頭に詰め込みながら、投壺に耽る若い軍人さんを微笑みながら二階へと上がります。児童図書室とフリースペースがあるとのことなので…
二階から見る臨津江、そして高浪浦の「まちの跡」…
歴史文化展示館の2階には子供向きの図書室・遊戯スペースがあるのですが、そこから高浪浦の街の跡そして臨津江の流れが一望でき、暫しこの長めに浸っておりました。
そしてこの2階からは、あの望亭も、見えるのです…
この訪問は、このつぶやきから始まったのです。
このときはこの地の歴史を全く知らず、ただこの冬枯れの荒涼とした景色と侘しい旅人を重ねたのですが、知ってから思えばなんという軽いノリ、迂闊とも思えるセリフの数々…
なんともいたたまれない気持ちを敢えて抱くため、この発言通り、あの望亭からイムジンの流れを見なければ。こんな涼しく快適な場所から高みの見物では、いけない…
百貨店まであった街「だった」場所にぽつねんと建つ望亭。赴任途中の役人が景色を愛でたような場所ではなく、日本による統治も関わって「消滅した街」の、跡。そのことを改めて噛みしめながら熱風に吹かれ、イムジンの流れを見る。
この体験は、これからも忘れないだろう。いろんなことに思いを巡らし、心の隅に何かの棘が引っ掛かったような、この感覚を。
(つづきはコチラ)
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